こんな授業があったんだ|第48回|小麦栽培からパンづくりまで〈後編〉|伊東巌

こんな授業があったんだ 授業って、教科書を学ぶためだけのもの? え、まさか。1980〜90年代の授業を中心に、発見に満ちた実践記録の数々を紹介します。

授業って、教科書を学ぶためだけのもの? え、まさか。1980〜90年代の授業を中心に、発見に満ちた実践記録の数々を紹介します。

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小麦栽培からパンづくりまで 〈後編〉
(小学1-2年生・1973年)
伊東巌

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パンづくり

粒と粉

 夏休みが終わって9月になった。小麦から小麦粉にするにはどうしたらよいだろう。
 子どもたちのなかには、自分たちの育てて収穫した小麦がパンになるとは、どうしても信じられない子もいた。パンは白いのに、小麦は小麦色だ。ほんとに白くなるのだろうか。もっともな疑問である。子どものなかには、脱穀したとき、小麦をつぶしてなかが白いということを知っている子もいた。だから、つぶせばよいというので、金づちでつぶした。そうすると、ぱっと白くこなごなになった。「先生、なかが白いよ」といって驚く。やっぱり白い色だ。「うちの小麦粉の色といっしょ」とか、「小麦粉みたい匂いがする」といってつぶした。つぶした小麦をノートにセロテープで張ると、白い粉と小麦色の皮があることがわかった。
 ひとりの女の子が大声で叫んだ。「先生、わかった。パンのまんなかは白いけど、まわりが黒いのは、この皮のところだね」子どもの発想は楽しいものだ。こんな体験を重ねて、ものについての鋭い観察眼が育つのではなかろうか。この場合は、たまたまあやまった結論になったが、人間の知恵は、このようなあやまりを重ねながら発展するのではないだろうか。この女の子の発見にたいして、ある男の子は「そうじゃあないよ。あのパンの耳のところは焼いたのでこげた色だと思うやあ」と反論した。多くの子は、そうだ、そうだといった。給食のとき、パンの耳の匂いをかいだ。焼けた匂いだった。

石うすで粉にする

 つぎに、小麦を石うすで粉にすることにした。石うすは母親が二つ持ってきてくれた。とても重い。石うすはもはや家庭では使われない道具の一つである。子どもたちは石うすを見るのがはじめてなので、どのように使うのか興味しんしんである。石うすのまわりに集まってきて、黙って、じっとみつめている。わたしは小麦を少しずつ石うすの穴に入れてまわした。ゴリゴリと音がひびいた。どこから粉がでてくるのだろう。やがて、石のあいだから白い粉がばらばらと新聞紙のうえに落ちた。小麦粉だ、と大喜びであった。
 さっそく班ごとに自分の食べるパンの原料をつくる作業にとりかかった。毎日、交代で休み時間や放課後、石うすをまわした。

  ★ぼくははじめ、横の四角な穴から小麦の粉がでてくると思った。
  ★この木のトンカチみたいものは何かと思った。
  ★石うすはタイヤみたいだなあ。(石の刻みを見てそう思った。)
  ★手にマメができちゃった。いっしょうけんめいやったから。

 もうすぐパンができるぞと、みんな大はりきりであった。

小麦粉を焼く

 ようやく、パンを焼くところにたどりつくことができた。
 パンを観察することから授業にはいった。どのパンも、なかがやわらかい、白い、小さい穴がたくさんあいている。いろいろな形はあるけど、どのパンもだいたいそんな共通点がある。どうして、パンには穴がいっぱいあいているのだろうという疑問をもった子もいた。その疑問は少しとっておいて、小麦粉に砂糖を入れて焼けば、とにかくパンになるだろうという子どもの声を取りあげて、実験にとりかかった。フライパンで焼いた。よい匂いがろうかにも流れた。隣の教室の1年生が窓から匂いをかいでいる。いいなあ、2年生は。2年生は、得意になって、いまにすごいパンが焼けるぞ、といばっていた。やがて、焼きあがったパンは、餅のように平べったくて、パンのようにふかふかにならない。ナイフで切ってみると、ぶつぶつの穴がないのだ。子どもたちは、ふかふかやわらかいのは穴と関係があることがわかった。穴をつくるには、イースト菌を入れるのだとお母さんがいった、と男の子がいった。じゃあ、イースト菌ってなんだ。なんだか知らないが、イースト菌を入れると、穴ができるという。パン屋さんに作り方を教えてもらおう、ということになった。

パン工場見学

 運動会が終わり、秋らしくなった。2年生は給食のパンをつくっているエビスヤパン屋の工場見学にでかけた。イースト菌ってなんだろう。ほかにどんなものを入れるのだろう。ずいぶん大きい機械でパンを焼くのだろうな……。ノートに質問をいっぱい書いていった。自分たちの課題を解決するために、おじさんの話をよく聞いた。イースト菌はイースト博士が発見したんだって。やっぱり、ふくらますのにイースト菌を使うそうだ。材料、つくる順序、つくるときの注意などノートにしるしてきた。工場でパンをつくる機械にびっくりしながら、パンができる工程がわかってきた。帰りに生イーストやショートニングをもらって、さあ、ぼくらもつくるんだと意気さかんであった。

