こんな授業があったんだ│第29回│実践記録「福島に生きる子どもたち」〈後編〉│坂内智之
福島に生きる子どもたち 〈後編〉
(2011年・ 小学4年生)
坂内智之
(2011年・ 小学4年生)
坂内智之
前編からのつづき
つぎのステップ、「ゆうだい君への手紙」
私のクラスでは、3年生のころから、宿題は、学校でとっている「毎日小学生新聞」の記事を読んで感想を書いてくることでした。4年生でもこの宿題は継続しています。
新聞では、この震災についてもさまざまな記事が掲載されていました。そのなかでも、ある子どもの投書した手紙が議論を巻き起こしていました。東京電力で働く父をもつ「ゆうだい君」(仮名・小学6年生)の投書にたいして、さまざまな反響が寄せられていました。
突然ですが、僕のお父さんは東電の社員です。
3月27日の日曜日の毎日小学生新聞の1面に、「東電は人々のことを考えているか」という見出しがありました。(元毎日新聞論説委員の)北村龍行さんの「NEWSの窓」です。読んでみて、無責任だ、と思いました。
みなさんの中には、「言っている通りじゃないか。どこが無責任だ」と思う人はいると思います。
たしかに、ほとんどは真実です。ですが、最後の方に、「危険もある原子力発電や、生活に欠かせない電気の供給をまかせていたことが、本当はとても危険なことだったのかもしれない」と書いてありました。そこが、無責任なのです。
原子力発電所を造ったのは誰でしょうか。もちろん、東京電力です。では、原子力発電所を造るきっかけをつくったのは誰でしょう。それは、日本人、いや、世界中の人々です。その中には、僕も、あなたも、北村龍行さんも入っています。
なぜ、そう言えるのかというと、こう考えたからです。
発電所を増やさなければならないのは、日本人が、夜遅くまでスーパーを開けたり、ゲームをしたり、無駄に電気を使ったからです。
さらに、発電所の中でも、原子力発電所を造らなければならなかったのは、地球温暖化を防ぐためです。火力では二酸化炭素がでます。水力では、ダムを造らなければならず、村が沈んだりします。その点、原子力なら燃料も安定して手に入るし、二酸化炭素もでません。そこで、原子力発電所を造ったわけですが、その地球温暖化を進めたのは世界中の人々です。
そう考えていくと、原子力発電所を造ったのは、東電も含み、みんなであると言え、また、あの記事が無責任であるとも言えます。さらに、あの記事だけでなく、みんなも無責任であるのです。
僕は、東電を過保護しすぎるかもしれません。なので、こういう事態こそ、みんなで話し合ってきめるべきなのです。そうすれば、なにかいい案が生まれてくるはずです。
あえてもう一度書きます。ぼくは、みんなで話し合うことが大切だ、と言いたいのです。そして、みんなでこの津波を乗りこえていきましょう。(毎日小学生新聞・2011年5月18日付)
私のクラスでも、じっさいに放射性物質による汚染を受けている地域の子どもたちとして、その議論に参加することにしました。
そこで、子どもたちが学んできた知識をもとに、自分はどう思うか、何が悪いのか、どうすればよいのかについて、学びあいをさせることにしました。ホワイトボードを使って、相手の考えを書きだしながら、おたがいに考えを整理し、どんどん深めあっていきました。さまざまな友だちと考えを聞きあったり、新しい考えをつけ加えたり、議論したりして、自分の考えを明らかにしていきます。
Y―ゆうだいくんの言いたいことって、何かな?
M―原発ってさ、みんながつくっていいって言ったんじゃない? だから、みんなが悪いということなんじゃないかな?
C―だから、東京電力は悪くはないということ?
M―それはおかしいよね。だってさ、つくって管理しているのは東京電力じゃない? それなのに、みんなが悪いというのはおかしいよね。
Y―じゃあ、東京電力の悪いところって何か、みんなでだしていこうよ。
T―東京じゃなくて福島県につくらせたこと。
K―事故が起きたときにほんとうのことを教えなかったこと。それで避難が遅れちゃったからね。
ホワイトボードにみんなの考えを書きあげたあとに、考えをだしあいながら自分の考えを練りあげていきます。
S―ねえ、どんな考え?
R―ぼくはね、やっぱり東京電力が悪いと思う。福島県の人もつくっていいよって言ったからだめなんだけど、やっぱり東京電力のほうが悪いよ。
S―たとえば?
R―だってさ、やっぱり危険だから東京にはつくらないで、福島県につくったんでしょ。危険だってわかっていたら、ちゃんと危険だって言わなくちゃいけなかったんじゃない、と思う。Sさんはどんな考え?
S―私はね、福島県の行政も、国も、東京電力も悪いと思う。その理由は、行政も国も、ちゃんと私たちのことを考えてくれていないし、東京電力もほんとうのことを教えてくれていないじゃない? だから、東京電力はちゃんと私たちの立場になって考えないといけないと思う。
その後、子どもたちは、「このいまを乗り越えるためにはどうすればいいか」という考えもだしあいました。
I―ねえ、ひまわりって、植えるといいんでしょ?
