いっそ阿賀野でハラペーニョ!|第4回|捕獲されたイノシシを撮る|高松英昭
第4回
捕獲されたイノシシを撮る
猟師のOさんと山に入る
「ほら、あそこにマムシがいるからね」
猟師のOさんが、公園でカマキリでも見つけたように言った。指さす方向をみると、連なった円の中に黒点を落とした銭形模様のマムシが変態的に体を折り曲げて、枝の葉に溶け込んでいた。Oさんに教えてもらわなければ、私は気づくこともなかっただろう。Oさんはマムシのことなどかまわずに、獣道をたどって山林のなかにズンズン入っていく。
私はあとを追うのをためらっていた。ヘビが苦手なのだ。しかも、毒ヘビを見たばかりだから、なおさら躊躇する。「僕はここで待ってます」とも言えないので、カメラを首からぶら下げると、両手で枝をかき分けながらOさんを追った。
山の麓にある阿賀野市ではイノシシなどの農業被害も少なくない。山を下ると、すぐ平野になり水田が広がっている。目玉焼きのような地形で、山を黄身に見立てると、平野が白身のように広がっているのだ。私はイノシシ捕獲の現場を取材したいと思っていた。俳優が移住先の狩猟生活をYouTubeで配信して人気を得ているし、狩猟をテーマにしたコンテンツも多い。狩猟に興味をもつ移住検討者は多いと考えていた。
鳥獣被害対策を担当する農林課農林整備係に取材の相談にいくと、「ちょうど、わなを仕掛けた場所に赤外線感知センサーを取り付けにいくので、いっしょに行きますか」と誘ってくれた。その現場で紹介されたのが、市の鳥獣被害対策実施隊の隊長であるOさんだった。実施隊は地元猟友会のメンバーで構成され、わなを仕掛けてイノシシなどを捕獲していた。イノシシは繁殖能力が高く、捕獲しないと農業被害は増えていく一方になるという。
Oさんは気さくな人柄で「イノシシのわなを仕掛けている場所を案内してあげるから、軽トラの助手席に乗っていいよ」と気軽に応じてくれた。
「これが、イノシシが通った跡だよ」
案内された茂みをよく見ると、たしかに草がわずかに倒れて、筋のような跡がついている。幅30センチにも満たないので、教えてもらわなければ私にはわからない。「雨が降ったあとなら、ぬかるんだ地面に足跡がついて、もっとわかりやすくなるんだけどね」とOさんは言った。野生動物がいちど通った道は、ほかの野生動物も使うようになるという。「動物ハイウェイみたいなものができるんですね。なんか面白いですね」と私が言うと、「そんなもんだね」とOさんは小さく笑った。
わなを仕掛けてある場所に行くと、軽トラの助手席から、長方形の箱型になっている鉄格子が見えた。「あれが箱罠。不用意にわなに近づくと危ないから、車から見える場所に仕掛けるようにしているんだ。とくに、子熊が入ってしまうと、興奮した親熊がかならず近くにいるから危ないんだよ」と、Oさんが運転席でハンドルを握ったまま、箱罠を眺めながら言った。
わなは、箱罠とくくり罠の2種類ある。箱罠は高さと幅が1メートルほど、長さが2メートルほどの箱型の鉄格子で、なかに米ぬかをまいておく。米ぬかに誘われてなかに入ったイノシシが仕掛けに触れると、扉が落ちる。鉄格子のなかに閉じ込めて捕獲するのだ。
くくり罠のほうは、イノシシの通り道に仕掛けておく。イノシシがわなを踏むと、バネで輪っか状のワイヤーが閉じて、脚をくくって捕獲する。周辺にある落ち葉や小枝でわなを覆ってカモフラージュして、手前に大きな木や枝を置き、それをまたいだイノシシがわなを踏むようにするという「ブービートラップ」のような仕掛けだ。イノシシが通る道を見きわめて、ピンポイントでわなを仕掛けないといけないから、熟練の経験がなければイノシシが掛かることはまずない。
