[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第二期】|第3回|「外国籍」の人の感覚って、どんなだろう?(木下理仁)|サンドラ・へフェリン+木下理仁

[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第二期】 サンドラ・へフェリン+木下理仁 じぶんの国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

自分の国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

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[往復書簡/第二期]第3回
「外国籍」の人の感覚って、どんなだろう?
木下理仁


 

 サンドラさん、お元気ですか。素敵なお便りをありがとうございました。

「〇〇出身」と「〇〇生まれ」をごっちゃにされてしまうという話、日本で生まれ、日本で育ったぼくにも似た経験があります。

 ぼくの場合、父の仕事の関係で、子どものころは2~3年おきに引っ越していたので、自分が「〇〇出身」だという感覚があまりないのです。生まれた場所なら、母親が里帰り出産をした「京都」ということになりますが、そこで育ったわけではないので、「京都出身」というとウソになります。そして、赤ん坊のころ住んでいた兵庫県も物心つく前に離れてしまい、その後、徳島、大分、名古屋、仙台、東京、大阪、横浜…と転々としたので、「私は〇〇出身です」と自信をもって言える場所がないのです。

 ただ、東日本大震災のとき、原発事故などで「故郷(ふるさと)」を奪われた人たちのつらさを知ったときに、「故郷」の意味をあらためて考えるようになり、故郷というのは、生まれた場所とか、そこに何年住んでいたかではなく、自分にとって大事な思い出がある場所のことなのかもしれないと思うようになりました。そして、ぼくの場合は、10代前半の多感な時期を過ごし、いまも大事な友達がいる大分がそうなんじゃないかと考えるようになりました。

 そんなわけで、子どものころ引っ越しばかりしていたぼくは、いつも「転校生」でした。小学校3つ、中学校も3つ行きました。

 転校生は、まわりの子と違うことがいろいろありますが、子どもは、ほんのささいな「違い」にも敏感です。たとえば、自分一人だけ上履きの色が違うとか、じゃんけんのとき、チョキの出し方が違うとか。まわりの子からそれを指摘されただけで、いじめられるんじゃないかと身構えます。いじめにあわないためには、ほかの子と同じ、「ふつう」がいいのです。

 ことばの違いにも悩みました。新しい学校に初めて行った日、みんなの前で自己紹介をするときに、前の土地の方言に気づかれないよう、一生懸命その土地の人の話し方をまねてしゃべったときの緊張は、いまでもはっきり憶えています。きっと顔を真っ赤にしてしゃべったその挨拶は、だれが聞いてもおかしなイントネーションだったにちがいありません。

 そんな経験をしたので、外国ルーツの子どもが日本の学校に入るときの不安も、すこしは想像できるのですが、持ちものやことばの違いだけでなく、自分の「見た目」や、外国人の親のことでいじめられるのは、いっそうつらいだろうと思います。持ちものは買いかえることができますし、ことばや習慣もだんだん慣れていきますが、自分の顔立ちや肌の色、出身国や親は、もし変えたいと思ったとしても、変えようがないですから。

 サンドラさんも『ハーフが美人なんて妄想ですから!!』のなかで書かれていますが、2010年、小学6年生だった上村明子さんが、フィリピン出身のお母さんのことでいじめられ、クラスメイトから仲間はずれにされて、みずから命を絶つという悲しい事件がありました。しかも、愛子さんが自殺に使ったのが、お母さんに贈ろうとしていた編みかけのマフラーだったなんて……。ぼくの本棚にあのときの新聞の切り抜きがありますが、それを見るといまも胸が苦しくなります。

 一方、ことばや文化の違いと違って、「国籍」の問題に関しては、外国籍の人の感覚に近づくのは、なかなか難しいなと感じています。ぼくは、『国籍の?(ハテナ)がわかる本』を書くときに勉強したので、頭のなかではいちおう、基本的なことはわかっているつもりですが、当事者のリアルな感覚を共有できているかというと、正直なところ、あまり自信がないのです。両親が「日本人」で、日本で生まれ、出生届と同時に自動的に日本の国籍を与えられ、日本のパスポートを持っていると、「国籍」や「在留資格」が理由で自分のやりたいことができないという経験をすることがないからかもしれません。

