こんな授業があったんだ│第7回│見える世界と見えない世界をつなぐ〈後編〉│平林 浩
見える世界と見えない世界をつなぐ 〈後編〉
宇宙(極大)と結晶(極小)の授業 (小学5年生・1984年)
平林 浩
宇宙(極大)と結晶(極小)の授業 (小学5年生・1984年)
平林 浩
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2万このビー玉で、見えない世界が見える?
直径1センチのビー玉をたくさん買った。ひとつぶ1円だという。ふんぱつして2万つぶ買った。2万円ということになる。ほんとうに2万つぶあるかどうかは知らない。数える気もないからわからないが、丈夫な紙袋にいっぱいあって、一人で持ちあげるのがやっとの重さだった。
きれいに大きさのそろったビー玉がたくさんほしかった。おもちゃ屋さんにもビー玉はあるが、きれいな模様がついていたり、大きさが不ぞろいだったりして、どうもうまくない。なるべく色などついていなくて、小さいつぶで、大きさのそろっているビー玉がたくさんほしかったのだ。友だちなどにもきいたが、よくわからなかった。
そこで、私は電話帳を開いた。なにか思いついて、そのものが手にはいらないときによくやる手だ。ビー玉なんていう項はなかった。おもちゃの問屋に電話をしてみた。そうしたら、ビー玉を作っている工場の名を教えてくれた。「東京グラスマーブル」という名だった。きくところによると、ビー玉を作っているところは、もうそこしかないという。
その「東京グラスマーブル」という会社に電話をすると、さいわいなことに、直径1センチのビー玉が、注文と合わなくてたくさんあまっているという。そこで、2万つぶ注文したというわけである。そのビー玉は、道路標識などに使うものだということだが、せっかく作ったのがちょっとサイズに合わなかったため、私の手もとに来ることになったのだ。
いったいビー玉をそんなにたくさんどうするのか。子どもたちとビー玉大会でも開くのか、などと思われるかもしれないが、じつは、このビー玉が見えない世界をみごとに子どもたちに見せてくれる教具なのである。
食塩を水にとけるだけとかし、いわゆる飽和溶液にする。コップなどに水を入れて、そのなかに食塩をどんどんとかしていく。いくらかきまぜても底にとけきれない食塩がたまるようになったら、そっとしておき、残った食塩が底に沈んでしまったところで、うわずみ液をほかのいれものにとって、水が蒸発するままにしておく。
やがて、食塩水の底には、食塩がきれいな結晶になってでてくる。光を当てるとキラキラと輝き、虫めがねで見ると、みごとにきれいな結晶だ。立方体や直方体になった結晶の辺はするどく、各面はみごとに平らである。
それにしても、どうしてこんなにきれいな形になるのだろう。子どものことばを借りれば、「宇宙みたい」とか、「ダイヤモンドみたい」とかいうイメージである。透明感と硬質感がそんなイメージを生むのだろう。
食塩だけではない。砂糖も硫酸銅もおなじことだ。もちろん、それぞれの結晶の形はちがうのだが、かどがするどく、各面が平らであることは共通している。仮説実験授業の授業書<結晶>も、はじめてのほうで、食塩や砂糖のような身近なものも、とてもきれいな結晶になることを子どもに知らせていく。結晶というと、水晶・ダイヤモンド・雪などを連想する子どもが圧倒的に多いが、そういう特別なものでなくても、結晶になるときは、たいへんきれいな形になっていくことを、目のあたりにして知っていく。
砂糖の結晶を作るときは、砂糖の飽和溶液をつくらなくてはならない。この砂糖の飽和溶液をつくるということが、けっこうたいへんなのだ。どうしてかというと、砂糖はとてもたくさん水にとけるからである。
