いっそ阿賀野でハラペーニョ!|第5回|畑におこる残酷でユニークなせめぎあい|高松英昭

いっそ阿賀野でハラペーニョ! 高松英昭

フリーカメラマンが百姓に転進? 常識も前例も踏みこえて、今日も地域おこし協力隊はゆく。タコスソース売り出します。

第5回
畑におこる残酷でユニークなせめぎあい

高松英昭

 阿賀野市の地域おこし協力隊として着任するまえから、1反ほどの畑を借りてハラペーニョを育てていた。その経験から「情報発信担当なのに、なんでハラペーニョを育てるの?」という展開になっていくのだが、それは次回以降の話にして、農業がどういうものなのか、だいたいの想像はついていた。農業専門紙の記者をしていたので、それなりに農業に関する知識はあるから、悪戦苦闘することはあっても、ちゃんと実らせて収穫するまではできると思っていた。

 しかし、その悪戦苦闘は想像をはるかに超えていた。栽培法などの農業技術で苦労することは予想できたが、「大自然」は私の小さな脳みそが描く世界をはるかに超えていた。小さな畑にも「大自然」があるのだ。いきなり「生態系」のなかに放り込まれた感覚である。「生と死」がリアルな感触となって現れる。とても残酷でユニークな世界が広がっているのだ。

育てながら殺すという営み

「ハラペーニョが発芽しないのですが、なんでですかね。温度管理もちゃんとしているはずなのですが」

 畑に簡易的な育苗ハウスを作り、ハラペーニョの種をまいていた。2週間くらいで発芽して双葉がピョコンと出てくるはずが、すでに3週間ほど経っている。双葉がピョコンと出てくる気配がまったくなかった。知り合いの農家に相談してみると、「畑で育てているんだろ。もしかしたら、新芽をナメクジにでも食べられているんじゃないのか」と言う。

 そこで、育苗培土をほじって種を取り出してみると、新芽が途中でプツンと切断され、その先にあるはずの双葉がなかった。もしやと思い、育苗トレイを持ち上げて裏をみると、5匹ほどのナメクジが貼りついていた。苦労して発芽させた新芽をネロネロなめつくすように食べるナメクジの姿が頭に浮かぶ。ナメクジへの憎悪に駆り立てられるように、私は1匹ずつ指先でひねり潰した。ナメクジの粘液が作業用手袋にこびりついたので、畑の土のなかに指先を突っ込んで粘液を落とすことにした。

 それから、ナメクジを見つけるたびに同じようなことをくり返していくと、なんの感情も抱くことなく、落花生の殻を指先で割るような感覚で機械的に潰すようになっていた。それでも、セスジスズメの幼虫を殺すのには抵抗があった。の幼虫で、サトイモの葉をあっという間に食べつくしてしまうのだ。サトイモの種芋を農家からもらって育てていたときは、ナメクジと同じように、その幼虫を指先で潰した。

 幼虫は黒を基調にオレンジ色の丸模様を配したスタイリッシュなでデザインで、中指ほどの大きさがある。葉の裏に這っていた幼虫をつまむと、柔らかな肉体の感触が指先から伝わってきた。ナメクジよりも「生物感」が強い。少しためらいながら指先に力を加えて潰すと、黄色の体液と葉の消化物と思える緑色の液体が体内から飛び出し、体をよじらせている。苦しんでいるのだ。私は早く息の根を止めようとあわてて、さらに力を込めて指先を移動させながら何か所も潰した。そして墓穴に埋葬するように、畑の土を掘って幼虫を埋めた。

 セスジスズメの幼虫は「生物感」が強いので、できれば殺したくはなかった。見つけるたびに虫かごにでも入れて安全な場所に移すような余裕もないし、それはそれで面倒だった。

 とはいえ、幼虫を見つけて、そのままにしておくこともできないし、近くに移動させてもほかの畑に迷惑をかけてしまうかもしれないので、なにかいいアイデアはないか、サトイモを栽培している農家のおばあちゃんに対処法を尋ねてみた。

「セスジスズメの幼虫を見つけたときは、どうしてますか?」
「感触悪いから、道路に放って足で潰すようにしてるね」

 おばあちゃんはこともなげに言って、恥ずかしそうに少し微笑んだ。指先で殺すか、足裏で殺すかの二者択一なのかい、と思いながら、後日、ほかのおばあちゃんにも尋ねてみると、「移植ゴテでひっぱたいて殺しているね」という返事だった。

育苗するために畑に作った小型ビニールハウス
ハラペーニョの種をまいた育苗トレイ
辛いハラペーニョの生存戦略

 これまでも蚊やハエ、ゴキブリを「駆除」してきたわけだが、農業をするようになってから、その対象は広がり、個体も大きくなっている。農作物を食べるネズミやハクビシンもそうだ。ただ、ドブネズミが主人公のアニメ「ガンバの冒険」のファンなので、ネズミを殺すのにはかなり抵抗がある。阿賀野市に移住してきてからは、イノシシなどのより大型の野生動物も出没するので、さらに対象は広がっている。

 阿賀野市で地域おこし協力隊員になってからは、市が運営する農園の畑でハラペーニョを栽培しているのだが、山麓にあるので野生動物も出没する。

「高松さんの畑の近くにもイノシシが来てるみたいだからね」

 農園の運営管理を担当する市の職員のMさんが私に教えてくれた。Mさんが案内してくれた場所に行くと、イノシシが体のダニを落とすために地面をのたうち回った跡があった。私の畑から徒歩で10秒ほどのところだ。同じ地域の畑で、サルがカボチャを抱えて持っていったという話もある。カボチャを抱えて逃げるサルを捕まえようと追いかけてタックルしたら、もはやラグビーである。

