科学のバトン│第7回│あくなき探究心と、小さな虫の世界への扉と│平澤桂(水族館飼育員)

科学は人から人へ、どう受け継がれるのか。多彩な執筆陣が、みずからの学びとその継承をふり返る。

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あくなき探究心と、小さな虫の世界への扉と
ふたりの恩師からの贈りもの
平澤桂(水族館飼育員)

恩師略歴●三田村敏正(みたむら・としまさ/1960年-):
東京都生まれ、東京農工大学農学部蚕糸生物学科卒業。ヤママユガ科の生態を研究しながら水生昆虫を中心とした生態、分布調査を実施。ヤママユの研究で博士(農学)取得。単著に『繭ハンドブック』(文一総合出版)、共著に『日本のヤママユガ』(むし社)、『タガメ・ミズムシ・アメンボハンドブック』『ゲンゴロウ・ガムシ・ミズスマシハンドブック』(ともに文一総合出版)など。

恩師略歴●吉井重幸(よしい・しげゆき/1955年-):
福島県生まれ、山形大学農学部農芸化学科卒業。福島県の水生昆虫の生態、分布を調査している。子ども向け観察会などで採集や観察のしかたなどを指導。共著に『タガメ・ミズムシ・アメンボハンドブック』『ゲンゴロウ・ガムシ・ミズスマシハンドブック』(ともに文一総合出版)がある。


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昆虫少年、虫や魚の飼育にはまる

「昆虫少年」。多かれ少なかれ、虫好きの子どもはまわりからこう呼ばれることがある。私も御多分にもれず、こう呼ばれて育った。私は東京の町なかで育ったが、当時はまだ近所に空き地がたくさんあった。暖かい季節になると、草むらでバッタやカマキリ、アリなどを捕まえては、家で飼育をしていた。

 飼育をする場所は決まって玄関先と、屋外の洗濯機の横に置いてある棚だった。虫を飼うプラスチックのケースは高価だったので、これぞという虫をこのケースで飼育し、それ以外は牛乳パックの空容器を親からもらい、その1面を切りとり、そこにサランラップをかぶせた簡易の飼育ケースをたくさんつくって、身近な虫たちを飽きることなく愛でていた。

 そのころ、飼育の参考にしていた本は、小学校低学年のときに親に買ってもらった『こどものための飼育図鑑』(世界文化社)だった。この本は、カマキリ、バッタ、トンボといった大きなグループごとに、かんたんな飼育の仕方や雄雌の見分け方などが解説され、昆虫だけではなく、ウサギやインコ、カエルに魚などの飼い方までが紹介されていた。

 それぞれの生きものについての専門書が販売され、インターネットでも、あるていどかんたんに検索できてしまういまでは、こうした本を使う子どもは少ないのかもしれないが、当時の私にとっては、朝から晩まで何度となくめくり、ぼろぼろになるまで読んだ最初の本だった。図鑑や専門書は、当時、とても高価だった。

 生きものが好きなことは変わらなかったが、高校生になると、友人の誘いで熱帯魚の飼育を開始した。それまで虫ばかり追いかけていたが、ここで魚の飼育にはまることになった。学校帰り、休みの日は閉店時間まで熱帯魚ショップに入りびたることも多く、『月刊アクアライフ』という雑誌を読みあさっていた。

生きものにかかわる仕事がしたくて、水族館に入社

 学芸員や研究者と違い、私は大学には行っていない。当時獣医師をめざし、2浪までして挫折したあと、1997年4月に動物の専門学校に入学した。このころは、目標も潰えて半ば自分の人生にあきらめをいだいていたかもしれない。ただ、生きものにかかわる仕事につきたいという考えだけはいっさい変わらなかった。

 入学した専門学校は、動物園、水族館への就職も多く、ドックトレーナーやレンジャーなどさまざまな就職先があった。学校法人では難しい、研修重視、自分のめざす先々で働きながら、就職を勝ちとるような学校だった。いまにして思えば、高い授業料は自分に帰ってくるわけではなく、就職先のあっせんのような感じだったかもしれない。その専門学校も、学校法人ではなかったこと、経営を拡大しすぎていたことで、卒業まで残り半年というところで倒産してしまった。