食塩は100グラムの水に36グラムぐらいしかとけないのだが、砂糖ときたら、水の温度が0度のときでも、100グラムの水に179グラムもとけ、ふつうの水道水(20度)でも204グラム、沸とうしている水(100度)だと、じつに487グラムもとけてしまうのである。砂糖の結晶を早くたくさん作るには、水の温度をできるだけ高くして、飽和溶液をつくるのがいい。
さて、この飽和溶液をそっとしておくと、数時間後には、光があたればキラッと輝く結晶ができてくる。いや、むしろ、光があたってキラッと光らなければ、そこに結晶があることに気づかないくらい透明なのだ。エッジはあくまでするどい。
「これが砂糖?」
子どもたちは信じられないと言う。私も毎年、授業でつくっているのに、そのたびに見とれてしまう。
2日3日とたつと、それが成長していく。いわば氷砂糖ができていくのだが、その美しさは、氷砂糖とはとても思えない。結晶がよく見えるように、その砂糖水を試験管に入れて、子どもたち一人一人にわたす。結晶がでてきたら、虫めがねでのぞいたり、スケッチをしたりして、最後は試験管ごと子どもにあげてしまう。子どもたちは、宝物のようにしてそれを家に持って帰る。もったいなくて、1年も2年もそのままにしている子どももいる。
子どもたちに、結晶がきれいな形になるわけを想像してみようとよびかけ、想像ができる子どもにきいてみる。
「そういう性質があるから」というところまでしか発想が発展しない子どもが多いが、子どもののうみそは、みごとにはたらく。
「きっと分子が四角くなっていて、それがくっつくから四角になるんだ」と分子を考える子どももたくさんいる。3年生のとき、ものが水にとけて目に見えなくなるのは、水にとけると小さいつぶ(分子、イオン)に分かれてしまうからだということを勉強しているからだろう。
「水の分子が蒸発すると、砂糖の分子が残って、水の分子が砂糖の分子をきれいにならべていくんじゃないかなあ」と考えた子もいる。
「わたしの考えでは、分子は激しく運動しているでしょう。でも、運動しなくなると、くっつきあうんじゃない」と分子の運動で考える子どももいる。
「分子がかたまるとき、分子が集まってきまった形になる。分子の形がちがっているから、結晶もちがった形になると思う」「分子も磁石の極のようなひきつける力をもっていて、分子が近づくと、極のところがくっつきあって、きれいにならんでいくのだろう」なんて、すごいことを考える子どももいる。
まるいビー玉が四角い結晶に?
こんな想像を出しあってから、いよいよビー玉の登場である。つぶの大きさのそろったビー玉を200~300こぐらい、大きな箱に入れる。ガラスのはいった額縁を使ってもいい。
「あのね、このビー玉をさとうや食塩の分子やイオンだとするよ。よく見ていて」
私は床にすわりこみ、子どもたちは私のまわりに集まってのぞきこむ。ザーとビー玉を箱に入れると、「わあ、きれい」「いいなあ、ほしいなあ」と声がわきおこる。
「ほら、いまは分子がばらばらだよね。とけているときは分子が動いているんだ」と言いながら箱を小きざみにゆすると、ビー玉はおたがいにぶつかりながらばらばらに動きまわる。
「砂糖や食塩がとけているときは、分子がこんなふうに動いているんだよ。ところが、だんだんつめたくなったり、水が蒸発したりすると……」
私は箱を少しななめにして動きをとめる。すると、ビー玉は不思議なほどにきれいに並んでしまう。動きをとめるとき、じょじょにやっていくと、ビー玉は完全にきれいに並んでしまう。
「ゆっくり水を蒸発させると、大きな結晶になるわけがわかるかな」
「うん、わかるわかる。分子がたくさん並ぶからだ」
「そう。それじゃ、こんどは急に水を蒸発させたり、ひやしたりするよ」
動かしていた箱をぱっととめると、ビー玉は並ぶけれど、ところどころ並びかたが乱れている。食塩水から食塩をとりだすとき、熱して水を蒸発させると、結晶のつぶが小さくなることを、子どもたちはよく知っている。
