こんな授業があったんだ│第22回│缶コーヒーから見えてくる南北問題│鈴木和夫
缶コーヒーから見えてくる南北問題
子どもたちの“国際会議”をひらく
鈴木和夫
(1991年 ・ 小学校)
鈴木和夫
(1991年 ・ 小学校)
子どもたちが「いつも飲んでる」缶コーヒーを教材にする
日本の工業を子どもたちとどう追求していこうか検討していたとき、全国生活指導研究協議会代表の竹内常一さんが、「缶コーヒーで授業ができるはずだ」と言ったのを思いだした。
身近にあるもので、日本の工業の特徴を備え、外国とのつながり、とくに南北問題を象徴し、発展性のあるものを探していたので、この缶コーヒーは教材としておもしろいと思った。同時に、この教材を追求するにあたって、子どもたちとともに調査し、考えていくという視点で進めてみようと思った。あえて言うならば、子どもたちと私との関係を共同追求者として位置づけていくという発想である。したがって、私の提示する問題の設定は、きわめて単純なものにしていきたいと考えた。
そこで、教室に何種類かの缶コーヒーを持ちこみ、教卓にならべて、子どもたちにつぎのように限定して質問した。
「これから、日本の工業についてさらに深めていきますが、ここにならべた缶コーヒーからどんなことが学習できるか班で検討してください」
子どもたちは、缶コーヒーをあれこれ見ながら、さまざまな検討をしていたが、大別するとつぎのようなことを課題としてあげていた。
① 工場の立地条件
② 缶とコーヒーの原料とその生産地
③ 生産量と消費量
④ 流通の仕方
⑤ 生産地(外国)との関係
⑥ 缶コーヒーと食品問題
⑦ 缶コーヒーと環境問題
くわしくあげていくと、
一班「工場の広さ、働く人の数・場所を選ぶ条件を、(イ)水の問題、(ロ)原料と製品の輸送、(ハ)買う人、(ニ)環境の問題から考えていくことができる」
二班「コーヒー豆の種類、その生産地、使用する量などをしらべて、外国との関係を考えていくことができる」
三班「缶の原料、缶が作られるまで、缶の生産量と処理の問題を考えることができる」
四班「缶コーヒーの糖度・添加物をしらべる。安いコーヒーと高いコーヒーにはどんな違いがあるのか、缶の大きさの違いと飲む人の好みをしらべることができる」
五班「輸入と輸出の問題、製品の流れ、缶のリサイクル問題を考えることができる」
六班「コーヒー豆の値段と缶コーヒーの値段はどうやって決められるのかしらべる」
子どもたちの提出した学習課題は多岐にわたっていた。それは、あんがい、多くの子どもたちが直観的に缶コーヒーと日本の工業を結びつけていたからかもしれなかった。また、子どもたちの社会的な生活は、こうした結びつきを発想させるほど広がりをもっているということかもしれなかった。
* * *
「先生、Aの会社のものとBの会社のものとでは味が違うよ」
「だけどさ、Aの会社のものでも、缶コーヒーの種類がたくさんあって、そこでも違いがあるよ」
「値段も違うしさ」
「でも、どれでもおなじ味だよ」
「先生、このコーヒー飲んでいい?」
実際に飲んでみると、子どもたちは「味が違う」「そんなに違わないよ」「ストレートっていうのはミルクがはいってないんだ」「ブレンドって書いてあるのと、モカとかキリマンジャロとか書いてあるのがあるけど、わかんねーな」……、さまざまな感想を言いあっていたが、「ポッカがいいな」「えっ、UCCだよ」「おれはジョージアがいい」と商品名をあげていく。
「きみらは、意外と舌がこえているんだね」と言うと、「だって、いつも飲んでるもん」。
ポッカ、コカコーラ、キリンシーグラムなどに手紙を書く
各班が設定した学習課題を追求するために、子どもたちは、まず、缶コーヒーを生産している会社に手紙を出したいと言う。理由は、缶コーヒーについての資料がなかなか見つからないこと、会社に手紙を出せば、それなりの資料が手にはいるということだった。この理由はしごく当然のことのように思われた。教師の提示する資料だけに限定するのではなく、主体的に資料を探すとなれば、生産している当事者にその資料を請求するのは、筋である。また、それが子どもたちにしぜんな社会的な結びつきと広がりをもたせることにもなる。生産当事者の資料を検討し、それに対して、批判的に子どもたちが介入していくとなれば、それもまた生きて働くものになる。こうした視点から、子どもたちの手紙活動を展開していくことにした。
子どもたちは、ポッカ、コカコーラ、キリンシーグラムなど、缶コーヒーに印刷されている会社の住所を列記して、一覧表をつくり、せっせと書いていた。
質問1 一年に何本、缶コーヒーをつくっているか?
