雑踏に椅子を置いてみる|第3回|コミュニティを破壊して再生する|姫乃たま
第3回
コミュニティを破壊して再生する
姫乃たま
初めての形ある居場所
大学を卒業して数年が経った2016年ごろ、ファンの人たちと定期的に集って遊べる空間があればいいなと思って「RRR」に加入しました。具体的には私の部屋にファンの人たちが遊びにきてくつろぐイメージです。RRRは「両国楽園ルーム」の略で、出版社や音楽レーベルの代表、デザイナーさんたちが有志でお金を出しあって借りている両国の雑居ビルにある一室です。
そこでは週末になるとメンバーの誰かしらがパーティを開いていて、私もプライベートで何度か遊びにいったことがありました。メンバーのみなさんとは何年も仲がよかったのですが、なぜか加入しようと思いついたことはなくて、おずおずと「仲間に入りたい」と伝えたとき、みんなが歓迎してくれてうれしかったです。これまで芸能事務所に所属することもなく、いまでは学校にも企業にも在籍していない私にとって、初めての形ある居場所でした。
RRRの加入から8年ほど経過していますが、いま思うと、現在も応援してくれているファンの人たちは、このころ出会った人たちがほとんどです。体感では今日まであっという間でしたが、8年も飽きずに応援してくれているのだと思うと、信じられないほどしみじみとありがたいことです。
このころのファンは30代〜50代の男性が大半を占めていて、そこに私と同世代の女の子たちが何人か通ってくれていました。地下アイドルのファンというと「危ない人もいるんじゃない?」とよく訊かれますが、おとなしくて控え目な、でも面白い人が多いです。私の所感だと、グループアイドルのファンは舞台上が賑やかなのに合わせて、ファンも元気な人が多いのですが、ソロアイドルのファンはじっくりと対人関係を楽しみたい落ち着いたファンの人が多い気がします。
RRRでもいろんなことがありました。基本的には毎月だいたい最終土曜日に集まって、さまざまなゲストの人とお喋りしたり、私が歌うこともあります。みんなでレコードを持ち寄って聴いたり、プロのDJの人に音楽を流してもらって、それを聴きながらみんなで踊ったり、お酒を飲んだり。それ以外にも10日間連続でイベントを開催したり、24時間耐久イベントをやったりもしました。
24時間イベントは、早朝にシャンパンで乾杯するところから始めました。当時の私たちはそれをシャンパイ(「シャンパンで乾杯」の略。どうでもいい情報です)と呼んでいて、早朝から集まってくれたファンの人たちと「シャンパーイ!!!」と叫んだのを覚えています。けっこうな人数が集まっていて、私は想定していなかったのですが出勤前の人も多く、シャンパンを一杯グッとあおって「またあとで!」と出勤していく人たちが何人もいました。おとなしくて控えめ、でもみんな面白いことには貪欲なのです。
イベントの時間が長いので、途中で椅子から下りて床で眠る人も続出。本当に自分の家に遊びにきてもらっているような濃密な時間がたくさんありました。思えば、このころがコミュニティ的には一番熱中していて、沖縄や大阪や愛知にもみんなでぞろぞろと遠征しました。
幼稚園の先生のように
同時に、いつまでこの熱狂的なコミュニティを維持できるだろうと、いつもどこかしらに不安はありました。駆け出しのころとはうって変わって、私を一番に応援してくれている人も増えました。そうすると、ファンの人への接し方にも悩みが生まれます。
お話が上手な人もいれば、苦手な人もいます。私とたくさん話したい人もいれば、あまり話しかけられたくない人もいます。知りあった時期もばらばらです。基本的には誰かを贔屓することはなく、平等に接するべきですが、平等とは全員に同じ対応をすることではないと思っていました。
みんなと長くつきあっていくためには、それぞれの人間性を探りながら話す必要があります。長く会話をするのは苦手だけど、会うたびに少しずつ会話を積み上げて長く通ってくれる人もいれば、なんか急速に仲よくなったなと思うと、急に冷めて顔を見せなくなる人というのもいます。
ファンの数だけつきあい方があるわけですが、私が一貫して思っているのは、「この人たちに幸せになってほしい」ということでした。そこでどういう方法がいいか考えたとき、当時の私がとったのは「癒し」でした。
楽曲の歌詞をファンの人に寄り添うような内容にしたり、ライブで歌うときも、オタ芸のように複雑ではなくて、簡単に真似できる振り付けやコール・アンド・レスポンスを意識して用意しました。このころはよくライブを初めて見た人から「地下アイドルじゃなくて幼稚園の先生みたいですね」と言われていました。そして、実際にそういう方向性を目指していました。忙しく働くファンの人たちだから、私のライブに来てくれる時間だけでも、何も考えずに楽しんでほしいという思いでした。
しかし、同時にファンコミュニティの維持の難しさが、このころに露呈してきました。私を一番に好きな人が増えれば、ガチ恋(本物の恋愛感情を抱くファン)の人も増えていきます。同じ人に恋愛感情を抱える人が何人もいるのに、みんなで仲よくするのはすごく難しいことです。