 ハラペーニョにはカプサイシンという辛み成分があるので、動物の食害にあうことはまずない。動物も辛みを感じて敬遠するのだ。それでも、イノシシが畑を荒らすこともあるし、サルがいたずら半分でハラペーニョを持っていくことも考えられるから警戒していた。

 収穫時期となった夏、畑に行くと、ハラペーニョが地面に散らばっていたことがあった。山から吹き下ろしの突風が吹くこともあるので、そのせいで実が落ちたのかなと思ったが、落ちた実を拾い上げて見ると、1円玉ほどの穴が開いていた。イノシシにしてはこぢんまりとした食害だし、虫によるものだとも考えにくい。虫の食害なら実が落ちることはない。被害にあった実の数は多くないし、犯人も想像できたので放っておくことにした。

 カプサイシンの辛み成分を感じない動物がいるのだ。鳥である。ハラペーニョなどトウガラシは生き残るために、わが身を辛くして動物に食べられないようにしているが、鳥はカプサイシンの成分を感じない。辛いと思わないのである。ハラペーニョを食べた鳥は、どこかに飛んでいきフンをする。そのフンに種が混じっていれば、その地でハラペーニョは繁殖することができるという、トウガラシの生き残り戦略なのだ。

新潟市にいたころはスイカも育てていた。カラスやハクビシンなどから守るためにネットで囲む
押せば引き、止まればふり向く、キジとの駆け引き

 どんな鳥が食べているのかなと気になっていたが、かまわずに農作業を続けていた。ある日、収穫作業をしていると、畑のなかを走りまわる影のような物体が視界に入った。その物体がいそうなあたりを注意深く観察していると、ハラペーニョの茎間から、つがいのキジがトトトトと飛びだしてきた。

 つがいのキジは私と目が合うと、「あんた、だれやねん?」といった感じでピタリと止まった。手前にいるのが夫で後ろに付き添っているのが妻かな、などと想像しながらしばらくおたがい目を合わせていたが、ふと、私の頭のなかに、キジ鍋を食べる光景が浮かんできた。「美味しそう」と思ったのである。

 私は動物を捕獲する資格も許可も得ていないので、キジを捕まえて食べることはできない。それでも、私は不思議とキジのほうに近づいていくのだ。素手でキジを捕まえることなどできないことはわかっているが、「あわよくば」という邪念があったことは間違いない。

 私が近づいても、キジは逃げる気配がない。もう少し近づいて、飛び込むように手を伸ばせば届くという距離になると、つがいのキジはトトトトとハラペーニョの茎間をすり抜けて逃げていった。同じことを何度くり返しても、ある一定の距離まで近づくと、トトトトと逃げていく。どうやら、キジには自己防衛のための絶対的な距離感があるようだ。

「ただ頭をなでるだけだよ」と融和的な雰囲気を醸しながら近づいても、ある一定の距離まで詰めると、トトトトと逃げていく。頭のなかに浮かんでいる「キジ鍋を食べたい」という欲望を見透かされているのかもしれない。距離感と欲望のせめぎあいは、どこぞのクラブで見かけるカップルみたいである。

 もう少しというところまでは近づけるので、懲りることなく何度も同じことをくり返してしまう。それに、トトトトと走る姿が「かわいい」のだ。絶妙な距離で追いかけっこができるので、「楽しく」もなる。私の欲望と感情はキジに揺さぶられまくっていた。もはや、ハラペーニョ畑が、深夜のクラブと化している。やがて、「そろそろ終電の時間だから帰るね」といった感じで、つがいのキジはやぶのなかに消えていった。私は「またね」と藪に向かって手を振った。

 ハラペーニョ畑には同僚もいる。アマガエルの「ケロッピー」だ。アマガエルは植物に寄生するアブラムシを捕食してくれるのだ。アブラムシは植物の養分を吸うのだが、それ以上に、さまざまなウイルスを媒介して病気を発生させる要因になるので、農業では害虫になっている。

 畑には何匹もアマガエルがいる。それぞれに名前をつけても判別することなどできないから、畑にいるアマガエルはすべて「ケロッピー」と呼ぶことにしている。ふっくらとした紅葉もみじみたいな手で葉にしがみついて私を見つめる「ケロッピー」の姿はとてもかわいい。

 だが、アブラムシからみれば「ケロッピー」もさつりくしゃにちがいないし、私にとって「ケロッピー」は、畑に有用な存在なので生かしているにすぎないかもしれない。「ケロッピー」が美味しいなら、捕まえて食べるかもしれない。

 畑のなかで、私がいちばん自分勝手で残酷な生き物だと思う。

畑の相棒「ケロッピー」
写真:高松英昭(以上、4点とも)

(つづく)

 

高松英昭(たかまつ・ひであき)
1970年生まれ。日本農業新聞を経て、2000年からフリーの写真家として活動を始める。食糧援助をテーマに内戦下のアンゴラ、インドでカースト制度に反対する不可触賤民の抗議運動、ホームレスの人々などを取材。2018年に新潟市にUターン。2023年から新潟県阿賀野市で移住者促進のための情報発信を担当する地域おこし協力隊員として活動中。
著書(写真集)に『STREET PEOPLE』(太郎次郎社エディタス)、『Documentary 写真』(共著)などがある。