「あ、ほんとだ。こことここは結晶なんだ」と、ビー玉がきれいに並んだところをゆびさす。ビー玉の動きで、急にかたまれば小さい結晶になり、ゆっくりかたまれば大きい結晶になることがイメージできる。
「結晶がきれいな形になるわけは、これだけじゃはっきりしないから、ぼくはビー玉で結晶模型をつくったんだ」
そう言いながら、私はタオルに包んであった結晶模型をとりだした。
「ワァー、すごい」「きれいだー」
まず、子どもたちの歓声だ。
「あのね、分子は上にも下にも横にもくっつくでしょう。これはビー玉をボンドでくっつけたんだよ」
手にずっしり重いその結晶模型は、一辺にビー玉が10個ずつ並ぶ立方体である。10×10×10=1000個のビー玉が木工用ボンドでくっつけてある。
「何こあるの?」「どうやって作ったの?」
子どもから質問がとぶ。
「さ、この模型を見て。これは食塩の結晶のつもり。形がにているでしょう」
「うん。そっくり、そっくり」
「ビー玉ひとつひとつはまるいのに、こういうふうにくっつけると、平らな面ができるでしょう。そして、面と面が合うところはきれいな線になるね」
「ほんとだ。おもしろいな」「結晶って、ああやってできるのか」
「先生。でも、さとうの結晶なんか形がちがうでしょう。どうして?」
「それはね、分子のくっつきかたがちがうからなんだ」
私はそう言いながら、べつの模型をとりだした。それは面が平行四辺形だ。
「よく見ると、こちらはビー玉がぎっしりつまっているでしょう。食塩のほうはかどが直角になるけど、こっちはななめになるね」
「そうか、へえー」
子どもたちは不思議そうだ。
まるいものがくっつきあうとき、平面でみると、ふたつのくっつき方がある。左が食塩型のほうだ。これがさらに立体になるとき、いろいろなちがいがでてくる。ここではそんなこまかいことはどうでもいい。イメージができてくれればいいのだ。
「もし、この結晶の分子がひとつひとつはげしく動きだしたら、どうなると思う?」
「こわれちゃう」「ばらばらになっちゃう」
「そうなんだよ。さとうも熱するととけるね。氷もね。あつくすると、分子がはげしく動きだすんだよ」
ここはもう、つぎの授業<三態変化>の内容である。
このビー玉模型によるイメージは鮮烈である。このあとの、結晶があるきまった面でわれやすい性質をもっていることの説明なども、子どもたちはみごとにこのビー玉のイメージをつかってやってのける。
ビー玉の結晶模型は、目に見えない世界の姿を子どもたちの頭のなかにみごとに映しだしてくれるのだ。このあとでやる<三態変化>の授業で、結晶の分子イメージはさらに大きな力を発揮する。すべてのものは、結晶(固体)→液体→気体と三態に変化するという物質界の法則を発見していくときの基本的なイメージとなるのである。
小学生に原子や分子のことなど教えられないという人も多い。しかし、このような教具の工夫によって、十分に見えない世界を子どもたちにイメージさせることができ、その有効さを体験させることができるのである。
出典:平林浩『授業・科学をたのしむ』、初出『ひと』1985年7月号、太郎次郎社
平林 浩(ひらばやし・ひろし)
1934年、長野県生まれ。1988年まで東京都で小学校教諭。退職後は「出前教師」として、科学を楽しむ教室を各地で開く。仮説実験授業研究会、障害者の教育権を実現する会会員。著書に『仮説実験授業と障害児統合教育』(現代ジャーナリズム出版会)、『平林さん、自然を観る』『作って遊んで大発見! 不思議おもちゃ工作』『キミにも作れる! 伝承おもちゃ&おしゃれ手工芸』『しのぶちゃん日記』(以上、太郎次郎社エディタス)など。津田道夫との共著に『イメージと科学教育』(績文堂)がある。