質問2 働く人は何人?
質問3 あなたの会社ではどこの国のコーヒーを作っているか?
……中略……
以上の質問に答えて、しきゅう返事をください。
○○会社様
これは、ある班の下書きである。手紙になっていないのでびっくりした。どの班のも同様であった。子どもたちに「手紙を書いたことがないの?」と聞くと、「ない」と言う。これでは相手に対して失礼になるので、手紙の書き方の指導をすることにした。あんがい骨の折れる指導であった。
それと並行して、缶コーヒーの調査活動も活発におこなわれていた。つぎの文章はA君の10月8日の日記である。
「今日の社会の時間、カンコーヒーについて調べてみました。カンとコーヒーに分けて調べてみると、カンの原料の鉄鉱石をとかしたものも、アルミニウムの原料のボーキサイトも、これらは100パーセント輸入品です。コーヒー豆の原料は、ブラジルなどから100パーセント輸入です。砂糖は65パーセント輸入でした。つまり、外国との関係を悪くするとカンコーヒーは作れないということです。
ぼくは、いくつかの問題を感じています。一つは、カンコーヒーの糖度やカンの大きさのことです。もう一つは、カンコーヒーにはいくらのお金がかかっているのかということです。こうしたことについても調査したいと思っています」
A君以外にも多くの人が自主的に学習を進めていますが、B君は、缶コーヒーの原料がほとんど輸入に頼っていることから、「コーヒーを運ぶとき、どうして船を使うのか」と自分で設問し、自分なりに考え、こう結論づけました。
「『船は大量の貨物を運ぶことができること、輸送費が安くてすむこと』、また、『カンの原料の鉄やアルミも輸入に頼っているので、これらの工場は海に面しているところに集中している』と考えています。そして、鉄のできるまでを調べて書いています」
こうして調査したものは班の地図に記入し、整理していく。整理したものはできたものから順に学級に報告し、学習の素材としていた。
子どもたちは赤道下の原産地を、原料ベルト地帯と命名する
学習通信に載せたA君とB君の調査発表のあと、子どもたちは、彼らの調査を追跡し、その事実を確かめていく。各班の調査が進むにつれて
アフリカ、東南アジア、中南米、南米にまたがるこの地帯を、子どもたちは、「太平洋ベルト地帯」になぞらえて、「原料ベルト地帯」と呼んだ。
B君のいる班では、鉄鉱石が缶になるまでを調査し、圧延された鉄板から缶になるまでをしらべて発表し、この鉄が近代工業を支えた歴史まで自主的に学習し、発表している。
しかし、アルミ缶のほうは、子どもたちの調査だけではなかなか資料が収集できなかったので、あとにまわして、授業でとりあげることにした。
缶コーヒーの生産・販売元にあてた手紙の返事が届きはじめると、子どもたちは、それをもとにして壁新聞を作りだした。どこの会社からの返事もいたって丁重で親切に答えてくれていた。班の手紙だけではなく、ひそかに、個人で手紙を出して、資料を収集していた子もいた。
[A社の返事]
このたびは、缶コーヒーについてお問い合わせをいただき、ありがとうございます。
ご質問へのお答えは、はがきに記入いたしましたのでごらんください。パンフレットを同封しましたが、コーヒーについてのパンフレットはとくにありませんので、おゆるしをいただきたいと思います。みなさまの社会科の学習が立派に出来ることをおいのりもうしあげます。
質問1 どこの国のコーヒー豆を使っていますか?
答え ブラジル、コロンビア、コスタリカなど。
質問2 年間どれくらいのコーヒー豆を使用していますか?
答え 年間約1000トンの豆を使用しています。
質問3 一つの製品に対してどれくらいの種類の豆を使用していますか?
答え 製品の種類によって違いますが、だいたい5種類の豆を使用しています。
質問4 カンコーヒーの生産量はどれくらいですか?
答え 年間2億8千万カン、一日当たり300万カンのカンコーヒーを製造・販売しています。
質問5 カンコーヒーの入れ物はだいぶ小さいのですが、その理由は?
答え さわやかな一時を過ごすためには、カンコーヒーは250グラムがちょうどよい分量です。
質問6 工場のなかで働いている人は何人ですか?