パンを焼く

 工場見学で学んだことをまとめた。パンをつくるには、原料を集め、計量し、こねる。発酵させ、ガスを抜く。またこねて、こんどは形をつくる。ふたたび発酵させてから焼く。この工程を確認して、パンづくりにとりかかった。
 計量することができないので、お母さんの応援をたのんだ。ポールでこねはじめると、手にべとべと小麦がついた。しばらくこねているうちに、ねばりがでてきて餅状のパンだねができた。教室の窓ぎわのいちばん暖かいところに、パンだねをねかしておいた。2時間ぐらいたつと、ふっくらとふくらんでいた。指でつつくと、すっとへこむ。それがおもしろいとまたつついた。もう一度、こねた。思い思いの形をつくり、アルミ箔のうえに置いた。ふたたび発酵させ、いよいよパン焼きである。家庭科室にオーブン4台をならべ、お母さんに手伝ってもらって焼いた。

子どもたちと父母の声

 子どもたちは、このパンづくりにどんな感想をもったであろうか。

「1年近くかかって、やっと、おいしそうなパンのかたちができて、2年1組はパンが作れるぞ、とじまんしたくなります。かたちを作ってやいて、早く食べたいです。なぜって、自分の作ったパンだからです」(みほ)

「かたちを作りました。はっこうしたので、ふくらんで、ふわふわトランポリンみたいでした。そして、つっついてみたら、ぽこんとへこんでしまいました。そして、こねました。1年生の時たねをまいて、もう1年近くたっています」(もち山)

「おかあさんたちはあつそうにやいていました。まっていた時、わたしのパンはおいしくやけるかな、とか、早くできないかな、と思いました。わたしは、はじめの『ぞう』ができた時、うれしかったです。わたしがさわっていると、すごくやわらかでした。だから、わたしは、これはおいしいぞと思いました。食べてみたら、とってもおいしかったです。わたしはやっぱり自分ちで作ったからおいしいと思いました」(佐野)

「ぼくはやき上がったパンをみたら、このパンおいしいかなあと思った。でも、やく時には、まちきれなくて、やっとできたんだ。ぼくたちが1年かかってやっとできた。めがでて、大きい麦になって、かりとって、小麦をひいて、小麦こにして、やっとできたパン。ぼくはパンができるまで、まちきれなかった。やき上がったパンを食べたらおいしかった」(塚本)

 焼けたパンをたいせつにアルミホイルに包んで家に持って帰った。父母はなんといったであろうか。

「先生、ありがとう。お麦をまいて、収穫し、粉にしてパンを作る。どんなにかたいへんなことだったでしょう。口ではかんたんですが、ほんとに偉大な製作だったと、心からご苦労さまとお礼のことばをのべたいと思います。子どもの喜ぶ顔、自分たちの手で仕上げたうれしさ。先生と子どもたちの根性のかたまりのパン。よくやったみなさん。『いただきます』といって試食させていただきました。見たことのない石うす、パン工場の見学、一生の思い出となり、忘れることのできない学習だったことでしょう」

「毎日、口にしているパンですら、小麦をひいて粉にして、それから……。親として子どもに教えたことがあるでしょうか。いまになって、体験から教えてくださった先生のご苦労に対して感謝しています。子どもたちは、小麦がパンになるとは考えてもいなかったと思います。あたたかいパンをたいせつな宝物でも扱うかのように、だいじに私に見せてくれた時のうれしそうな顔……。だれにもやらないよ。これはぼくが食べるんだよ、と大いばり。それからというものパンを食べるたびに、あんこは機械で入れるんだとか、これはやきすぎかな、とか話してくれます。とにかく、たいへんよい経験を子どもたちはしたと思います。これからも子どもたち自身の頭で、どうしてかな? なぜだろう? なんだろう?と、いろいろ考えるようになってほしいと思います」

 そのほか、父母からたくさんの感想を寄せていただいた。そのほとんどは体験から学ぶパンづくりの学習のよさをほめたものでした。そして、家ではできない学習を、学校で計画的にとりあげて学ばせてもらったことにたいする感謝のことばでした。

 パンづくりの学習のまとめとして、「パンができるまで」の紙芝居をつくり、参観会で発表した。また、学習発表会では2つのクラスが合同で劇化し、全校児童や父母のまえで演じた。

体験を認識にまで深めなければ

 楽しく学ばせることは自分のからだをとおして学ばせることだ、という点から出発して、小麦づくりからパンづくりまでの実践をした。しかし、この体験学習も、それだけでは、子どもたちの学力にならないと思う。低学年の学習はこれでよいと思うのだが、この学習は、つぎの学習の基礎でなければならない。そのためには、低中高の系統的な学習を用意しなければならない。
 この学習は、労働や生産という位置づけの基礎である。ものをつくりだすのは人間である。働くことによって人間の社会ができてきたのだ。しかも、このパンづくりは、農業労働と手工業の過程が組み合わさってできている。自分がまいたものは、自分が刈りとり、自分が食べる、という素朴な経済のうえにたっている。自分で働いて育てたり、作ったりしたものが自分のものにならない社会にたいする諸問題を、このパンづくりの学習の発展として展開することが、これからの課題となるであろう。
 新しく高等学校の指導要領が改訂され、労働体験学習のような学習がもりこまれているという。ただ体験する、労働すれば科学的認識にいたる、というものではないことは明らかである。ましてや、教科についていけないものは労働せよ、ということであれば、むしろ労働蔑視である。

 大里東小学校における小麦づくりは、つぎの学年にも引き継がれ、毎年、小麦をまいて育て、パンづくりをしている。また、パンづくりの学習は、市内の学校にも広がっていることを付記して、この記録を終わる。

(おわり)

出典:『われら生涯ヒラ教員』所収、1979年、太郎次郎社

伊東 巌(いとう・いわお)
1931年、生まれ。静岡県小学校教員。静岡市の教員の同人誌『野火』に所属。