科学のバトン│第9回│めざすのは、いつも高い頂│結城千代子(理科教科書執筆者)

科学は人から人へ、どう受け継がれるのか。多彩な執筆陣が、みずからの学びとその継承をふり返る。

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めざすのは、いつも高い頂
みずから考え、判断し、行動する姿勢を
結城千代子(理科教科書執筆者)

恩師略歴●笠耐(りゅう・たえ/1934-):
物理教育学者。元上智大学助教授。IUPAP-ICPE(国際純粋応用物理学連合-国際物理教育委員会)メダルを受賞。著書に、『放射線と私たち』『エネルギープロジェクト』(コロナ社)、『ある昭和の家族 「火宅の人」の母と妹たち』(岩波書店)など。


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 みなさまは、最後の無頼派とよばれた檀一雄という作家をご存じでしょうか。「火宅の人」で知られ、古典や説話の造詣が深く、遠いポルトガルにまで生活の場を広げ、はたまた放浪の料理研究家でもあった文士で、女優・檀ふみの御父上としても知られています。

 科学畑の恩師からの学び物語に、なにゆえ戦後文壇の重鎮の話題かと不審に思われることでしょう。私は、相棒の田中幸とのコンビで執筆活動をしているのですが、私たち大学同期のふたりがこのように成長できたのは、学生時代の、そして、その後の人生の恩師「たえちゃん」——笠耐先生との出会いがあったからこそです。

 たえちゃんは、檀一雄が「掌中の珠」とかわいがった年の離れた妹であり、青春時代を佐藤春夫や坂口安吾に囲まれて育った稀有な女性物理学者です。たえちゃんの人となりは兄・檀一雄を彷彿させる天衣無縫、唯我独尊と表現してもさしつかえない面がある一方で、女性らしい几帳面な誠実さと、とくに科学畑に足を踏み入れた同性に対する無類のやさしさを兼ね備えておられました。

 文学や演劇に造詣が深く、スイーツが大好きな二児の母であり、海外の多様な価値観を尊重できるたえちゃんは、物理教育の世界的な権威である国際物理教育委員会(ICPE)など、広く海外を巻きこんでの教育研究や教育者の育成において大活躍されました。そのただなかにあってともに歩ませていただいた経験は、私たちの視点を高め、自由度を広げてくれました。ここでは、そんなたえちゃんとの懐かしいエピソードをとおして、私たち弟子が受けとったバトンの感触を少しでもお伝えできたらと思います。

先駆的な物理教育の実践者である師

 まずは、1970年代も残り少なくなったころの大学の入学試験にさかのぼります。

 当時、上智大学理工学部物理学科には1次試験に合格すると、目の前でおこなわれる実験について答えるという2次試験がありました。この2次試験は、5つの金属球がつるされた、いわゆるカチカチボールの巨大なものが教室に運びこまれ、たえちゃんが、助手とおぼしき人にきびきびと指示を出してセッティング、問題を読みあげながら助手の人たちが実験操作をおこない、それを見て考察したことを書いていくという流れだったそうです。

 伝聞形式なのは私が田中談で知ったからです。残念ながら、私は推薦入試を受けた口で、教授連と口頭試問の場面にたえちゃんはおられず、「実験の考察」は体験できませんでした。のちに知ったのですが、実験を中心にして学生にみずから考えさせる、観察と探求を重視するアメリカの新進気鋭の物理教材を日本に翻訳紹介したのが、たえちゃんでした。上述の2次試験は、その手法をさっそく入試に導入、実施した貴重な場面だったのです。

 みずから考え、判断し、行動する姿勢は、近年はクリティカルシンキングやアクティブラーニングといった横文字であらためて重視されるようになりましたが、たえちゃんのもとでは、それが学びの前提でした。たえちゃんの活躍を憧憬する私の高校物理の恩師は、私が入学切符を手にすると、笠耐氏が上智大学におられると耳打ちしてくれたものです。入学式後に担任として現れたたえちゃんを見て、私は「おお、高校の先生が言っていたえらい人は女性だったんだ!」と感動しました。たえちゃんはご苗字が笠(りゅう)、お名前が耐(たえ)なので、漢字だけでは女性を想像できなかったのです。

1970年代後半の物理学科の雰囲気

 物理学科入学の女子は6名、在学中では最多の学年でした。学生運動の名残はわずかに残った壁の落書きだけとなり、時代はバブル期が前方に見えはじめる安定成長期。理系の女子はめずらしいながらに、肩ひじを張らずとも、すごいとか、かっこいいとか言ってもらえる風潮になっていました。

 女性の先生はたえちゃんをふくめて3人いらっしゃいましたから、女学生の少人数が功を奏して、先生方のポケットマネーで豪華なケーキにありつける、今日でいう女子会がときどき催されました。リケジョの本音が飛びかうおしゃべりはストレス発散の場で、いつもたえちゃんの「ほっほっほ」と高らかな笑い声が響いていたものです。