W―どうして?
I―だってね、テレビでひまわりは放射性物質を吸収するって言ってたよ。
W―じゃあ、学校にもたくさんひまわりを植えれば放射線ってなくなるんじゃない?
I―放射線がなくなるように福島県中に植えればいいかもね。(*──その後の農林水産省の発表では、ほとんど効果はないとされた)
F―ぼくは、ロボットがいいと思う。
T―ロボットはいいね。
F―原発の近づけないところに行って、修理してくれるようにすればいいね。
S―私は、いろんな学校で情報をだしあうことが大事だと思う。
T―情報って?
S―このあいだ、ネットで教室と教室をつないだじゃない? それと同じようにみんなで会議を開いて考えをだしあうの。
F―会議したら、いい考えがでそうだね。
このように、子どもたちは自分たちの考えを練りあげながら、現状とそれにたいする自分の考えを整理し、意見文として全員が書きあげ、毎日新聞社に送りました。そのなかの2つを紹介したいと思います(原文どおり)。
僕は、ゆうだい君の手紙を読んで何を伝えたいかよく分かりました。しかし、僕はゆうだい君の意見に反対です。なぜなら、まず原発を造るきっかけになったのは夜遅くまでスーパーやゲームをしていたからではなく、原発が一番お金がかからないから原発を造ったのです。それで僕の意見は東電と行政が悪いと思います。なぜかというとまず東電の人はチェルノブイリの事故を見習ったのでしょうか。せめてあの事故が起こらないように何か対策でもとっていれば、たとえ爆発しても少しはおさえられたと思います。なので、対策などをおこなっていなかった東電の人達が悪いと思います。
次は、行政です。行政はこの大きな原発事故があったにもかかわらず、どういう対策にしたらいいかも考えずに、対策はすべて国にまかせていたのです。たしかに、とてもいきなり起こった事故だし、それもが想定外だったのは、もちろん分かります。でも福島県を守ってやるという気持ちはあったのでしょうか。あったなら考えていたはずです。こんな事故が起きた場合には、もう人まかせではなく、自分達でやるという気持ちを持ってしっかり対策を考えるというのがただしいと思います。それなしに、ただ人まかせでやっているのであれば、福島県の県知事だとか、とにかくやくめをはたしていないと思うし、そこにいる意味はありません。つまり人にまかせすぎで自分ではちゃんとやっているのかと思うのです。
これが僕が思う自分の意見です。そしてぼくはこれからの未来のために自分が思う対策を考えました。まずは、放射量をへらすためにひまわりを植えたらいいと思います。なぜなら、どうやらひまわりは放射性物質をすいとってくれるそうです。そして、そのすいとったひまわりは原発の中に入れたらいいと思います。そうすればもう一度爆発がおこらないかぎりは原発の中にひまわりを入れてもだいじょうぶだと思います。
次は節電を心がけることです。すでに東京ではやり始まっていますね。地震で被害にあった所まで節電しろとは言いません。しかし、せめて何も被害のなかった所は節電ぐらいするべきだと思います。つまり、この被害をのりこえるためには、日本のすべての人が協力しないとのりこえられないということです。(Tさん)
ゆうだい君のお父さんはとても大変な仕事をしていると思います。いつもテレビでは、広報担当の人が報告だけをしていますが現場で働いている人はどんな気持ちでいるのか、それを考えると私は、とてもつらいです。
日本にまさかこれほどまで、大きな地震、津波が来るとは思わなかったでしょうか。原発事故以来、私達福島県民は、毎日放射能に対して敏感になっています。外に出るときは肌を出さないようにし、マスクや帽子を着用で生活しています。
原子力発電所を作る計画をしている時から、そんな事故を予測していなかったでしょうか。そんなはずなかったと思います。自然による災害を大げさすぎる位に考え、政府や東京電力も日々見直しをしなければならなかったと思います。
福島原子力発電所がなくなれば、東京電力を使う人やそこで働く人はこれから先、節電やいろいろな面で大変な思いをすることになります。
電力不足が夏に向けて大きくさわがれはじめていますが、私達は、電気が無くては生きていけない位、生活に密着しています。日本全体が節電をしなければならない時は一人一人が協力してムダを無くさなければなりません。スーパーに行っても、照明は半分位で、時間を短縮して営業しているところや土日出勤して平日に休む会社もあります。どれだけ私達の生活の中で電気が大切かと言うことが分かります。
原子力発電所での電気は他の発電力より、一番使われているのでなかなか無くすことは難しいのではないでしょうか。原子力は、大きなエネルギー源の一つだからです。
これからは地震や津波への安全対策をもっときびしい目で考えていかなければならないと思います。(Nさん)
子どもたちの考えはひじょうに多様です。それらを一人ひとりが「自分だけで」考えて書いても、この半分も書けないと思います。友だちとつながりあうことをとおしてはじめて、自分の考えとは何か気づくのだと思います。あらためて、子どもたちがつながりあい、考えあうことのたいせつさを実感させられました。