 その後、運よく現職の公益財団法人ふくしま海洋科学館(アクアマリンふくしま)に臨時職員として中途入社した。1999年11月のことだった。当館は2000年7月に福島県いわき市にできた水族館で、オープン前の水族館を経験することができたことは、いまの勤務先であるアクアマリンいなわしろカワセミ水族館での勤務に大きな影響をあたえている。2001年には正職員になることができ、サンゴ礁の海の魚や地元の海の魚の飼育、水族館での教育活動など、多くを経験させてもらった。そのなかでも、オホーツク海の魚と海獣たちとのかかわりがいちばん長かった。

海獣を担当していたころの筆者。タイヘイヨウセイウチと
海獣を担当していたころの筆者。タイヘイヨウセイウチと
ふたりの水生昆虫の師との出会い

 アクアマリンふくしまでの勤務をはじめて9年目となった2008年、私は大きな転機を迎えた。カエルの企画展開催にあたって、コスタリカ在住の探検昆虫学者、西田賢司さんとその友人のピオット・ナスクレンスキーさんが来日したさい、ムカシトンボとガロアムシの案内を依頼された。しかし、このとき私は、県内の昆虫にはまったくくわしくなかった。そこで、以前よりお会いしたいと思っていた方を、上司に紹介してもらった。その方が、恩人のひとり、三田村敏正さんだった。以前から、三田村さんと県内の水生昆虫についてお話をしたいと思っていた。このときは電話でお話ししたのだが、ひじょうに物腰のやわらかい口調の方だった。西田さんたちへのムカシトンボとガロアムシの案内も、ご快諾いただいた。ここから、私の昆虫とのかかわり方が一変する。

 三田村さんとお話をするなかで、県内にゲンゴロウにくわしいお知り合いがいることがわかり、さっそくお会いする機会をセッティングしていただいた。この方が、もうひとりの恩人、吉井重幸さんだった。これから本格的な夏にさしかかる直前の6月15日、喜多方にある三田村さんの知人のご自宅のため池調査に参加させていただき、はじめておふたりにお会いすることになった。

小さなゲンゴロウへの興味の扉が開く

 おふたりとも、とてもやさしく迎えいれてくれた。ため池では、初夏に見られるオゼイトトンボ、エゾイトトンボが飛びかっていた。そのころの私は、種の違うイトトンボの仲間を見ても、同じ「イトトンボ」としか認識できない知識量しかなかった。このとき、三田村さんに、この2種を同定するポイントを教わった。この2種の同定については、その後数年ぐらい同じことを三田村さんに聞いていた気がする。それでも、毎年同じように親切に教えてくれた(このときは、ゲンゴロウにしか興味をもてずにいたが、その後、写真にも興味がわいて撮影するようになり、この同定は克服した)。

 このトンボの同定ポイントを聞いている横では、吉井さんがなにやら、小さなゲンゴロウの仲間をせっせと採集されていた。私は、ゲンゴロウといえば、4cmほどのいわゆるゲンゴロウが好きで、1cmにも満たないゲンゴロウの仲間にはいっさい興味をもっていなかった。

 ゲンゴロウの仲間は、コツブゲンゴロウ科、ゲンゴロウ科、あわせて154種がいる(2023年2月現在)。そのとき吉井さんが採集していたのが、ニセコウベツブゲンゴロウだった(当時は、福島県ではコウベツブゲンゴロウとして記録されていた)。この体長たった3.5mmのゲンゴロウの採集がきっかけで、いまに続く小さなゲンゴロウへの興味の扉が開いてしまったのだが、このときは小さなゲンゴロウの知識がなかったため、コウベツブゲンゴロウ以外の吉井さんの発する「〇〇〇ゲンゴロウ」が呪文にしか聞こえなかったことは、いまでも忘れられない。