答え A工場は250人、全社員は2400人。
質問7 カンコーヒーにはいっているものは?
答え 砂糖、コーヒー、全粉乳、脱脂粉乳、乳化剤、香料などを使用しています。
質問8 コーヒーとカンは同じ工場で生産しているのですか?
答え カンの工場とコーヒーを作る工場は別々になっていて、カンはTという、カンをつくる工場のものを使っています。
日本は原料ベルト地帯の50か国から輸入している
この手紙で、まず、子どもたちが驚いたのは、1000トンという豆の量である。5トントラックで200台分の量というと想像もつかない量である。このコーヒー豆から約7万トンの缶コーヒーが生産される。一本100円として、2億8000万本を売りつくすと、単純に計算しても280億円のお金に変身する。この会社で作る缶コーヒーを日本人は一年間に約3本飲むことになる。
しかし、お金のことになると、バブル経済を肌で感じている子は、「なんだ、これっぽっちなの?」とも言う。「このへんの家で1億なんていっぱいあるよ。たった280軒ぶんぐらいじゃないか」
280億円というお金の価値も地に落ちたものである。
「先生の給料だと、何年分?」
「
「だってさ、この工場で働く人の給料とかもこれででるんだぜ」
「そうか、あんがい大きいお金なんだね」
お金の話に脱線していくと、とどまることを知らない、現代の子どもたちである。B社、C社、D社から……と資料が届いてくると、日本で生産されている缶コーヒーの量は、すさまじいばかりであることがわかってくる。ほとんどが億を越えた生産量である。なかには27億本という会社もあった。集まった資料のかぎりでは、総缶コーヒー数41億本、日本人一人あたり、一年間に約40本近い缶コーヒーを飲んでいることになる。
C社から届いた資料には、コーヒー豆についての資料がたくさんはいっていた。コーヒー豆の原産地・生産地、コーヒー豆の種類と特徴、コーヒーのおいしい入れ方、コーヒー豆の栽培とその立地条件……、そして、子どもたちが関心を示したのは、「コーヒー生豆の国別輸入数量及び価格
50近い国から輸入しているのである。そのほとんどが「原料ベルト地帯」の国であることを地図帳で確認すると、子どもたちは「うおー」という声をあげた。国の多さもさることながら、みごとにこの地帯に集中しているという事実。「’90年世界子ども白書」にあった子どもの死亡率の高い「南の国」と一致する国が多いのも驚きであった。
ある班のなかでは、こんな会話がかわされていた。
「どうしてこんなに南の国に集まっているの?」
「そりゃ、暖かいし、コーヒー豆の栽培に向いているからだよ」
「輸出するぐらいだから、たくさん取れるんでしょ、なのに、どうして、あんなに悲惨なの?」
「そうだよな、輸出するぐらいだから、お金だってはいるでしょうに」
「そうとは限らないよ。コーヒーが安いんだよ」
「そうかな? A社が輸入するのは1000トンでしょ、これでどれくらいするのかな?」
「ちょっと、先生……、1000トンで、どれくらいの値段なのかな?」
「この資料で計算してごらんよ。合計のところの単価一キログラムで371円だよ」
さっそく計算する。
「一トンで37万1000円だから、3億7100万円だ!」
「A社の缶コーヒーの売り上げは280億円だから、えっ、70倍の利益になるんだ」
なぜ、国によって、輸入価格や数量に差があるのか
この資料からなにが読みとれるのかを班ごとにまとめさせた。
一班「単価が1000円を越えるベスト3は、プエルトリコ、米国、ジャマイカで、アジアの国からのものは意外と安い」
二班「輸入数量のベスト3は、ブラジル、インドネシア、コロンビア。単価が1000円を越す国からの数量はあんがい少ない」
三班「単価が200円台の国、300円台の国、400円台の国、900円台の国、1000円台の国とあって、なんだか、グループをつくっているみたい」
四班「質問がある。単価が高くて輸入数量が少ない国があることと、単価が安いのに数量が少ない国があるのはなぜ? 単価の安い国からの数量が少ないのは、おいしくないからだっていう仮説が立ったけど、高い国のは、おいしいんでしょ、だったら、もっと数量を増やしてもいいと思うんだけど」
五班「ぼくらのも質問だけど、単価の高い国からは、おいしくても高いからいっぱい買えないんだと思うけど、だったら、安い国からもっと買えばいいのにね。たとえば、中国とかから。インドネシアのような国もあるんだから」