そして、子どもたちの意見文を新聞社に送付してからまもなく、取材の依頼が来ました。子どもたちの授業のようすや子どもたちのことばを、毎日小学生新聞の2面にわたって掲載してくださいました。子どもたち自身、自分の考えや意見を全国の人びとに発信していきたいという気持ちもあったので、とてもよい機会になりました。
自分の意見を、友だちだけでなく多くの人たちに聞いてもらえるということが、子どもたちの学習への成就感にもつながっていきます。子どもたちに表現や主張の場をあたえて世の中にだしていくことも、教師のたいせつな仕事だと実感しました。
今後の放射線学習
こうした取り組みにより、子どもたちの放射線への意識はひじょうに高まりました。具体的にどんな場所が危ないのか、どのような行動が危ないのかを考えるようにもなり、放射線の防護(手洗いやマスクの着用など)もみずから実践するようになりました。
ただし、これらは外部被曝に関しての対応にすぎません。放射線の被曝に関しては、外部被曝と内部被曝があります。
学校の放射線量は、これまでの対応で、とても低い値になりました。校舎内では毎時0.06μSv程度に低下し、校庭でも表土を剥離しそのあとに土を敷いたことで、毎時0.3μSvという、関東とほぼ同じくらいの線量になってきています。ですから、子どもたちの取り組みもふくめて、外部の被曝に関してはこれからも細かいことに気をつけていく必要はあるものの、ある程度は被曝を抑えられる見通しは立ちました。
しかし、その一方で、内部被曝は子どもたちがこれからずっと直面していく問題です。そのおもな原因となる食物の教育は、ひじょうにむずかしいのが現状です。専門家でもまったく意見が分かれる長期・低線量の内部被曝に関して、どのように子どもたちに教育していくべきかの判断を教師がくだすのは、ひじょうにむずかしいといえます。
だからこそ、子どもたちには正直に「わからない」という立場で、安全だという専門家の考えと危険だとする専門家の考えとを比較し、「子どもたち」がそれらを判断し、考えて行動できるようにしていく必要があると考えています。
子どもの判断能力はたしかに低いものですが、他者と学びあうなかで深めていくことでおとなよりも的確な判断をし、行動できるようになっていくことでしょう。内部被曝の問題はとても複雑でむずかしいものですが、子どもたちの学びあう力を信じたいと思います。
また、福島県が長期にわたって取り組んでいかなければならない「除染」についても、子どもたちといっしょに考え、取り組んでいきたいと思っています。本校のある郡山市の中心部は、ビルや、アスファルトで舗装された場所が多く、水などで洗いながすことで除染も可能です。しかし、子どもたちにとってもっともたいせつな土や植物の公園や野山での除染は、相当な知恵と期間がなければ解決できません。それまで、小さな子どもが安心して足を踏みいれられる環境にはならないのです。子どもたちがおとなになっても、この問題はつきまといます。ですから、不安でいるよりも多くの知恵を集めて取り組んでいけるような教育をしていきたいと思っています。
私は、子どもたちの力に未来を託したいと考えています。子どもたちの「学び」が、学びのなかで終わるのではなく、子どもたちの動きや意見が、おとなも動かすような力をもつ。そんな子ども集団にしたいと考えています。子ども一人ひとりの力はたしかにちっぽけなものですが、学びあいのなかでつながりあう子ども集団は有能です。
福島県、郡山市の再生のカギは、子どもたち自身がプランを練り、そしてじっさいに行動できる力にあるのだと私は考えます。今後、私たち福島県の教師は、そうしたビジョンをもって子どもたちに対峙しなければならないのだと思っています。
さいごに
夏休み。郡山市でも多くの子どもたちが、福島県を離れて両親の実家や親戚のもとへと避難しました。また、夏休みに野外で思いきり遊べるようにと、さまざまな企業、団体、ボランティアに支援していただき、サマーキャンプなどに出かけた子どもたちも大勢います。このように、日本全国からの応援が福島の子どもたちに届いています。
しかし、その一方で、政府や行政における放射線対策はなかなか進みません。公園はどこも荒れはて、子どもの姿はまったくありません。こうした異常な状況がいつまで続くのかはわかりません。しかし、このまま企業や政府や行政の過失を責めるだけで終わるのではなく、子どもたちの発信することばや行動の力が世の中をつき動かしていくような社会をめざしたいと考えています。
この事故は、私たちのこれからの生き方を見直す大事なきっかけになったのかもしれません。われわれ教師もこの機会に新しい授業のありかた、そして子どもを育てるということを見つめなおしていく必要があるのだと思います。
出典:「現代」の授業を考える会編『エネルギーと放射線の授業』2011年、太郎次郎社エディタス
坂内智之 (ばんない・ともゆき)
1968年、福島県生まれ。福島県・小学校教諭。「ひとりも見捨てられない授業」を合い言葉に、子どもたちがひとつのチームとして学びあう授業をつくる。最近は、日本全国や世界各地の教室と教室とをインターネットで結び、学習方法の共有化や子どもの側からの授業改革をめざす「子ども未来プロジェクト」を進めている。 著書に『放射線になんか、まけないぞ!』、共著に『エネルギーと放射線の授業』(以上、小社刊)がある。