体長40mmほどの、いわゆる「ゲンゴロウ」
体長40mmほどの、いわゆる「ゲンゴロウ」
こちらはニセコウベツブゲンゴロウ。この個体の体長は約3.7mmと、ゲンゴロウの10分の1程度しかない
こちらはニセコウベツブゲンゴロウ。この個体の体長は約3.7mmと、ゲンゴロウの10分の1程度しかない

 この出会いをきっかけに、3人もしくはどちらかとふたりで昆虫調査に出歩く回数が極端に多くなり、大げさでなく休みのたびに福島県内を走りまわる日々だった。

※ 石川県ふれあい昆虫館の渡部さんと名古屋衛生研究所の上手さんにより、ニセコウベツブゲンゴロウ(Watanabe & Kamite, 20181)、ヒラサワツブゲンゴロウ(Watanabe & Kamite, 20202)が記載された。この2種の新種発見により、喜多方の個体がニセコウベツブゲンゴロウ(平澤他, 20213)であることが明らかになった。

1 Watanabe, K., & Y. Kamite, 2018. A new species of the genus Laccophilus(Coleoptera,Dytiscida)from Japan. Elytra, Tokyo, New Series, 8(2): 417–427.

2 Watanabe, K., & Y. Kamite, 2020. A new species of the genus Laccophilus(Coleoptera: Dytiscidae)from Eastern Honshu, Japan, with biological notes. Japanese Journal of Systematic Entomology, 26(2): 294–300.

3 平澤桂・三田村敏正・吉井重幸・渡部晃平 , 2021. 福島県におけるニセコウベツブゲンゴロウおよびヒラサワツブゲンゴロウの分布状況. さやばねニューシリーズ ,(44): 65–70.

採集した虫の記録をとおして論文の書き方を学ぶ

 福島県には「福島虫の会」という同好会があることを三田村さんから教えていただき、すぐに入会することにした。福島虫の会では、県内での採集、調査をおこなっている会員が、県内、市町村での昆虫に関する初記録や、さまざまな調査、飼育などについて発表することができる会誌「ふくしまの虫」を年に1回、発行している。

 おふたりに出会った年の瀬に、私も何か投稿してみないかと三田村さんから打診があった。このとき、短報として水生昆虫の記録を2本、書かせていただいた。国語は学生時代、万年「3」の成績で、文章を組み立てることが苦手な自覚はある。打診があったものの、書けるかどうか不安でしかたなかった。

 三田村さんからは、まず自分が報告したいことと同じような内容の文章を参考にして書くことからはじめてみたらいいよと言われた。いまでこそ、参考にできる文献は手元にたくさんあるが、当時は前年の「ふくしまの虫」1冊のみだった。私はこのとき32歳、仕事以外で文章を書く作業もしたことがなかった。学生時代から論文を執筆し、さまざまな分野で活躍されている若い人たちからすれば、あまりにも遅いスタートだった。いざ書いてみると、知識も論文の書き方も、知らないことの連続だった。

 福島虫の会の「ふくしまの虫」は、学会誌とは違い、書き方にはさほどうるさくはない。しかし、三田村さんからは、なるべく今後のことを考えて学会誌でも通用するようにと、種名に学名を表記すること、県内の過去の記録をしっかり調べ、それらも記載することで過去の記録をひと目でわかるようにし、つぎの記録を書く人が使いやすいかたちにしておくことの大切さなど、いろいろと教わった。校正をお願いすると、そのつど真っ赤に直されて返ってきた。自分の文章力のなさに何度も落胆したものだった。ここから数年は、文章の組み立て、オリジナルな考え方を入れこむ作業のつらさから、毎年採集した虫について書くことが苦痛でしかなかった。その気持ちも、三田村さんの指導によって、知らないまになくなっていった。三田村さん、吉井さんと3人で、県内で発見した水生昆虫をはじめとした記録を、地方誌にとどまらず、全国誌の「月刊むし」に報告することができるようにもなっていった。

類を見ない水生昆虫図鑑をつくることに

 多くの水生昆虫について生息状況がわかっていくなかで、2013年ごろ、文一総合出版から出版されているハンドブックシリーズで、水生昆虫版を3人で作成しないかと三田村さんから話をいただいた。つくるからにはこだわりを出すことはもちろん、それを持って自分たちがフィールドで使いたい図鑑をめざすことになった。