 たえちゃんひとりで、場の雰囲気は明るいながらにしっかりと芯が通ったたえちゃん色になります。圧倒的に男性が多い象牙の塔の物理屋の世界にあって、純粋物理からはずれて教育を考えることは軽視されがちでした。そのようななかでも、たえちゃんのおしゃべりには、教育の重要性を確信し、柔軟な議論を当然とし、権威が振りかざす筋が通らないいいかげんさを許さない姿勢がありました。

 たえちゃんのもとでは、指示待ちはありえず、自発的に動くのが当然で、はるかに高い頂をあたりまえとして示されました。そうすると、人は背伸びをしながらもその高さに至ろうとするものです。学生のうちから、たえちゃんが主催する物理教育研究会の著名な先輩方と肩を並べてつきあわせていただいた経験は、その一例です。

たったひとり、物理教育国際会議に出席することに

 たえちゃん流指導の最たるものが私に降りかかったのが4年時。英国でのサバティカルから帰国されたばかりのたえちゃんの研究室に入った私は、最新の科学教材を翻訳して日本で実施する卒業研究を考えていました。とはいえ、勤勉ではなく好奇心旺盛、2か月以上あった大学の夏休みをまるまる欧州ひとり旅に費やす気満々だったのです。ふつう、研究をやれとか就職をどうするのだとかしかられそうですが、たえちゃんは嬉々として準備の後押しをしてくださいました。さらにハンガリーで開かれる物理教育国際会議に出席するからアシスタントに来るようにと、すばらしいご提案をくださいました。

 ところが、旅程の終盤、学会に向かうべくドイツにまでたどり着いた私のもとに、寸前になってとんだ落とし穴が。「ごめん、行けなくなったから、ひとりで出席して、あとで内容を報告してね。主催者はGIREP(International Research Group on Physics Teaching)を率いる原子物理学教授のジョルジュ・マルクスよ。彼に弟子の学生が前日に着くと言ってあるから!」

 えええ? 先生、私ひとり?! という心の叫びは、日独間の高価な国際電話の短い通話で、先方に伝えきれずに切れました。当時のハンガリーは東欧で、つまりは冷戦下のソビエト側で、ビザは下りているもののなんとも不安、さらに首都ブダペストへのフライトは、そのときに滞在していた都市からは限られた曜日に1本、空港につくのが夜の9時ごろになりそうです。

 学会現地はブダペストから深夜の列車で数時間、軍人さんがいっぱいのなかにドキドキしながら乗りこみ、会場のバラトン湖畔に着いたのは翌日の午前2時を回っていました。駅舎もろくにない真っ暗なホームに、最終列車に乗ってくる学会出席者を迎えにでていてくださったマルクス教授は後光がさして見えました。

 右も左もわからない女学生は、1週間あまりの学会のあいだに親日のハンガリーという国を知り、西欧と東欧の経済的な違いを痛感し、各国の教育研究が展開される学会の内容をなんとか咀嚼し、帰りは教授方に空港まで送っていただき、行きとは雲泥の差の安心感でかの国をあとにしたものです。

 よんどころない事情で出席を断念したたえちゃんは、つたない私の報告に、とてもよく観察してきたと本気で喜んでくださいました。専門の内容もさることながら、私の目を通した現地のすべてをとても熱心に受けとめ、つぎの活動の参考としていかれたように思います。このあと、物理教育研究ではたえちゃん主導の国際交流がますます盛んになり、1986年には日本で初の物理教育国際会議が開かれました。

女性科学者たちが切りひらいてきた道

 女性が理系の道を進むことはいろいろ困難が多かったのではないかと言われますが、とても幸運なことに、私にはまったくピンときません。19世紀末から先駆者たる女性科学者が切りひらいてきた隘路が、戦後に至り、たとえるなら野原に伸びるローマ街道くらいに歩みやすくなった時代に私は学生生活を送ることができました。それにくらべると現代は高速道路かもしれませんが、それはそれでよい面ばかりではないのかもしれません。

 のんきな街道を進むことのできた私は、自分のペースでてくてく歩きながら、かたわらの野の花を摘んだり、ひと休みしてお弁当を食べたりしながら、人生をここまで歩んでくることができました。好奇心につきうごかされて求める体験を尊重し、注意深い観察力で科学はもとより、出会うすべての事象を探求していく生き方に、なんの疑問もなく「それでいいのだ」と信じさせてくださったのが、前方を歩いていたたえちゃんだったのです。ときに私をふり返り、ときには誘って手をつないでくださり、空を見上げ、地平を指さし進む⋯⋯、私がいままで成しとげたと思っている物事のとても多くの場面で、「それは、いいわね!」と、たえちゃんが笑っておられました。

(次回に続く)

結城千代子(ゆうき・ちよこ)

上智大学理工学部講師、比較文明学会会員。小学校生活科・理科、中学校理科の教科書執筆者。東京都生まれ。田中幸とのコンビで、子どもたちが口にする「ふしぎ」を集め、それに答えていく「ふしぎしんぶん」を毎月発行する活動を続け、運営するHP「ママとサイエンス」でも公開している。田中との共著に、「ワンダー・ラボラトリ」シリーズ(太郎次郎社エディタス)、『人物でよみとく物理』(朝日新聞出版)、『新しい科学の話』(東京書籍)、『くっつくふしぎ』(福音館書店)など多数。