すばらしきニッポン政界語│第1回│ぼかし言葉「適切」│イアン・アーシー
「政界語」研究の第一人者(自称)を講師役に、話題の悶絶教材を味わいつくす。
【この講座を受講するにあたって】
一 本講座は、いわゆる「政界語」の理解力を高めたい庶民の一助として開講するものです。
一 政界語とは、永田町を中心に分布し、「政治家」とその近縁種の「役人」とよばれる生きものたちが発する特殊な言語。日本語によく似た言語的特徴を有しながら、政界という不思議な環境で特異な発展を遂げてきました。結果として、日本語で聞き慣れない、日本語と微妙に意味の違う、あるいは日本語としてほとんど通じない表現も多くふくんでいます。そのため、正しく理解するには、日本人であっても、特別な訓練が欠かせません。なのに、その助けとなる教材や参考書は皆無といってもいいでしょう。それが本講座を開講するゆえんです。
一 本講座では、歴代総理大臣や閣僚をはじめ、多くの政治家の方々に教材のご提供をお願いしたところ、快く応じてくださいました。もとい、勝手にその発言を使っています。この場を借りて、心からお礼申し上げます。吹きだすしかない文例もたくさんふくまれていますので、その精神を大事に、「その言葉を笑って、その人を憎まず」という学習姿勢で臨みましょう。
一 「イアン・アーシー」というずいぶん怪しい名前の者が、いったいどういう資格をもって本講座の講師を務めるのか、といぶかしむ受講生もおられるのではないかと予想されます。申し遅れましたが、私は政界語研究の第一人者と自負しております(ひとりしかいないんで)。しかも、日本語を愛する、正真正銘のへんな外人です。それ以上の資格って、いりますか?
第1回講座
ぼかし言葉「適切」
ここでは、国民をケムに巻くための「ぼかし言葉」をとりあげます。用例を集中的に勉強することによって、たぶらかされないための免疫力をつけることが学習目標です。
自分のとった行動、あるいはとろうとしている行動の是非や内容が問われた場合にうってつけのぼかし言葉を見てみましょう。政治家のみなさんが日頃からたいへんお世話になっている「適切」です。
初回の本講座は、ウォーミングアップとして、「適切」のいくつかの用例をダイジェスト的に見ていきましょう。
例文1 まやかしの「適切」
[提供者]
安倍内閣の森まさこ特命大臣(教材提供者の肩書きは発言当時のもの。以下同)
[文脈]
2013年11月、国会で特定秘密保護法の審議のさい。特定秘密を漏えいした者を捜査する過程で、記者に対しては、取材源を明らかにしろというような捜査は行われないよね? と念を押されて。
[文例]
適切に捜査が行われるものと考えております。(2013年11月19日、衆議院にて)
[ポイント]
取材源の捜査はありうると明言すればマスコミは大騒ぎをする。かといって、その可能性は排除したくない。そこで、「適切に捜査が行われる」とごまかします。
例文2 苦しまぎれの「適切」
[提供者]
安倍内閣の小泉進次郎環境大臣
[文脈]
2019年10月、国会で、福島第一原発の汚染水問題に対する考え方を問われて。うまく答えられず、挙句に質問者に「何か答えてくださいよ。何にもないんですか」と追及されるハメに。審議が中断し、しばらくして再開。
[文例]
私、環境大臣としては、この福島県のモニタリング担当していますから、その役割を適切に果たしてまいりたいと思います。(2019年10月15日、参議院にて)
[ポイント]
政界きっての男前だが中身がともなわないことがばれてしまい、「適切に」でなんとかその場を凌ぐしかありませんでした。「適当にやる」以上の意味はありません。
例文3 異星人相手の「適切」
[提供者]
菅内閣の加藤勝信官房長官
[文脈]
2021年6月、記者会見で、UFOに関する調査をする必要性について、およびUFOを目撃したことがあるかと聞かれて。
[文例]
わが国においては従来から対領空侵犯措置、警戒監視、情報収集の任務中を含め、我が国の防衛警備に影響を及ぼす恐れがある情報を得た場合には、適切に対応することとしており、空中における識別不能の物体でもこれは同様であるというふうに考えております。なお、あの、私自身残念ながらUFO、遭遇したことも目撃したこともございません。(2021年6月28日、記者会見にて)
[ポイント]
ようするにUFOにも適切に対応すると言っています。このように、相手がどんなに恐ろしくて正体不明なものでも、「適切に」という言葉さえあれば、自信をもって立ち向かえるのです。少なくとも口先では。
ところで、加藤官房長官はUFOを目撃したことはないと残念がっています。しかし、宇宙人だと評判の鳩山由紀夫元総理のことは目撃しているはずです。適切に対応できたのでしょうか。
例文4 ぶつかりあう「適切」
[提供者たち]
菅内閣の岸信夫防衛大臣および玉城デニー沖縄県知事
[文脈]
沖縄県名護市の辺野古における新しい米軍基地の建設作業。いくら米軍のためと言ったって、沖合の貴重なサンゴを破壊するわけにはいかないので、移植することになりました。2021年7月末、沖縄県は条件つきで移植許可を出した2日後、条件が守られていないとして撤回。防衛省はさっそく不服を申し立てました。例文はそれぞれの言い分です。
[文例]
●岸防衛大臣
今回のサンゴ類の移植にあたっては、専門家の意見を踏まえ、水温を含め、作業当日の現地の状況を確認の上、移植の可否を判断しているところであり、サンゴ類への影響に配慮して適切に行ったものであると承知をしております。(中略)サンゴ類への影響に配慮して適切に行ったものである。(中略)本件の移植については、専門家の助言を踏まえた上でサンゴ類の保全に十分配慮して適切に実施がされたものであります。(2021年8月2日、記者会見にて)
●玉城知事
適切な移植時期を選定するなど『沖縄県サンゴ移植マニュアル』に則り適切に作業を行うこととの条件を付して許可処分を行ないました。(中略)県としましては許可処分を取り消したことは水産資源の保護培養のために必要であり、関係法令等に基づいた適切な対応であったと考えております。(2021年8月2日、沖縄県庁にて)
[ポイント]
どちらも自分のやっていることのほうが「適切」だと主張。まさに「適切合戦」ですね。それぞれの言い分が正反対なので、両方とも同時に「適切」だということは、論理的にありえません。ほんとうに「適切」なのがどちらなのかは悩ましいところです。サンゴ自身に聞いてみてはいかがでしょうか。
教材提供者のみなさま、適切なご指導、ありがとうございました。
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この連載が本になりました(2024年1月19日発売、定価●各1600円+税)
本連載のオリジナル版が、『ニッポン政界語読本[単語編]——ぼかし言葉から理念の骨抜き法まで』『ニッポン政界語読本[会話編]——無責任三人称から永遠の未来形まで』として2冊の本になりました(ともに、イアン・アーシー=著、ひらのんさ=イラスト)。異言語の学習や総選挙の予習に、ぜひ、お求めください。
イアン・アーシー
カナダ人のフリー翻訳家、ことばオタク。1962年生まれ。1984年から3年間、日本の中学校で英会話講師を務めるとともに、日本語を独学で習得。現在、日本在住。翻訳のかたわら、古文書解読などの研究にいそしむ。漢字に目がなく、永遠の日本語学習者を自覚。古代ギリシア語オタクでもある。趣味は史跡巡り、筋トレ、スキンヘッドの手入れ。著書に、『怪しい日本語研究室』(新潮文庫)、『政・官・財(おえらがた)の日本語塾』『マスコミ無責任文法』(ともに中央公論新社)がある。本書は20年ぶりの著書となる。