 その大きなアピールポイントは、ひとつめに、成虫と幼虫をともに掲載すること。ふたつめは、生きた状態、しかも水中での状態で白バックの写真を掲載することだった。当時、メジャーな水生昆虫をのぞくと、この虫の幼虫がこれだとわかるような図鑑はほとんどなく、掲載されている虫はどれも標本のことが多くて、生時の色彩がわかるものは少なかった。とくに水生昆虫の写真は生きているときと標本ではまるっきり違うことが多い。しかし、越えるべきハードルがものすごく高いことは、県内での調査のとき記録として自分で撮影をしていて、痛いほどわかっていた。

 じっさいに2014年2月、出版社に三田村さんと売りこみにいったさいには、ワクワク感の裏に、ほんとうにできるのか? と客観的に自分を見ているところがあった。ましてや、すでに全国で水生昆虫の分野で活躍されている多くの方々を知っていた私には、地方で細々とやっている自分にそんな大それたことができるのかというとまどいもあった(その気持ちはいまも変わらずにある)。

 いざハンドブックの制作がはじまると、三田村さんの音頭のもと、県内ばかりだった採集場所が、全国各地に広がった。開始直後は、つぎからつぎに、「この種が足りないからここに行ったほうがいいと思う」「協力者の方に個体を送ってもらうことになった」「ここに行ってきたから撮影をしないと、これを渡すから撮影してくれ」と矢継ぎ早に3人でのやりとりがくり広げられた。水生昆虫の多くは5-8月の暖かい時期に繁殖期を迎えることが多く、その年に幼虫の撮影ができないと翌年に延期ということになってしまう。それまでハンドブックをつくることに対して半信半疑であった私は、このときの三田村さんの勢いにすぐにはついていけなかった。また、私自身が大きな転機を迎えようとしていたことも、まだわからなかった。

撮影することの楽しさにのめりこむ日々

 着々と撮影が進むなか、2015年4月、猪苗代町にある淡水魚館を私の勤務するアクアマリンふくしまで運営することが決まった。次年度の体制についての館長面談があったとき、私は家族に相談もせず、この新天地での勤務に手を挙げた。自宅のあるいわき市からは直線距離で100kmほどある。単身赴任が決まることはわかっていたが、どうしても猪苗代で、福島県の淡水生物の展示をおこない、そのなかに水生昆虫をメインとしたコーナーをつくって、多くの来館者に福島県の水生昆虫の多様性について紹介したいと思っていた。

アクアマリンいなわしろカワセミ水族館につくった「おもしろ箱水族館・生物多様性の世界」コーナー。福島県内の水生昆虫と両生類を中心に約80種を20cmキューブ水槽に1種ずつ展示している
アクアマリンいなわしろカワセミ水族館につくった「おもしろ箱水族館・生物多様性の世界」コーナー。福島県内の水生昆虫と両生類を中心に約80種を20cmキューブ水槽に1種ずつ展示している

 オープン後も、しばらく落ち着くことがなかった。撮影を並行することもたいへんではあったが、県内以外の水生昆虫をあまり見たことがなかった私は、三田村さんから撮影の分担を頼まれるごとに、どんどん撮影することの楽しさにのめりこむことになっていった。吉井さんは、不明な幼虫がとれると、それを育成し、なんの種類だったかを調べる役割を担っていた。幼虫をとったときは、三田村さんと私で撮影し、即座に吉井さんに預けることで、多くの不明種を解明することができた。

 撮影は、1種につき短くても2、3時間はかかる。標本とは違い、相手は生きている虫。種類や個体によるが、とにかく動きまわり、こちらが撮影したいスタイルで止まってくれない。2016年の夏過ぎぐらいだったろうか、気づけば日にちをまたいでいることが毎晩のように続いた。撮影状況は3人で共有しあっていたが、夜中の2時、3時に電話をかけ、またかかってくることもしばしばあった。共有クラウド上で確認しながら、撮影状況や、写真が使えるか使えないかなど、意見交換をしながら、不要な撮影を少しでも削減するための相談をすることがよくあった。

