[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第六期】|第6回|「傷」の自覚と「出会いなおし」の希望(金迅野)|金迅野+木下理仁
[往復書簡/第六期]第6回
「傷」の自覚と「出会いなおし」の希望
金迅野
1
あるクルド人の青年について木下さんが教えてくださったことは、文字どおり、ひとつの物語であって、報道される情報とはその肌理が明らかに異なっていました。ひとりの人間の生が抑圧的に翻弄させられるなかで絞りだされた「声」は、まるでぼくの面前で語られているかのように、迫ってきました。「出会い」には、そのように「声」を「再―現前」させるちからが宿っていると、感じました。
ところで、物語というと、ぼくらは「語る」ことに神経を注ぎがちですが、じつは、物語は、「聴く」他者がいてはじめて成り立つものですね。木下さんが描いたクルド人青年の「声」の背後には、木下さんの「聴く」という行為が静かに横たわっていたのだと、あらためて思いました。
アメリカのハワーワスという神学者が「自分の物語を持っていない人は、偶然手にした物語を唯一の物語にしてしまう」という意味のことを記したことがあります(『暴力の世界で柔和に生きる』日本キリスト教団出版局)。「物語を持っていない人」というのは、「別にとりたてて語るほどのものを持っていない」と漠然と思っている人であるだけではなくて、じつは、声にならないような声、だれも聴いてくれることのなかった声が、ひき続き放っておかれているという状況のなかにいる人、つまりは孤立しつつある人でもあるような気がしています。
エムケというドイツのジャーナリストは、ヘイトはすべからく「確信」に基づいておこなわれるのであって、「確信」がゆらがないためには、対象について理解することを拒否しなければならない、と述べています(『憎しみに抗って』みすず書房)。その人のことを知ったり、理解しはじめるとヘイトは持続できない。考えてみれば、ヘイトのなかで熱狂する人は、ヘイトの物語をどこかで偶然手にしたのではないか。そして、そのヘイトの確信を持続するために、対象に対しての理解を拒否しつづけているのではないか。そこにあらかじめ欠けているのは、「自分の物語」とあわせて、前回も少し申し上げた「出会い」への期待だと思うのです。
だれの声も聴かない、だからだれからも聴かれることがないという時間の蓄積の果てに訪れるのは、底しれぬ孤立感なのではないか。あらゆるヘイト現象の背後にはそのような深いひとりぼっちの次元が横たわっているように思います。
2
「痛みのセンサーは遠くの人には働きにくい」という木下さんの言葉もうなずけるものでした。ところで、「隣人愛の犠牲になるのは、離れている人々だ」「わたしは隣人から逃げること、遠人への愛、を勧める」と語ったのはニーチェですが(『ツァラトゥストラはこう言った』)、この言葉が、木下さんのおっしゃったこととかかわっているように思いました。
ぼくらは、すべての人を愛することはできませんから、かけがえのない人を愛することなど、「近い」ところへの関心や出会いを軸に経験を紡いでいくものと思います。そこで、ぼくが考えるのは、この「近さ」と「遠さ」は物理的な距離ばかりを指すのではないかもしれないということです。
かつて在日コリアンは「見えない人びと」と言われました。身近にいるのに、いることを多くの人が忘却している。いわば透明人間化していた。公務員になれない、銀行の融資を断られる、家も借りにくいなどの生活上の理由から、あるいは、「外国人」だと明らかになるといじめられるかもしれないという不安から、植民地時代に使っていた「通名」をみずから使ったりしたことも、この「透明化」に加担していたと思います。
