こんな授業があったんだ│第24回│俳句は子どもの感性を鋭くする〈前編〉│青木幹勇
俳句は子どもの感性を鋭くする〈前編〉
青木幹勇
(1980-90年代 ・ 小学校)
青木幹勇
(1980-90年代 ・ 小学校)
子ども俳句に開眼する
もう10年、あるいはそれ以前から、俳句を作ることが広く行なわれていることが話題になっていました。戦前から俳句になじんできたわたしは、俳句界の情報にはなにほどかの関心を寄せていました。しかし、このところの俳句ブームといわれる情況の内容は、わたしの関知するところをはるかに上まわっているようです。
俳句人口の急激な拡大は、女性、それも年輩の主婦層の作句活動によるものといわれています。主婦が余暇をもてるようになったこと、学習に好都合なカルチャーセンターなどの普及、あるいは、手近な生活圏(コミュニティ)に、小さな俳句サークルが生まれてきたことなどが、そのブームの要因でしょうか。
もちろん、その間にマスコミの介在が大きなはたらきをしているでしょう。新聞、雑誌、放送はみな投句を誘い、そこへ手軽に参入できる指導の手を伸ばしています。
女性の作句熱が盛んな一方で、子どもたちの俳句学習も急速に広がってきました。
子どもの俳句を募集し、審査し、評価している俳句大会には、なんと、10万、20万という大量の応募があるそうです。
この子ども俳句隆盛のかげには、もちろん多くの教師たちがいるはずです。しかし、その指導は、いわゆる国語科の授業のなかでというのではなく、そこからはみ出して、もっと大きなスケールのなかで行なわれているようです。
個々の子どもが興味をもって作り、投句しているものもかなりあるでしょう。あるいはまた、学校を挙げて大量に投句しているケースも少なくないようですが、これらとはべつに、もっと大量に作られているところがあるのかもしれません。
子どもが俳句を作っているのをのぞき込んだ親は、面白そうで、案外とユニークだと興味をもち、一緒に俳句を作り出します。
こうして、大人の世界へ俳句をひろがらせたエネルギーを秘めていたのが子ども俳句である、と自負しています。
上は、一茶にゆかりがあるといわれている東京都足立区炎天寺に本部のある、「炎天寺一茶まつり全国小中学生俳句大会」の選者であった、俳句作家・楠本憲吉氏の述懐です。
俳句ブームは国内だけでなく、海外にいる日本人の大人、子どもにも愛好されています。しかもそれは、日本人だけでなく、外国人、その外国人の中心にはプロの作家、詩人もいるようです。かつては、季感・季語などが障害になるなどといわれた国ぐにでも、いまはもうそのようなワクや垣根などさっさととり払われ、乗りこえられています。
話が少し広がりすぎました。子どもの俳句情況にしぼってもう少し考えてみましょう。
たしかに子どもの俳句は、過去にはみなかった盛況をみせているのですが、わたしの周りにいる教師のなかで、クラスの俳句指導、あるいは学校全体の作句活動を推進している者はほんの2、3人です。もちろん、教科書に載せられている教材を読んだり、書いたり、わからせたりの指導はいちおうどの教師もしているでしょうが、作句の指導から作品応募の世話まで、手を広げている教師は、子ども俳句が盛んになったといっても寥々たるものではないでしょうか。
わたし自身は、戦中・戦後ずっと作句を続けてはいましたが、これを積極的に国語科の指導にもちこむことには消極的でした。理由は、それを国語教室のものとする確信がもてなかったからです。確信とは何か。俳句が、言語の理解と表現にどのような価値をもつかです。
このもやもやを一気に払拭してくれたのが、子ども俳句の盛況です。うかつにも、わたしが、この情報に関心をもったのは、かなりおくれていました。
やきたてのクッキーみたいな春の風
子ども俳句の盛況といっても、具体的に、その状況を見たわけではありません。わたしを子ども俳句の世界に引きこんでくれたのは、次に掲げる二つの句集です。