「イノシシは警戒心が強くて、頭もいいからね。知恵くらべだよ。それに鼻が利くから、少しでも人間の匂いがすれば、絶対に近づかないよ。虫よけスプレーもだめだよ」
Oさんが茂みのなかを歩きながら言った。足腰を痛めているOさんはアスファルト道路を歩くときに杖をつくこともあるが、茂みのなかに入ると歩行速度がなぜか早くなる。4WD駆動に切り替わるように、足腰にスイッチが入るのだ。
農家でもあるOさんは理容室から髪の毛をもらってきて、田んぼの周りにまいている。人間の匂いがするから、イノシシ除けになるという。田んぼの畦道に髪の毛が散らばっているのを想像すると、なんだかスプラッター映画みたいな光景である。それほど、イノシシによる農業被害は深刻だ。イノシシは体についたダニなどの寄生虫や汚れを落とすために、田んぼのなかで転げまわる。そうなると、コメに獣臭がつき、その田んぼの収穫はあきらめないといけなくなるという。まさに、「くさい飯」になってしまうのだ。
捕えられた獣の息と体温
「高松さん、イノシシがわなにかかったから、写真を撮りにきな」
早朝、市役所で食べる昼食用のおにぎりを握っていると、Oさんから連絡があった。Oさんは毎朝、軽トラに犬を乗せて、仕掛けたわなを見まわっている。私の自宅から5分ほどのところに仕掛けた箱罠に、イノシシが入ったという。
「すぐに行きます」。作りかけのおにぎりをあわてて握り終え、私は家を出た。現場に着くと、Oさん以外にも狩猟用のオレンジ色のベストを着た猟友会の人たちが集まっていた。
「ほら、高松さん、早く写真を撮りな」
Oさんは私が写真を撮るのを待ってくれていたようだった。30メートルほど先に箱罠が見える。イノシシが鉄格子に向かって何度も突進しては、頭から体当たりしている。鉄格子に頭をぶつけるたびに、ガシャンと音を立てて箱罠が揺れている。体長は1メートルほどだろう。カメラを片手に箱罠に近づくと、イノシシと目が合った。イノシシは踵 を返し、こちらに尻を向けて反対方向にゆっくりと歩きはじめたが、私が箱罠のすぐわきにしゃがむと、私に向かって突進してきた。
突進してきたイノシシの頭が私の目前にある鉄格子にぶつかると、音を立てて箱罠は揺れた。離れていたときはガシャンという金属音しか聴こえなかったが、まぢかで聴くと、鉄格子が軋む音や金属が肉の塊を弾くようような、なんともいえない鈍い音が混じっている。
イノシシの額から血が流れていた。怒りと恐怖が交じりあったようなイノシシの吐く息が鼻腔に入り込んでくる。同時に、鼻腔をとおして生温かい体温も感じた。格子状に組んだ数ミリ幅の鉄の棒が、「生の世界」と「死の世界」を切り分けている。
私はイノシシの「生命」を感じたいと思っていた。ただ連絡をもらってカメラ片手に来た私は、どこか後ろめたい気持ちがあった。ただの自己満足だとしても、できるだけイノシシに近づくことで、生から死へと転じる世界に自分の身を放り込みたかった。
もう一度イノシシがこちらに突進してきたときに撮影しようと、カメラを構えた。ガシャンと鉄格子にぶつかる鈍い衝撃を感じた。「生の世界」にいる私は、まもなく息や体温が途絶える「死の世界」にいるイノシシに向かってシャッターを切った。
ところ変わればスキルも変わる
家から車で1分ほどのところに、山を背にしてローソンが建っている。そこから山に向かって数分ほど車を走らせれば、イノシシを捕獲した場所にたどり着く。そのあたりの畑江地区は戦後、満州から引き揚げた人たちが開拓した土地である。ローソンの近くに「開拓之礎」と刻まれた石碑が建っている。碑文には貧困と重労働にあえぎながら、山林を開拓した人たちの苦難の歴史が刻まれている。
