他人と生きるための社会学キーワード|第10回(第2期)|生活保守主義──「生活」と「政治」をめぐる30年の変化|平野直子
生活保守主義
「生活」と「政治」をめぐる30年の変化
平野直子
「生活保守主義」とは、人びとが「自分たちの今現在の生活を守りたい」という気持ちにもとづいて選択(とくに政治的な)をすることである。学術の用語というよりは、社会状況を表すためにマスメディアで用いられてきた言葉だ。1986年の衆議院議員総選挙において、自民党が300議席を超す大勝を果たしたさいに、その背景となる人びとの心情を表すために広く使われた。生活保守主義のもとでは、人びとの関心は国全体のシステムや安全保障(国防や外交問題)といった大きな問題ではなく、もっぱら自分たちの私生活に直結する経済や教育に関する問題に向けられるとされる。
「保守主義」と一般にいわれる場合は、「伝統や過去から伝えられてきた考え方をもとに社会をつくっていこうとする立場」を指し、基本的人権や個人主義といった普遍的な価値や理想をめざして社会をつくり上げようとする立場(「進歩主義」といわれたり、日常語としては「リベラル」といわれたりする)と対立するものとされる。「生活保守主義」は「生活保守」+「主義」、つまり「いまの生活を守りたいという主義」であり、指している事柄が異なる。しかし大きな変化を望まない態度につながるという点においては変わらない。
この言葉が使われるようになった1980年代後半の日本は、高度経済成長から何度かの経済危機を経て、「バブル」といわれる景気の絶頂期に向かうころだった。多くの人が以前よりも多くの富や機会を手にし、消費生活を楽しめるようになってきていた。人びとが現在の生活に満足し、これを大きく変えることを望まないために、政治の大きな変化(政権交代など)が起こりにくいのだという分析がなされた。たとえば、「自民党圧勝の理由は、ひと口で言えば、もともと厚い支持層のうち前回棄権した人々が投票に転じたからである……おそらく、だれもがうなずく理由は、われわれの多くが今の生活は昔に比べればよくなったと思い、それが変化することを望まない、いわゆる「生活保守主義」が自民党支持の根っこにあることであろう」(「自民、棄権食い止め浮上 「生活保守派」が投票へ 86同日選」『朝日新聞』1986年7月7日夕刊)などと表現された。
ところで2020年代の日本でも、与党・自民党(+公明党)は国政選挙で圧倒的な強さを誇っている。また、低賃金や新型コロナウイルス流行による経済の落ち込みは問題視されているものの、オンライン通販やSNSを通じたマーケティングによって、多くの人が自分なりに消費生活を楽しめる状況はむしろ以前より整っているようにも見える。こうした状況のもとで、政権の交代が起こりにくい背景を説明するさいに「生活保守主義」という言葉が使われることが現在でもしばしばあるが、この言葉は1980年代と同じように使うことができるものだろうか。
これについて、たとえばNHK放送文化研究所が5年に1度おこなっている「日本人の意識」調査 を見てみると、「着るものや食べもの、住まいなど、物質的に豊かな生活を送っている」という質問に対し、「そう思う」と答えた割合は1983年に58.5%だったのが右肩上がりに上がりつづけ、最新の2018年調査では80.6%と過去最多となった。「環境がととのい、安全で快適に過ごせる地域に住んでいる」に「そう思う」と答える割合は、1983年の59.7%から上がりつづけて2018年には87.2%となっている。他の2つの項目(生きがいや安らぎを感じるか、豊かな人間関係の有無)でも、満足しているという回答が2018年調査で最高値になっている。
1990年代から2010年代にかけて、日本経済は大きく変動し、悪い局面もしばしばあった。しかし自分の生活に満足する人の割合は、この30年ほど、社会全体の経済の動向と関係なく、右肩上がりに上がりつづけているのである。
それでは、政治的な志向の変化についてはどうだろうか。「私的な生活への満足度の高まりによって、人びとが大きな変化を望まなくなる」という「生活保守」的な傾向が、政治面で強まっているということはあるだろうか。
