[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第五期】|第4回|カード1枚で判断されてしまう怖さ(長谷川留理華)|長谷川留理華+木下理仁
[往復書簡/第五期]第4回
カード1枚で判断されてしまう怖さ
長谷川留理華
木下理仁 様
こんにちは。お元気でしょうか? まだまだ暑い日が続きますが、体調には気をつけてください。
返信ありがとうございます。手紙を書くことに慣れておらず、まちがいも多々あったかと存じますが。内容を理解していただけて心から嬉しいです。
まずは、木下さんからの「国民カードはお母様も持っていなかったのですか?」というご質問についてですが、母は旧国民カード(三つ折りの薄緑の国民カード)を持ってました。
国民カードは1992年に変わりました。それまでは全国民が国民カードを持ってたのですが、1992に国民カードが変わるとアナウンスがあり、それまでの三つ折りの薄緑の国民カード(旧国民カード)が回収され、現在のピンク色の国民カードが発行されました。
しかし、ロヒンギャ民族はピンク色のカードを発行してもらえず、白色の仮住民カードが発行されました。母はその白色の仮住民カードもピンクの国民カードも持っておらず、旧国民カードを持っています。
その理由は、まだ薄緑のカードのほうが国民カードだからです。このカードを提出してしまえば、仮住民カードしかもらえない。なので薄緑の国民カードしか持っておりません。
それから「国民カードとはどんなときに使うのか?」「どんな情報が記載されているものか?」についてお答えします。
日本で外国人が在留カード(旧:外国人登録証)の常時携帯を義務づけられてるみたいに、ミャンマーでは国民カードは国民が常時携帯してなくてはならないものです。通行中でも道ばたで警官に身分証明を求められた場合、国民カードの提示は義務づけられています。
常時携帯してないと、いくら罰金とかは決まっておりません。決まりの規則がないからこそ怖いものだと感じております。そのとき、そのときで対応が異なるため、気持ちのなかにひそむ恐怖も異なります。
カードに記載されてるものは、国民番号、発行日付、名前、父の名前、誕生日、民族、宗教、血液型、めだつ体のマーク、自身の署名、カードを発行した行政官の地位と名前です。
めだつ体のマークというのは具体的には体に一生残るようなあざやホクロ。多くは顔や首近辺。すぐに目視できるようなマークが多いです。万が一顔や首近辺に無い場合は、足首や腕などまで記載します。たとえば、右の目の上にあざとか、唇の左下にホクロとか。
ここで記載されております、民族、宗教は国民内での差別の原因だと私は感じております。みんながミャンマーという民族であれば問題はないのですが、じっさいにはミャンマーという国に多数の民族が暮らしています。
ベンガリ(ミャンマー政府の見解におけるロヒンギャの名称)やマイノリティの民族であると、警察や県境の監視などで目をつけられ、賄賂を求められたり、なんらかの罪に問われます。民族によっては勉学の進路や就労先が危ういのが現実です。これが前回の手紙で私の父が言ったと書いた、《この先、ミャンマーで暮らしていくことが難しい》の意味です。
国民かどうかではなく、何の民族かが基準になってしまっています。
日本の在留カードにも在留資格や在留期間、就労の可否などが記載され、その方のステータスが決まってしまうようで、あまり好みません。
私は、日本国籍をもっていますが、見た目は外国人です。くわしくは書けませんが、木下さんのおっしゃるとおり、駅で私服警官に在留カードの提示を求められた、おもしろいエピソードも過去にはありました。
私が日本国民ってことは、私服警官も見た目では判断がつきません。
この日本には私みたいに国籍は日本だけれど見た目が外国の人は何万人といるのではないでしょうか? 私たちは、日本人、アメリカ人、ミャンマー人、などなどの国名で札が貼られるまえに同じ地球をシェアしあう地球人なのではないでしょうか? 日本人が日本から一歩出たら、日本人もその国の人からすれば外国人です。
それがいまやカード1枚、肌色、服装、見た目で判断され、いじめや迫害の的になる世の中です。
マイナンバーカードは外国人、日本人差別なく発行されるのでとてもいいと思います。とくに私みたいに見た目は外国人だけれど、日本国籍の人にとってはとても助かります。かんたんに自分を証明できる気がします。
見た目で判断される世の中はいやだけれど、現実にそういう世の中で過ごす以上はマイナンバーカードは役に立つと思います。
マイナンバーカードは便利な反面、プライバシーが政府から丸見え状態だと不安に思い、まだ持たない方もいると聞きます。マイナンバーカードでもまだまだ課題は山積みに感じます。
木下さんのいうようにカードとは何でしょうか? あらためて思いました。
長谷川留理華(はせがわ・るりか)
ミャンマー北西のラカイン州(アラカン)に生まれる。1992年、首都ヤンゴンに家族とともに移る。身の安全のためロヒンギャ民族であることを公にせずに生活。2001年、たび重なる迫害や差別に限界を感じ家族とともに来日。2013年、日本人となる。現在は、在日ビルマ・ロヒンギャ協会、無国籍ネットワークの運営委員。ロヒンギャ語の翻訳等の業務を行うかたわら、早稲田大学、立教大学、上智大学、獨協大学等で講演。NHK ETV、YOUTUBEの報道チャンネル等の番組に出演して自分の体験した社会問題を広く伝える活動を行っている。
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