この地区で育った人が市役所にいて、「ほとんど人力で木を伐採し、巨木の切り株をダイナマイトでふっとばしながら開墾したらしい」と、伝え聞いた話を教えてくれた。戦後まもないころ、戦地からの引き揚げ者の受け入れや人口増加にともない、全国各地で山林を切り開き、田畑を開墾して生活圏を拡大してきた。だが、いまでは過疎化が進み、開墾した田畑も耕作放棄地となった。畑江地区も例外ではない。イノシシなどによる農業被害が増えているのも、里山が荒廃して、人間の生活圏と動物の生活圏があいまいになったことが要因に挙げられている。
「野生動物が人間に奪われた土地をとり戻しにきているのかもしれないね」
地域おこし協力隊員のTさんが言った。Tさんは畑江地区と同じ山沿いにある村杉地区で暮らし、Oさんから農業と狩猟を学びながら、自給自足に近い生活をめざしている。村杉地区にはラジウム温泉で有名な五頭温泉郷があり、自宅にお風呂をもたないTさんは、村杉温泉の共同浴場に通っている。地元割でかなり安く入浴できるらしい。
「ずっと非正規で働いていて、退職金もないでしょ。50歳も過ぎて老後への不安があったから、農業と狩猟を学んで、食料を自分で手に入れられるようになれれば安心かなと思って」
自家製のイノシシ肉の燻製をほおばりながら、Tさんは言った。
就職のためにパソコンの「スキル」を学び、賃金を得て食料を買うことを選ぶのではなく、Tさんは生きていくために必要な食料をダイレクトに手に入れるために、農業や狩猟の「スキル」を学んでいる。先行き不透明ないまの世の中、なにが起こるかわからない。「生き抜く」という生物として根源的な目的から考えれば、必然的な選択かもしれない。そういえば、以前、知り合いの農家の助けを借りながらコメ作りをして、わが家に1年分のコメ袋が積みあがったときには、そこはかとない安心感があった。
農業や狩猟の「スキル」はオフィス街では必要とされないかもしれないが、畑江地区や村杉地区ではワードやエクセルよりも実用的な「スキル」かもしれない。Oさんの狩猟の「スキル」は、株取引におきかえるなら「トップトレーダー」クラスである。ささいな変化を洞察して株式市場の動向を正確に読むように、イノシシの動向を先回りしている。
必要な「スキル」は、どのような「暮らし」を求めるかで変容する。「暮らし」の多様性が失われれば「スキル」は画一化して、さまざまな社会環境に適応する弾力性を失っていく。山間部では里に下りてくる野生動物をはね返し、共存する弾力性を失いつつあるのだ。
「イノシシが頻繁に里に下りてくるようになったのは、ここ数年のことだよ」とOさんは言う。農業や狩猟の「スキル」をもつ人が減り、人と野生動物との適切な距離感が保てなくなっているのは間違いない。Oさんは子どものころから父親に連れられて山に入り、必要な「スキル」を学んできた。過疎化は人口減だけの問題ではなく、その土地で生活するための「スキル」をもつ人材を失うことにもつながっている。ただ、ほかにも要因がある。
「かわいそうに。山に食べるものがなくて、里に下りてきたんだろう」
痩せほそったイノシシを捕獲して、Oさんが言った。
「人間も悪いんだ」
Oさんはそうつぶやいた。その年は記録的な猛暑が続き、雨の降らない異常気象が続く夏だった。
(つづく)
高松英昭(たかまつ・ひであき)
1970年生まれ。日本農業新聞を経て、2000年からフリーの写真家として活動を始める。食糧援助をテーマに内戦下のアンゴラ、インドでカースト制度に反対する不可触賤民の抗議運動、ホームレスの人々などを取材。2018年に新潟市にUターン。2023年から新潟県阿賀野市で移住者促進のための情報発信を担当する地域おこし協力隊員として活動中。
著書(写真集)に『STREET PEOPLE』(太郎次郎社エディタス)、『Documentary 写真』(共著)などがある。