前述の「日本人の意識」調査には、支持政党についての質問もある。それを見ていくと、生活満足度が上がりつづける一方で、この30年間、3年をのぞいてずっと与党であった自民党を支持する人の割合は、右肩上がりになっているわけではない。1983年の40.6%を最高として下降を続け、最新の2018年調査で26.9%に戻っている。1990年以降に安定多数を占めているのは、「特に支持している政党はない」という回答で、1983年の32.2%から増加し、いったん減少するものの2018年には59.6%と過去最高となった。生活に満足している人が増えつつあることとは、少なくとも与党自民党を積極的に支持する人を増やしていることにはつながっていないようだ。
まとめると、「生活に満足している人」の割合は、この30年でたしかに増えている。しかし、その増加傾向と経済の動向には直接的な関係はなく、また与党を積極的に支持するような政治的態度にも関係していそうにない。個人の生活に満足している人が多いことと、政治的な大きな変革が起こりにくい傾向が21世紀日本に両方みられるとしても、それは1980年代的な「生活保守主義」とは別の説明をする必要がありそうだ(むしろ21世紀日本で「生活」のなかから立ち上がってくる政治的な動きといえば、「変えない(保守的な)」方向性のものより、むしろさらなる変化――たとえば、性別による役割分担や血のつながりにこだわらない柔軟な家族のあり方を肯定したりするような――を支持するもののほうが目立つ)。
その一方で、「生活」のなかの「保守(的傾向)」ということについていえば、21世紀日本にはまた別の傾向が表れているともいえる。たとえば、近年さまざまな社会調査において、「日本に生まれてよかった」「国を愛する気持ちが強い」といった質問に「はい」と答える人が増えている。とくに「治安の良さ」や「美しい自然」、「歴史や文化」といったことを「誇りに思う」とする人は、1980年代と比べれば21世紀になってからのほうが高い(内閣府「社会意識に関する世論調査」など=参照1 、参照2 )。
こうした傾向はまた、大衆文化や学校教育のなかでとくに広がっていると指摘される。「日本の文化・伝統」に誇りや魅力を感じる人びとや若者が増えていることは、たとえば三浦展(2010)などで指摘され、「経済大国」という大きな物語や地域や会社といった強い共同体を失い、流動的な生き方をせまられる現代日本人が、「日本的なもの」への誇りや愛着を自己のよりどころとしている可能性が指摘されている。
自分のルーツとなる土地に愛着を覚える人が増えていることは悪いことではないし、まして現在の生活に満足している人が増えることは、間違いなく喜ばしいことだ。ただしそうした、生活を彩る「日本らしさ」が、ふたたび政治的な動きにつながることはないかといえば、そうとは言いきれないという懸念も示されている。
たとえばスピリチュアルな観光スポットとして伊勢神宮を参拝する人は多いし、皇室への個人的な好意や敬意をもつ人が増えていることも「日本人の意識」調査は明らかにしている。そうした「日本的なものへの親しみ」は、個人的な楽しみや価値観でおこなわれることだ。しかし、「国民の伊勢神宮崇敬の推進」や「皇室の護持」は、保守的な政治運動(たとえば、こちらの論考を参照 )の中心的な目標でもある。
自分の生活をより意味深く、豊かにしようとして「日本的なもの」に触れようとする個人のささやかな選択が、意図せずそのような「保守」的な政治運動に関係していくということは十分起こりうることであり、むしろ21世紀の「生活」と「保守」、「生活」と「政治」のつながりは、そのようなところにこそ特徴があるのかもしれない。
■ブックガイド──その先を知りたい人へ
NHK放送文化研究所『現代日本人の意識構造[第9版]』NHK出版、2020年
三浦展『愛国消費──欲しいのは日本文化と日本への誇り』徳間書店、2010年
平野直子「現代「保守」言説における救済の物語」SYNODOS、2016年
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平野直子(ひらの・なおこ)
早稲田大学非常勤講師。早稲田大学大学院文学研究科社会学専攻博士後期課程単位取得退学。専門分野:宗教社会学。
主要著作:
『宗教と社会のフロンティア』共著、勁草書房、2012年
『共生の社会学』共著、太郎次郎社エディタス、2016年
『つながりをリノベーションする時代』共著、弘文堂、2016年
『近現代日本の民間精神療法』共著、国書刊行会、2019年