『俳句の国の天使たち』(日本航空広報部編)
『句集 ちいさな一茶たち』(楠本憲吉・炎天寺編)
『俳句の国の天使たち』は全ページの半分が、子どもの写真(カラーと一部モノクロ)と、何ページかの切り絵、そして、各ページに一句ないし二句、小中学生の俳句(片隅にこの句の英訳)が挿入されています。
登載されている句は、水野あきら氏の選ばれたものだそうですが、これが粒選りの秀句です。わたしは、この句集を何回となく読みました。そして、ひじょうに強い衝撃を受けました。それはまさにわたしの子ども俳句開眼だったのです。読んでいるうちに、これまでもっていた、子ども俳句の理解を大きく変えさせられました。
これまでの子ども俳句はたいてい、大人の俳句を下敷きにしたものか、子どもっぽいものの見方や、舌足らずの表現でした。しかし、これはこれで、独自のよさがあり、それだけに一つの存在価値をもっていると思って受けとめてきました。
ところが、『俳句の国の天使たち』には、次のような作品がずらりと並んでいるのです。
とりあげればきりがありませんが、ここには、もう大人の真似、稚拙さを売り物にするような句はほとんどありません。子どもの目でとらえ、子ども特有の感性と発想による文字どおりの子どもの俳句が作られています。
このような作品にふれているうちにわたしにも、俄然、指導意欲が湧いてきました。こういう俳句を教材にすれば、子どもはかならずのってくる。そんな期待がわたしをつき動かします。先に述べたもやもやが一気にわれて、「子どもの育つ国語教室」は、俳句によってもけるという歓喜のようなものが湧いてきました。
子ども俳句も歴史を重ねてきました。たいそう評判になった作品もいくつかあります。
この句を子どもたちに読ませると一瞬はっと驚き、「はあ、そうなのか」と、一種の感慨をたたえた静かな顔に変わります。子どもたち何人かに解釈をさせてみたり、わたしが補説をしたりしていると、そっと涙ぐんでくる子もおりました。
天国に行った父親は、たぶん急死だろう、だとすると交通事故かな、まだ男ざかりだったにちがいない。そんな平凡な思惑が浮かんできます。
一昨年のいつごろだったか、何気なくテレビにスイッチを入れると、草柳大蔵氏が画面に出ていて、なんと、この俳句をとりあげて話しているのです。おやと思って見ていると、氏は、この俳句の作者に電話をして、父親の死因をたずねたそうです。ところが、わたしの憶測した交通事故ではなく、(聞きとりは確かではありませんが)心臓に関係した病気だったようでした。わたしはこの句に対する草柳氏の関心の強さに驚きましたが、この句については、すでに『句集 ちいさな一茶たち』のなかに、楠本憲吉氏が、
この句の作者に私は会いたいと思います。このきびしい美しさのある句を作った子に脱帽します。
「うつくしい」ということには二種あって、一つは「美しい」という美的うつくしさ、もう一つは厳しさの美「厳(うつく)しい」です。この厳しさの美を創る鍛練が大切なのです。
と書かれています。『句集 ちいさな一茶たち』のなかには、もうひとつ評判になった句がとりあげられています。
楠本氏もメンバーの一人であった「男の井戸端合議・五人の会」(扇谷正造、草柳大蔵、楠本各氏ほか二人)、この五人で書いた『花も嵐も踏みこえて』という本のなかにある座談の記事に、こんな一節があるそうです。
扇谷氏の「いつか楠本さんから聞いた『さそり座の尾の一げきに流れ星』、あの俳句にはびっくりしましたね」という発言に楠本氏が、話を合わせて、こんなことをいっています。