しかし、このような「心の溝」をつくり、存在の「遠さ」をもたらしたものの正体はなんだろうと考えたとき、ある事柄が想い起こされます。それは、1965年の「日韓国交正常化」によって、「朝鮮籍」という「無国籍」者が生まれたことなどをめぐって(木下さんが『国籍の?がわかる本』で絵解きしてくださっていますね)、法務省の官僚が同年に上梓したみずからの著書『法的地位200の質問』のなかで、「煮て食おうと焼いて食おうと自由」というふうに記していたことです。1969年に国会の法務委員会でも質問されるほど物議をかもしたこの発言を表出させた感性こそ、「遠さ」が単に物理的な距離を示すとは限らないものであり、現代の外国人の人権軽視の伏線となりうるものであることの証左のように思えるのです。
1979年、凄まじいいじめによって在日コリアン中学生の林賢一くんがマンションから飛び降りて自死するという事件が起きましたが、当時いじめに加担していた中学生のひとりは、「朝鮮人にはなにしてもいいということになっていた」と語っていました。近くにいるけれども「見えない人びと」は「遠人」とみなされていたのかもしれません。そして「遠人」にはなにをしてもかまわないという認識が草の根で広がっていたことがうかがえます。
一方で、いま現在起きていることとして、「近く」にいるはずの難民申請者に対して、収容施設で目を覆うような死に至る暴力が振るわれてしまっています。これらの異なった時間に起きた異なった出来事の根っこには、あの「煮て食おうと焼いて食おうと自由」の感性、「遠人」のいのちへの無関心が横たわっているように感じられてなりません。
自分の身内といえるような「家族」「国民」「宗教共同体」などの内部や親密圏にのみ「隣人」を見出すよりは、そうした狭い「われわれ」の枠組みをずらしてゆくことで、一般的に「遠人」とみなされる存在、あるいは身近にいるのに「遠人」とみなされているような存在をも「隣人」として迎えられるような社会。そのような社会は、「確信」に満ちた排除によって分断に分断を重ねるような社会ではなく、出会いによって自分自身と他者の双方が揺らぐことを前提に紡がれる「共に生きる」社会なのではないでしょうか。その意味で木下さんの「ゆさぶられることを楽しむ」という言葉におおいに励まされました。
そして、いまはまだささやかな動きですが、たとえば、ガザの人びとの被っている理不尽な傷と痛みに共感を示そうとする学生や市民が、「遠人」であるパレスティナの人びとと自分とのあいだに目に見えない「関係の網の目」を紡ごうとしていることに、ぼくは希望を見るような気がしています。これは蛇足ですが、キリスト教も少なくとも半分は、「隣人」のなかに「遠人」を含む考えをもっているはずだ、とぼくは考えています。
3
“hospes”という言葉があります。ホストとゲストの両方の意味をもつ両義的な言葉だそうです。興味深いのは、この言葉が、“hospitality(歓待)”と“hostility(敵意)”という、相反する意味の言葉の語源になっていることです。ホストから見てゲストは外界からよいものをもたらす可能性のある存在であると同時に、厄災をもたらす可能性をもつ存在でもある。このことの経験が、この言葉には埋め込まれているというのです(『都市と野生の思考』鷲田清一・山極寿一、集英社インターナショナル新書)。
在日外国人や移民、マイノリティについてなにかを分かちあおうとするときに、ふと、そういうグループに属していない、つまり自分をマジョリティと同定する人から、「わたしだってかわいそうなんです」というつぶやきが湧出しうると思っています(だれでもすみからすみまでマジョリティであったりマイノリティであるということはない、と前回申し上げました)。ぼくは、そういうつぶやきを「けしからん」などと叱りつけるのは違うと思うのです。
辺見庸さんが、「競争に勝て、しかし元気でいろ」と無言のうちに命令されるこの社会では「生体が悲鳴をあげている」と言ったことがあります(『しのびよる破局』角川文庫)。そんな社会のなかで「わたしだってかわいそう」とつぶやくことは、自分にも身におぼえのあることですし、多くの人が経験していることだと感じます。