六班「どうして日本はこんなに多くの国からコーヒー豆を買っているのか? それにさ、輸入価格にこんなに違いがあるのはどうして? なにかルールがあるのかな」
三者関係というのは、
一班から三班までは型どおりのまとめだったが、四班からは質問が中心で、しかも、それは、コーヒーをめぐる経済問題にかんしてであった。
1991年11月9日の『朝日新聞』夕刊に、「コーヒー南北問題」という記事が載っていた。この記事のコピーを各班に渡して、質問のあった問題について検討できることをまとめていった。
まず、「単価の高い国からの輸入量」では、ジャマイカの例が出ていた。ジャマイカで生産されるのはブルーマウンテンで、「コーヒーの王妃」と呼ばれるほど「品のよい味」とされ、日本で人気が高いこと、生産量の8割を日本が買っていること、しかし、収穫量が少なく、価格はジャマイカが握っていることがわかった。「生産量の絶対数が少ないこと、それにおいしいコーヒーであること」……、これが単価の高さと輸入数量の少なさとの関係の秘密であった。
価格のルールについては、1962年以来、発展途上国
しかも、アフリカや中米ではコーヒー輸出にたよる貿易で、価格が下がっていくことに危機感をもっていることもわかった。そのうえ、全体としては、コーヒーの価格が安くなっていて、生産量を増やしていくと品質の低下をまねき、かえって売れなくなるというのである。
しかし、子どもたちは、「いくらなんでも、200円と2800円では違いすぎるよ。おいしいっていっても、たかだかコーヒー豆で2600円もの差があるのはおかしいよ」
「大根が、埼玉と千葉だからってさ、1000円も違ったら、どうなるんだよ」
「お父さんがね、『ジャマイカから1キログラム1581円で買ってるとすると、100グラム158円だろう。ここの豆を店で買うと1500円ぐらいだから、1342円ももうかるんだ』っていってた」
「そうすると、1キログラムの輸入単価が100グラムの値段ということだね。だいたい1グラムで考えると輸入単価が1円とちょっと、それを日本で売ると15円ぐらいになる。1円が15円にばけちゃうってことだ」
「先生、質問。そうすると、輸入価格というのは、ジャマイカの場合、高いの、安いの、どっち? それにさ、日本で売るときの値段は高いの、安いの、どっち?」
「きみはどっちだと思う?」
「輸入価格は絶対、安い! 売ってるほうは、高い!」
「意見! だったらさ、もっと高い値段で輸入して、安い値段で売るようにしたほうがいいよ」
「反対。ジャマイカのは輸入価格がほかの国に比べて高いんだから、もっと安くして買ったほうがいいし、安い国からもっとたくさん買ったほうがいい。そしたらさ、日本がもうかる」
「その意見に質問。そうやると、ジャマイカ以外の国の値段はどうなるの? もっと安くなるよ。困る国だって出てくるんじゃない?」
「いいじゃん、日本がもうかるんだから!」
「作っている国がもうからないというのは、日本の農業に似ていて、いやな感じだな」
「先生、この記事にさ、“国際会議”ってあるでしょ。このクラスでもやろうよ」
子どもたちの“国際会議”で、金満国ニッポンの素顔をみる
子どもたちが問題にしたのは、経済問題である。しかも、コーヒーのように国際的な経済関係の渦中にあるものだけにむずかしいなとも考えたが、しかし、この価格の矛盾は、どう考えても変である。ことの本質が子どもたちの素直なフィルターをとおすことで見えてくることもあるし、日本の社会では、こうした経済関係を軽視し、金持ち日本の「国際貢献」を「援助」問題にすりかえていく傾向もみられるだけに、金持ち日本の素顔を子どもたちの議論をとおして見ていくこともあっていいのではないかと考えた。
さきほどの「コーヒー生豆の国別輸入数量及び価格」の表を使って、検討することにした。子どもたちのあげたテーマはつぎのようになっていた。
★テーマ「これでいいのか、輸入数量と価格!」
「輸入数量というのはおかしくないか。これだと、日本の国が中心になるけど?」
「いいと思う。だって、輸出数量にすると、日本をせめられないから」
「日本のほうからすれば、どれくらい買うかということで、外国からすれば、どれくらい買ってくれるかということで、それがはっきりすればいいから、これでいい」
「この表で考えていくから、このほうが面倒くさくない」