「(子どもたちの作品を)たくさん見ていまして、ハッと目を見張る思いをしたのが『さそり座の尾の一げきに流れ星』。これは中学校2年生の子の句です。僕はあまりうますぎるので怖かった。お父さん、お母さんの代作か、あるいは盗作かもしれぬと思って電話したんです。そしたら、これはアニメなんです。テレビの場面が変わると、さそり座がさそりになる。それがピンと尾をはねたら星を一つはねて、それがビューッと落ちていって流れ星になったというんですね」
このいきさつを聞いて、草柳氏が、「でもよかったなあ。テレビという媒体がなくて、その子が本当に夏の夜空を見てつくったんだったら、脅威だよ」と、ホッとされていましたし、楠本氏は「もうこっちはお手上げですよ」。草柳氏も「もう物書きはやめるよ(笑)」と感嘆しています。
楠本氏は、二十何年も、子どもの俳句の評価にあたってきているそうですから、子ども俳句についての理解がひじょうに深く、豊富な話題の持ち主でしたが、先年なくなられました。
おしまいに、新聞のとりあげた、子ども俳句の秀作を並べてみましょう。
以上五句、読売新聞1990年5月10日「編集手帳」に引用。
上三句は、『地球歳時記’90』所収。一句目は大岡信氏が朝日新聞・1991年5月16日「折々のうた」で、他二句は、1990年8月18日「天声人語」で紹介。
自分にも作れそうだと思わせる
こういう作品を読むと、このような心境にいる子どもたちが、無性に美しく感じられてきます。尊くさえ見えてきます。
これまでの俳句指導では、教科書に載せられた、古典俳句、近代の名句などを教材にしてきました。しかし、それが俳句として客観的評価は高いものであっても、子どもたちにはしっくりと理解されるものではなかったといえそうです。結局は、教師の解釈を押しつけるような授業になりました。それはそれで、無意味ではなかったでしょう。
ところが、ここへきて右のような子どもの作品が教材として使えるようになると、状況は一変してきます。
❶─作品のモチーフがよくわかります。
❷─作者の生活感情に共感がもてます。
❸─わたしにも作れそうだなという親近感がもたれてきます。
❹─作品を読む・作る指導に生かす手だてが見えてきます。
つまり、これらの俳句が、子どもを読むことへ、作ることへ動かす。触発してくれるのです。いや、子どもたちより教師です。
❶─この俳句なら、きっと子どもたちにわかる。
❷─おもしろそうだと感じさせることができる。
❸─作ることへ誘いこむことも、そうむずかしくはなさそうだ。
❹─俳句学習にからませて、他のことばの学習ももくろめる。
❺─とにかく、授業へもちこんでみたい。
教師も、このような作品に惹かれます。いうまでもなく、すぐれた俳句、評判の高い俳句が、かならずしもすぐれた教材とはいえないこともありますが。
長年、俳句に親しんできたわたしは、このような子どもたちの作品を読んで、これを自分の手で授業へのせてみたい。授業にのせる、つまり、教材として生かそうとすれば、あれやこれやの方法が案出されそうな気がしてきました。
数多い授業者たちのなかには、俳句は古い、老人や暇な人の慰みものだと思っている人がいないとはいえますまい。いやもう、そんな人はいないかもしれません。しかし、俳句という文芸に学ぶことが、国語科の学習にとってどういうメリットをもっているか。俳句だからこそ、こんな指導が可能であり、効果的であるということがいわれるか。そのような点になると、まだ問題はあるでしょう。まして、国語教室での授業の構成や、効率のいい俳句の指導法など、今後にのこされた課題はたくさんあると思います。したがって、物語とか、説明的な教材、自由詩などの指導に比べると、俳句は依然、授業の片隅におかれることになりかねません。
わたしは、ここで、これをしっかりと国語教室に定着させるために、あらためて、これが俳句の学習(指導)価値だと思われるものを書きならべてみました。
❶─俳句は短い。俳句にはリズムがある。これが、読みやすさ、覚えやすさ、そして、暗誦にもつながる。