「そもそも、アイドルってそんなものでは?」と思われるかもしれませんが、一部のファンが不穏な雰囲気になれば、ほかのファンもなんとなく居づらいですし、私と話すよりもファン同士でいっしょにいる時間のほうが長いので、無理に会話をしないまでもファン同士が仲いいにこしたことはありません。ファンコミュニティは私だけの場所ではなくて、ファンの人たちの居場所でもあるからです。
また、「自分はガチ恋だから」とガチ恋オタクであることを俯瞰して楽しんでいるような人はつきあいやすいのですが、恋心に翻弄されて私のことが正しく見えなくなっているような人は本当に苦しそうで、どう対応するべきか常に悩んでいました。恋をされるのが仕事でもあるのに、こんなことで悩むなんて自分は地下アイドルに向いていないのではと、自信も失われていきました。
なにより困ったのが、女の子のファンが増えてくるとともに、女の子のファンをめぐっての恋愛トラブルも増えたことです。ファンコミュニティの熱狂が、全体的に恋愛への熱狂に傾きつつあるようでした。ファン同士の交際はとっても喜ばしいことで、実際にそういうことがあって心からお祝いしたこともあります。それはいいのですが、どうにも恋が上手くいかず、私に恋敵であるファンの悪口を言ってきたり、恋敵や好きな女の子にまつわる噂話やトラブルの報告が相次ぎました。私は本当に幼稚園の先生になってしまった気分でした。
女の子は私と同世代で、男性ファンはずっと年上である場合が多いのに、一部の男性ファンの幼稚さがきわだってしまって、いままで癒しを与えたいと思って自分がやってきたことはとんでもない間違いだったのではないかと怯えました。ライブの時間以外も、私が男性ファンを子どものままでいさせてしまったのではないかと思ったのです。現にいま思えば、誰かに何かを与えようと思うこと自体、おこがましくて間違いでした。
これまでずっとやめようと思いながら、肝心のやめどきがさっぱりわからなかったのが、自然ともう地下アイドルは終わりにしようと思いました。気づけば初めて舞台に立ってから、10年が経とうとしていました。
再生のための破壊へ
地下アイドル卒業の発表をしたのも、やっぱりRRRでした。その日、どうしてだったかその場にホールケーキがあって、発表を聞いて怒った女の子のファンが私にホールケーキを投げつけて大騒ぎになりました。私自身も初めて地下アイドルをやめるので、これからの活動やファンとの関係がどうなるかは未知数でした。ファンは私以上に、どうなってしまうのか不安だったことでしょう。それでも私の思いが揺らぐことはありませんでした。
これからもこのファンコミュニティを維持するためには、いったん私が地下アイドルをやめることでコミュニティを破壊して、新たに再生する必要があると感じていたからです。ちょうど少しまえに左手首を骨折して、いろんな人から「骨折して治ったあとは、まえより骨が強くなるらしいよ」と励まされていたせいかもしれません。破壊と再生を経たコミュニティは、より強化されると信じていました。
私自身も幼稚で、人前に立ったり文章を書いたりするのに、人間としての豊かさが足りないと感じていました。これまでずっと休む暇もなく地下アイドルとして活動してきて、プライベートな時間をすべておろそかにしてきたからです。なかなか体験できないような面白いことはたくさんありましたが、圧倒的に「なんでもない時間」が足りませんでした。暇だなあと思って何をしようか考えたり、観客に聞かせるわけではない他愛もない話を友だちとしたり。大学の4年間も学友のひとりもおらず、ぎりぎりの単位しか授業に出席していませんでした。これからも活動を続けるのであれば、私にはなんでもない時間が必要だと思ったのです。
地下アイドルになってちょうど10年が経ち、奇しくも平成最後の日となった2019年4月30日に、卒業公演は無事におこなわれました。私にとって過去最高である750人の人たちが応援に駆けつけてくれました。メジャーなアイドルの日常的なライブの動員数にも及ばないかもしれませんが、私にとっては10年間でこれだけの人にお世話になったんだと、感無量になる走馬灯みたいな光景でした。
自然体でみんながいられる場所
地下アイドルを卒業して5年が経ち、その間に私は恋人になった人と結婚しました。あれから仕事を減らして、家族や友人と過ごす時間を増やしました。たくさん眠るようになって、たくさん食べるようになりました。
結婚を発表するとき、一番心配だったのはやっぱりファンの人たちのことです。地下アイドルを卒業してから見事にガチ恋のファンはいなくなり(私ではなくて地下アイドルの肩書きが好きだったのでしょうか)、すでに恋愛感情と関係なく応援してくれているファンが多かったものの、ショックを受けてしまうんじゃないかとどこかで心配していました。いまでも本心はわかりませんが、ほとんどのファンが以前と変わらずに接してくれていて、ショックを受けたら……と心配していたのが思い上がっていたようで恥ずかしいです。