とにかく、コーヒーのもっている国際関係のおもしろさをとおして、日本の工業、とくに、南北関係のなかでの日本の工業の位置を考えていくことができればいいのである。南北問題を抜きにしては日本の工業は語れないのが現実である。しかも、このかかわりが子どもたちの未来と深く結びつき、生き方を問う問題になっていくのは目に見えているからである。
農業を切り捨ててまで工業を発展させ、企業の論理で個人の人生を規制していく日本社会の現実を、世界との関係で見ていくことで、問いなおしていくのは子どもにかぎらず、私たち大人の課題でもある。そこに、一定のメスを入れていくことになる子どもたちの試みは、支持できるし、大いに展開していかなければならないことである。とにかく、やってみよう。そう思って、つきあうことにした。
出席する国を決めた。
エチオピア、ジャマイカ、インドネシア、日本など6か国に分かれて
☆エチオピア(一班)……アフリカのなかでもっとも多く日本にコーヒーを輸出している。飢餓、子どもの死亡率の高さなどの特徴をもっている。
☆ジャマイカ(二班)……高い値段のコーヒーを生産し、コーヒーの生産にも余裕をもっている。
☆インドネシア(三班)……新しいコーヒーの生産国で、アジアでもっとも多く日本が輸入している。
☆日本(四班)……当事国。
☆ブラジル(五班)……世界で最大の生産国であり、輸出国である。
☆中国(六班)……日本に近く、つきあいも古いが、コーヒーでの結びつきは浅い国。
これらが、子どもたちがあげた理由である。
基本の資料を前述の日本の「コーヒー豆の国別輸入数量と単価」として、それぞれが、年鑑、会社から送られてきた資料、町のコーヒーショップから仕入れた聞きこみ調査など、必要と思われるものを参考にして、「コーヒー会議」にのぞむそれぞれの主張を考えていくことにした。主張はくわしく述べなくてもよい、しかし、数量と価格についての要求とその理由ははっきりさせる、ということにした。
調査の段階で、日本とジャマイカをのぞいた国が「輸入価格が低いので、数量をもっと増やすこと」という共通の要求をもっていることがわかり、ここを切り口にすることで一致した。そこで、主張のなかに、この要求を入れこむことにした。
二班のジャマイカは、数量はこれぐらいでいいが、単価を少しあげてもらうことを要求した。理由はほかの国からもっと高い値段で取り引きしたいという要求があるが、これからも日本との取り引きを重視したいということが、前述の新聞記事に載っていたことから考えたものである。
四班の日本は、「1995年には37万5千トンの需要がある」という新聞記事から、全体の数量を増やすことを考えた。また、1991年9月に開かれた国際コーヒー機関の理事会で議長を務めた石川さんが、「外貨獲得をコーヒー輸出に頼っているアフリカや中米のことも考えてくれ」と述べていたことを念頭において、アフリカや中米の数量と単価を上げていくことを基本方針にした。
議論は、結局、自国優先で、ものわかれになる
これからも、まだまだつづく子どもたちの“国際会議”
第一回目のコーヒー会議を終了した子どもたちは、「まだまだですねー」とおどけた調子で継続を主張する。私と子どもたちとの缶コーヒーの追求は、各国の大使館の調査へと進んでいる。世界の、とくに「南」の国の人びとがコーヒーに対する思いをどう語ってくれるのか、そして、日本という国になにを要求し、期待しているのかをじかに知りたいという願いをこめて手紙を送っている。返事がきたら、その段階でまた、国際会議を計画している。
また、アルミやスチールと南の国とのつながり、そして、日本のアルミやスチール缶のリサイクルはどこにいくのかなど、子どもたちがかかげた課題の追求はいまもつづいている。
一九九一年一二月の下旬、となりのクラスの女教師が見せてくれた『アエラ』五四号の「コーヒー豆の矛盾」という記事は、その見出しで「働けども収入は増えない生産国の苦い生活」と書いている。子どもたちは、この記事のコピーからも学習を進めている。「日本のなかの世界」は確実に子どもたちの現実になっている。私は彼らと何が追求できるのか、ふたたび考えながら、この記録を終えることにしたい。
出典:里見実・編『地球は、どこへ行く?』1993年、太郎次郎社
鈴木和夫 (すずき・かずお)
1948年、岩手県に生まれる。東京都公立小学校教諭。
この授業は、東村山市立北山小学校教員のときのもの。
全生研(全国生活指導研究協議会)常任委員。元、雑誌『生活指導』編集長。
著書に『ギャングエイジと学級集団づくり』(明治図書)、『子どもとつくる対話の教育』(山吹書店)など。