 編集作業をしながら、新しく追加する種の撮影も順調に進み、自分のなかでも調子がのっていたころ、私はハンドブックに掲載する種を増やしたい、あれもこれもなんとかしたいという思いがあった。2017年春には出版しようと連絡があったときにも、まだまだ掲載種を増やしましょうと話した記憶がある。しかし、三田村さんからは、「本は、後ろを決めないと、いつまでも世に出すことができない。水生昆虫のシーズンにあわせるなら、写真は年末までにまとめないと、翌年夏までに出すことができないんだよ」と言われた。そうした冷静な判断は当時の自分にはできなかったと思う。

「自分たちがフィールドで使ってみたい図鑑」ができた

 結局、撮影したものをまとめあげていくと、ハンドブック1冊にはとうてい収まらない種数となった。そのため、急遽2冊に分けることとなった。水生甲虫で161種、水生半翅類で91種、当時知られていた種類のうちの6割ほどを収めることができた。

 こんな生活を2年ほど続けて完成したのが、2017年に出版された『ゲンゴロウ・ガムシ・ミズスマシハンドブック』と『タガメ・ミズムシ・アメンボハンドブック』の2冊だった。いまでこそ、不明の幼虫の種をSNSや学術論文などで知ることが多くなったが、幼虫にまで着目した図鑑はそれまでなかったため、大きな反響を得ることができた。また、生時の個体であったことも反響を呼んだ。当初の3人の目標どおり、「自分たちがフィールドで使ってみたい図鑑」をつくりあげる夢が叶った。

『ゲンゴロウ・ガムシ・ミズスマシハンドブック』(文一総合出版)
『ゲンゴロウ・ガムシ・ミズスマシハンドブック』(文一総合出版)
『タガメ・ミズムシ・アメンボハンドブック』(同)
『タガメ・ミズムシ・アメンボハンドブック』(同)

 図鑑を出版した2017年は、おふたりに出会ってから、ちょうど10年。三田村さんには、あくなき探求心と、多くの生きもの屋さんとの出会いを、吉井さんには、小さなゲンゴロウの世界への扉と、県内のあらゆる場所への調査やオリジナルの道具をつくる匠の技という贈りものをいただいた。おふたりとの出会いがなければ、いまの私はなかったと思う。どれだけ感謝をしてもしつくせない。

 それまでも観察会の依頼はあったが、ハンドブック出版後、その依頼が少しずつ増えるようになった。2019年6月、福島県双葉郡川内村から、地元にある平伏沼の観察会の依頼が、われわれ3人にあった。ここは詩人の草野心平が愛した地で、モリアオガエルで有名な沼だった。観察会では、モリアオガエルを観察しつつ、平伏沼の水生昆虫も紹介した。この観察会で採集できたゲンゴロウが後々新種となり、この論文の著者らによってサプライズで献名していただいたのが「ヒラサワツブゲンゴロウ」だった。そのお話については次回ご紹介したい。

平伏沼の観察会のようす。左手前に見えるのがモリアオガエルの卵
平伏沼の観察会のようす。左手前に見えるのがモリアオガエルの卵
観察会のときに見つかったモリアオガエル
観察会のときに見つかったモリアオガエル

(次回に続く)

平澤桂(ひらさわ・けい)

(公財)ふくしま海洋科学館、アクアマリンいなわしろカワセミ水族館勤務。1976年、東京都生まれ。ゲンゴロウ類を中心とした水生昆虫類、海浜昆虫の調査、研究、保全活動をおこなっている。日本甲虫学会会員、日本昆虫分類学会会員、日本半翅類学会会員、日本冬虫夏草の会会員、福島虫の会事務局、福島県ふくしまレッドリスト見直し調査隊昆虫類、両生爬虫類分科会委員。共著に『タガメ・ミズムシ・アメンボハンドブック』『ゲンゴロウ・ガムシ・ミズスマシハンドブック』(ともに文一総合出版)、共同執筆に『昆虫館はスゴイ!』『昆虫館はスゴイ! 2』(ともにrepicbook)がある。