 でも、あるとき、在住外国人が多く集まる国際交流のイベントに参加して、家族のなかに国籍の違う人がいるかと尋ねたら、その場にいた人の3割くらいが「いる」と答えたことがありました。国際結婚なら夫と妻の国籍が違うことはよくありますし、外国籍の家族のうちだれかが日本の国籍をとることもあるでしょう。日本籍の家族でも、結婚などをきっかけに外国籍に変える人がいるかもしれません。きょうだいでも、生まれた場所が違えば、違う国籍を持っている可能性があります。在日韓国・朝鮮人の場合、家族のなかに朝鮮籍と韓国籍と日本籍の人がいるということもありえます。

 家族だからといって国籍が同じとはかぎらない。理屈ではわかっていても、じっさい、こんなに多いんだと知って、ちょっと驚きました。「ふつうの日本人」が知らないだけで、日本の社会には、けっこう多くの「複数国籍家族」が暮らしているようです。家族のなかに国籍の違う人がいたりすれば、「国籍」に対する感覚も、「ふつうの日本人」とは違ってくるだろうと思います。

 ところで、何年か前、「多文化共生」をテーマに高校生向けのセミナーを企画することになり、ぼくの知り合いのベトナム、台湾、ブラジル出身の青年3人にゲストとして来てもらったことがあります。10歳前後で日本に来て、言葉も文化もわからないところからがんばって、いまは社会人として活躍している彼らの体験談を聞いて、高校生はいろんなことを学んでくれました。みんながとても熱心に話を聞いてくれたので、ゲストの彼らもうれしそうでした。

 ところが、そのとき、主催者側からゲストに多少の「講師料」が出ることになっていたのですが、セミナーが終わってその手続きのための書類を手渡したとき、彼らの表情がさっとこわばりました。その書類に「国籍」や「在留資格」を書く欄があったからです。外国人が収入を得る場合、国籍や在留資格によって税金の扱いが異なるため、それを確認するための記入欄があったのです。ぼくは、彼らがそれぞれ、ベトナム、台湾、ブラジルの出身だということは知っていましたが、国籍を聞いたことはありませんでした。

 彼らのなかの一人が、「多文化共生のためのセミナーで国籍を聞くなんて、矛盾してるじゃないですか」と言いだし、ほかの二人もそのとおりだというように、ぶすっと黙り込んでしまいました。しかし、書類がないと手続きができません。結局、「しょうがない。木下さんがわるいんじゃないよ。書こう」と言って書類を書いてくれましたが、ぼくは彼らの憤慨したようすに困惑するばかりで、その理由をきちんと理解できないまま終わってしまいました。

 彼らにとって、出身国を聞かれるのと、国籍を聞かれるのとでは、ぜんぜん違う意味合いがあったようです。国籍はときにデリケートな話題ではありますが、彼らがそこまで強い拒否反応を示した理由について、サンドラさんはどう考えますか?

 また、サンドラさんは「国籍」が理由で何か困った経験はありますか? あるいは、そういう話を聞いたことがありますか? 多くの「日本人」が気づかずにいる、「国籍」をめぐる意外な問題があったら教えてほしいです。

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木下理仁(きのした・よしひと)
ファシリテーター/コーディネーター。かながわ開発教育センター(K-DEC)理事・事務局長、東海大学教養学部国際学科非常勤講師。1980年代の終わりに青年海外協力隊の活動でスリランカへ。帰国後、かながわ国際交流財団で16年間、国際交流のイベントや講座の企画・運営を担当。その後、東京外国語大学・国際理解教育専門員、逗子市の市民協働コーディネーターなどを経て、現職。神奈川県を中心に、学校、市民講座、教員研修、自治体職員研修などで「多文化共生」「国際協力」「まちづくり」をテーマにワークショップを行っている。1961年生まれ。趣味は落語。著書に『国籍の?(ハテナ)がわかる本』(太郎次郎社エディタス)など。