だからこそ、ぼくは、そうつぶやく人がそれと知らず立っている分岐に注目すべきだと思うのです。それは、「生体が悲鳴をあげる」なかで、ある種の不安や不遇感を深く抱きながら、「この不遇感をもたらすのはあの他者のせいだ」という「確信」をもってだれかを排除し「hostility 敵意」に満ちた自分を練り上げていくのか、それとも、前回書いたように「出会い」によってもたらされる「世界には、自分が経験した痛みとは違う痛みがある」ことの経験をもとに「hospitality 歓待」に満ちた自分を練り上げていくのか、という分岐です。
4
「あたまのいい人にはわからない」ということについて。これは、さまざまな背景をもつ人たちが集まる、ある定時制高校で部活動の顧問をしているときに出会った学生に教わったことです。いわく。「先生、勉強できるけど、あたまわるい人いるよね」。
韓国では学生たちは「スペック」を上げる人生をめざします(最近、日本の若い人もこの言葉を使うことがあると教わりました)。日本よりも激しい競争社会といわれる韓国社会では、進学や昇進のさいに求められる客観的能力(さまざまな資格や数量化された外国語能力など)を他者より少しでも上回らせることが「成功」と「幸せ」への確実な道であるという「常識」が根強く広がっています。韓ドラなどでもたびたび登場しますが、「スペック」はしかし、単純な「競争力」によって可視化された順位だけでなく、出身階級の上下や貧富の格差などのあり方も含まれるもので、ぼくなどは、不条理な差別の温床になっていると感じています。そもそも、人間のあり方を、機械の性能を表す「スペック」という言葉で表現しようとする構えにどこかぞっとするものを感じるのはぼくだけでしょうか。
定時制高校に通っていたその学生は、昼間は働きながら家計を助けつつ学校に通っている人でした。定時制に通う学生は、「全日制には行けなかった落ちこぼれ」や「正規でない」「あたまわるい」などの思い込みの視線を世間から多く受けるばかりでなく、そのような視線を内面化する傾向があり、「どうせ、うちなんて」という言葉を耳にすることがよくありました。そういうなかで先の言葉は発せられたのでした。
その言葉が当時のどのような社会背景や文脈のなかで発せられたのか、正確に記憶していませんが、バブル崩壊後の政治家や官僚やコメンテーターなどが言っていることへの異議のようなものが含まれていたと思います。「スペック」が高い人(あたまがいいひと)は、勉強はできるかもしれないけれど、人の痛みに対しては鈍感で、自分はいつも安全なところにいながら、なにごとも人ごとのようにスラスラと話す。そういう意味合いだったと記憶しています。
「痛み」や「出会い」や「共感」などの言葉をとおして、ぼくがいろいろなことを考えつづけてきたことの背後には、あの学生の小さなつぶやきがあったと言っても過言ではありません。「あたまのいい人にはわからない」。木下さんに、ひょっとしたらぶっきらぼうに口にしたかもしれないその言葉には、“re-present 再―現前”された、あの学生の「声」が息づいていたのかもしれません。
そして、その言葉には、他者の「痛み」との「出会い」をあらかじめ排除しているという意味で、「あたまのいい人」が志向するものと、「煮て食おうと焼いて食おうと自由」がはらんでいる「hostility 敵意」とのあいだの関連を嗅ぎとる嗅覚が含まれていたと感じています。そういう「敵意」をはらんだ「あたまのいい人」の感性をその学生は、ある怒りをもって「あたまがわるい」と表現したのでしょう。
5
この書簡で、「出会い」の大事さについて何度か述べてきました。しかし、ふりかえるとじつは、ぼくには「出会い損ない」の経験のほうが多かったように思います。「出会い損ない」とは友人から教わった言葉で、「出会う」べきなのに、聴く耳が閉じていたり、「痛みのセンサー」がオフになっているなど、こちらの欠けや破れのせいで、「出会う」という出来事が生じなかった経験を自覚化するための言葉です。先に「エスニック・キャンプ」のことを、木下さんと共通する記憶として述べましたが、そのなかで「出会った」つもりでいたある人と、のちにすれ違ってしまったりしたことがありました。それは、「出会いなおす」ことができず「出会い損な」った出来事といえるものでした。