それから地下アイドル卒業後、ごく少人数ですが「ガチ恋でした」と打ち明けてくれるファンの人がいました。私もぜんぜん気づかないくらい、密かに恋心を寄せてくれていたのです。それは楽しい時間だっただろうし、同時にやっぱり苦しい切ない時間でもあったのではないかと考えます。それでも私が出演するイベントに足を運びつづけてくれて、最終的にいまでもファンでいることを選択しつづけてくれていることに、驚きに似たうれしさを覚えています。その感情のコントロールの巧みさにも驚かされるし、ファンへの対応で戸惑ったり自信を失ったり、私のほうがずっと拙かったなとあらためて思います。
そのかわり、以前はどんなときでも駆けつけてくれる熱狂的なファンの人たちでしたが、「暑いから行かない」「ほかのライブが重なってるから行かない」と、イベントへの参加がまばらになりました(笑)。
じつはまだRRRでのイベントを続けているのですが、今年の夏はこれまでになく遊びにきてくれるファンの人が少なくて、いい加減、みんな飽きてしまったかなと諦めていたのです。それが秋になったら「今年は暑かったねー」と言いながら、ファンの人たちが続々とやってきて、思わず笑ってしまいました。でも私は、なんだかそれが友だちみたいでいいなと思っています(信じられないことに、何があっても駆けつけてくれるファンの人たちはいまでもいて、それはもちろん信じられないほどありがたいことです)。
いまなんでも話せる人は、夫と自分のファンです。人生で大切な判断をするときは、自然とファンの顔を思い浮かべて、がっかりされないような選択をしているつもりです。現役時代は熱狂の渦中にいて冷静になれなかったけど、いまはしみじみファンの人たちに感謝できます。地下アイドルという肩書きがなくなって、ひとりの人間になっても応援してくれる人たち。彼らの前に立つと、いまでもいい意味でカッコつけたい気分になって、力が湧いてきます。でも私のぽんこつな部分も、この人たちなら受けとめてくれるだろうなという安心感もあります。地下アイドル時代の熱狂はないけれど、私とファンの人も、ファンの人同士も、自然体でいっしょにいられる。コミュニティが強化されたかはわからないけど、私の目指していた人間らしいつきあい方に近づいてきていると思います。
先日、久しぶりにライブをしたら、初めてのファンの人が数年ぶりに観にきてくれました。私を観にきたわけじゃなくて、偶然共演することになった新人のアイドルグループを追いかけてきていたのが彼らしいのだけど(笑)。
そう、私が地下アイドルになるまえから彼は駆け出しの地下アイドルを応援していたし、いまでも新人の地下アイドルを追いかけているのです。初々しいアイドルの女の子としゃべって浮き足立っていた彼が、私のほうへ来るなり親族のような落ち着いたテンションになって、久しぶりに会ったのに昨日会ったばかりのような他愛もない話をしました。
あのころと同じように握手をして、でも彼は「これからもおたがいにがんばろう」と言いました。いつかは一方的に応援してもらうだけだったけど、いつの間にか人生をがんばるひとりの人間同士になっていたのです。
うつ病を忙しさでごまかしながら地下アイドルをやっていました。それが卒業後、ひどい躁うつ病になってしまって、ファンの人にもたくさん心配をかけてしまい、卒業公演で引退しておけばよかったと何度も思いました。でも私は、あのときにやめないで、ファンの人たちと楽しめるイベントを続けてきてよかったと、いまは思っています。これから先もファンの人たちと人生を歩んでいきたいし、歩んでいきたいと思ってもらえるような人間でありたいです。
地下アイドル業界ではファンをやめることを「他界」と呼ぶのですが、長く活動を続けるにつれて、ファンの人も健康が気になる年齢にさしかかってきました。私も年齢を重ねるにつれていろんな経験があって、自分より若い人に先立たれる苦しさを目の当たりにしてきました。
以前はうつ病がひどくていつも死にたくて、ライブのようにファンの人が駆けつけてくれる自分の葬式を想像していたのですが、いまは文字どおりファンの人たちの他界を見送るのが、年下の人間としての礼儀ではないかと思っています。
不妊治療を経験して、命が誕生することの奇跡(という言葉だけでは軽薄に感じられるかもしれませんが、そうとしか呼びようのない貴重さ)を知ったことも、自分や他者の生に対して肯定的になれたきっかけだと思います。生まれてくるかもしれない(こないかもしれない)新しい命、やがて訪れる自分やファンの死。そうした人生において重要なことに思いを馳せるときにも、自然とファンの人の顔が思い浮かぶのは自分でも驚くべきことで、そんなふうに思わせてくれるファンの人たちの存在に感謝しています。
姫乃たま(ひめの・たま)
1993年、東京都生まれ。10年間の地下アイドル活動を経て、2019年にメジャーデビュー。2015年、現役地下アイドルとして地下アイドルの生態をまとめた『潜行~地下アイドルの人に言えない生活』(サイゾー社)を出版。以降、ライブイベントへの出演を中心に文筆業を営んでいる。
著書に『永遠なるものたち』(晶文社)、『職業としての地下アイドル』(朝日新聞出版)、『周縁漫画界 漫画の世界で生きる14人のインタビュー集』(KADOKAWA)などがある。