❷─俳句は短くて、読みやすいが、句意をとらえることは、かならずしも容易ではない。この抵抗も一つのメリット。
❸─俳句は詩である。俳句を読むこと、作ることによって詩感を養い、詩心を育てることができる。
❹─俳句表現には、ことばの省略、文脈の屈折が多い。これを理解や表現につなぐことができる。
❺─俳句の表現には、諸種の比喩や飛躍が多く用いられている。
❻─季語の理解と使用を契機に、季節と季節の動き、季節の動きから季感へと、関心を広げることができる。
❼─句の意味を理解したり趣を感じとったりするために、想像をはたらかせ、連想をあしらって読むことが要求される。
❽─短詩型であること、季語その他の制約があるために、語を選び、省略をする。それが表現の飛躍や屈折につながるなど、散文では学びにくいレトリックを学ぶことになる。
❾─理解や表現に即し、言語感覚を具体的に養うことができる。
❿─俳句を作ることがきっかけになり、作文に不得意な子どもも、書けるようになる。俳句をたしなむ主婦が随筆を書くようになる例は少なくない。
上の10項目にはいくつか重なったところがあります。また、このように並べると、俳句の肩をもちすぎているというそしりを浴びせられるかもしれません。
なかには、物語や説明的な教材に比べると、なんとなく、つかまえどころがなくて……と、感じられる教師も少なくないかもしれません。限られた国語科の持ち時間は、現在すでに限界にきている、とても俳句に割く時間はない、といわれる人もいるでしょう。
このように俳句への理解が浅く、どちらかというと、軽視、敬遠の教室では、依然として、俳句は日陰におき忘れられていきそうです。
いうまでもなく、俳句は詩です。そして、それが子どもも作れる詩であることは、十分実証ずみです。俳句には関心の薄い教師のなかにも、いわゆる自由詩の指導を手がけた教師はたくさんいると思います。詩の学習として両者の共通するところは少なくありません。
作文指導の強化が、これまでにないほど強調されています。俳句はいうまでもなく作文です。短作文です。俳句から散文表現への移行など、これも、作文指導の新しい志向かもしれません。
俳句は、短いけれども、ひじょうに多彩な、そして、奥の深い学習内容を内蔵しています。作文の価値は、作られたものの長短では決まりません。俳句という表現形式には、森羅万象、喜怒哀楽、どんな内容でも盛りこむことができます。俳句は、古い、むかしのものだ、年寄りの手なぐさみなどと、考えている教師がいたら、その人こそ古い、むかし人間です。
国語の教科書の多くは、俳句を6年生の教材としていますが、俳句は、どの子でも作れます。幼稚園児だって、けっこういい作品をみせてくれています。
さあ、書くぞ、作るぞ、と構えなくても、いつでも、どこでも、作れます。
教師にとって、俳句作品の評価や処理にはさほど手間がかかりません。子どもたちの手によって、個人の句集、クラスの句集をまとめることも、手軽にできることではないでしょうか。
(後編につづく)
出典:青木幹勇『授業 俳句を読む、俳句を作る』1992年、太郎次郎社
青木幹勇 (あおき・みきゆう)
1908年、高知県に生まれる。2001年12月没。
宮崎県師範学校専攻科卒業。同附属小学校をへて、東京高等師範学校、東京教育大学(現・筑波大学)の附属小学校にて長く教鞭をとる。
1953年より25年にわたり、NHK「ラジオ国語教室」放送を担当。
月刊誌『国語教室』編集・発行責任者。授業研究サークル「青玄会」代表。
『青木幹勇授業技術集成』全5巻(明治図書)、『子どもが甦る詩と作文』『生きている授業 死んだ授業』『第三の書く』『授業・詩「花いろいろ」』『授業・詩を書く「風をつかまえて」』(以上、国土社)など著書多数。
作句歴としては、臼田亜浪、田川飛旅子に師事したのち、無花果句会に所属し、同会を主宰。句集に『露』『風船』『滑走路』『牛込界隈』がある。