「出会い」や、そのための「聴く」という行為は、オリンピックの記録のように、あるときできたことを保持できると考えることは意味のないことです。「出会い損ない」は、一度「出会い」を経験した人とのあいだにも生じえます。しかし、逆にいえば、自分のからださえ整っていれば(「痛みのセンサー」が生きていれば)、「出会い損なった」人とも、いつかまた「出会いなおす」ことができる、ということでもあります。
パレスティナ出身の思想家サイードは、アイデンティティはすべからく「傷」とかかわっている、と述べたことがあります(『フロイトと非–ヨーロッパ人』平凡社)。「出会い損ない」の記憶は、まぎれもなく「傷」です。しかし、その「傷」の自覚があるからこそ、「出会いなおし」の希望が生じるのであり、そこから新しい「われわれ」を展望できるのだと考えます。
ここまで、ヘイト現象を考えることに主眼をおいて書いてきましたが、一方で、ヘイトなどの暴力によって被る「傷」も存在します。そのような「傷」をぼくらが負うときにも、孤立は起こりえます。この場合の「出会いなおし」は、最近、「和解学」の分野でもさまざまな言及がなされているように、「赦し」という行為をともなう険しい道のりです。
このもっとも困難で奇跡的な行為をアーレントは、この世における「人間に帰せられる可能性」、と表現しています(『活動的生』みすず書房)。この「赦し」の次元をとおしてはじめて、加害/被害双方の孤立は解消され「和解」が訪れ、新しい「われわれ」が「構想」されうるのだとしたら、木前利秋さんがカントやアーレントの考えを紹介しながら指摘するように、とりわけ加害の側に「自己反省」が起きることが必要です(『メタ構想力』未來社)。この「自己反省」は、キリスト教会では、「赦し」に対応する行為としてメタノイア(悔い改め、原義は生き方の方向を変えるの意)と受けとってきました。
加害/被害のどちらの側にも立ちうるぼくらが「わたしだってかわいそう」とつぶやくとき、佇んでいるその分岐点から「歓待」のほうに向かうのは、「傷」をもつ自分を愛せるかどうかにかかっているような気がします。とりわけ加害の側に立っているときに、「傷」などなかったことにしながら、「傷」の中身である「出会い損ない」の経験の意味を問いかけてくる「隣人」や「遠人」という他者を、自分に「ゆらぎ」という危害を加え、誇りを奪い、汚し、不利益をもたらす存在として排除し攻撃する「敵意」で自分を満たしてしまうこと。それこそが今日のヘイトの本質だと思いますし、この場合自分を愛せないとはそういうことのように思うのです。
「悔い改め」不在の、そのような「敵意」に満ちた身振りから離れて、「和解」の奇跡をみすえた「歓待」の身振りを日々整えることをこそ、ぼくはめざしたいと思います。
この往復書簡をとおして、ぼくは、木下さんとの「出会いなおし」に向けて一歩踏み出せたのかもしれません。それは、自分の意志でたぐり寄せたというより、与えられた「ラッキー」な出来事であったと感じています。「出会い」や「出会いなおし」をとおして、「歓待」の方向に向けて「われわれ」を「構想」する世界へとぼくらは導かれている。そのことを信じて、歩んでいきたいと思います。
■この連載が本になります(2024年冬発売予定、予価2000円+税)
2021年2月から全6期にわたって、木下理仁さんが6名のお相手と、「わたし」と「国籍」の関係のあり方を手紙を通して考えてきた本連載の単行本化が決定しました。未公開の対話や、それぞれの著者による書き下ろしなどを加え、国籍ってなんだろう? 国籍や見た目の違う他者とどう関係を紡げばいいだろう? いった国籍とどうつきあっていけばいいだろう? という問いを深く探る一冊になる予定です。どうぞご期待ください。
金迅野(きむ・しんや)
在日コリアン2世の父と自称江戸っ子の日本人の母のあいだに東京で生まれた。東京には台湾人のいとこが、朝鮮半島の南北にもいとこがいる。出版社、神奈川県国際交流協会、川崎市ふれあい館などを経て、2012年から在日大韓基督教会横須賀教会牧師。2020年から立教大学大学院特任准教授。専門は、実践神学、多文化共生論、人権教育など。共著に『ヘイトをのりこえる教室』(大月書店、2023年)。