こんな授業があったんだ│第27回│“土”をつくる〈後編〉│春日辰夫
“土”をつくる 〈後編〉
くさーい生ゴミが土になるまで(1990年・ 小学3年生)
春日辰夫
くさーい生ゴミが土になるまで(1990年・ 小学3年生)
春日辰夫
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生ゴミはきらいだけど、土になるなんて不思議 !
10月12日、ちょうど30日目。生ごみの温度は地温とほぼ同じになる。気温・地温・生ごみの温度を測りつづけたのだが、ほかの温度と関係なくどんどん上がり、そして下がっていった生ごみの温度は、子どもたちをそのつど驚かせていた。生ごみの色も見るたびに黒くなっていく感じ。ぬれた状態は前回とあまり変わらず。
■畑へ行って生ごみを見たら、なんと土らしくなっているじゃないか。すごいな。生ごみはほとんどなくなっていて、わらばっかり。しんぶんしもありませんでした。温度は一七度、どうして地おんよりひくいの、なぜ。虫もしんでいたし、ひくくなっていた。少しちゃいろっぽくなっていた。くさくなかった。かき回したら、わらとどろみたいのばっかり。一回目や二回目とはぜんぜんちがう。まえは、色がいっぱいまざっていたのに。虫もうようよしていたのに。「どうしてなのかなあ」と、ふしぎでしょうがないな。わたしは、生ごみはきらいだけど、土になると思っています。 (智恵)
10月15日の観察でも、特別な変化は見られず、つぎの観察を一週間後とする。そのあとも大きい変化はなし。箱のなかの最後の状態でいえば、わらがなかなか頑固で、いまだ、わらとわかる部分は残していて、とうもろこしのしんは、色はほかとまったくおなじになりながら、形を崩さない。全体が土の色になったのだが、ぬれた状態はそのまま。
ビニール袋はくさらず、いつまでたっても残る?
まとめの話しあいを1時間する。まず、生ごみの観察をつづけて不思議に思ったこと、気づいたことを自由に挙げさせると、
★ウジがわんさと出てきて、そして、いつのまにかいなくなってしまった。
★温度がどんどん上がっていって、43度にまでなった。
★卵の殻は細かくなったが残ったし、魚の頭の骨が紙みたいになったが残った。とうもろこしのしんは、色が変わったがそのままだった。ビニールの袋は色は変わってもそのままだった。(ビニール袋はまちがったふりして入れておいたものだった。)
★においはほんとうにひどかった。
★新聞紙はすっかりなくなってしまったが、わらはそうではなかった。
などがつぎつぎに出された。
ウジやそのほかの虫がなぜ現われたのか、そしてどこへ行ったんだろうということは観察中、みんながもちつづけた疑問であった。
正樹が、「ふたをちゃんとしていたのだから、生ごみに卵がついていたのではないか。生ごみのときにハエなどがついたのではないか」と言うと、みな、「そうだなあ、それしか考えられないなあ」「魚はおいていてもすぐ腐ってしまうから、それと同じだ」と同調する。わたしが「わらには卵はついていなかったの」と問いかけると、「わらはカラカラだった。古いから生きていないのではないか」「生ごみのなかはウジにとってとてもいい温度だったんだ」「いなくなったのは、生ごみがなくなってきたからだ」「いなくなったのは食べるものがなくなってきて、とも食いしたのではないか」「死んだウジは生ごみといっしょに土になったんだ」「人も死んだら土になっていくんだ」と、子どもたちのおしゃべりはつづく。
観察のたびにもったさまざまな疑問も、終わってふりかえると、いろんなことがつながっていき、考えることが容易になっていくのであろう。まったく腐ることがなかったビニールを見て、「ビニールは腐らない」とおぼろにはわかっていても、実際に目にすることによって、子どもたちはいまさらのように驚いていた。魚の骨が薄っぺらになりながらまだ残った。卵の殻も細かになっていきながらも残った。とうもろこしのしんもである。しかし、これらは時間がかかってもしだいに土にかえっていくことを、観察過程で子どもたちも見当はつけている。これらとビニールはまったく違うのだ。
わたしは「人間のつくったもので、土にかえすことができない、このビニールのようなものが、わたしたち人間のかかえる大きい問題なのだ」と言いそえておく。子どもたちもすなおにうなずいていた。
ウジのわいた土でつくった野菜をたべるの?
10月最後の日曜は学芸会。これからどんどん寒くなるというのに、畑でたべられるものを育てるのはとうてい無理なので、生ごみの観察だけで終わりにしようとしたのだが、仲間が、「せっかくだから短期間で育つものを植えてみるのはどうか。これを使ってみてこそ、子どもたちは生ごみのことがよくわかるのではないか」と言う。
まったくそうだ。観察をつづけた子どもたちは、生ごみが土にはなったと思っている。しかし、あの強烈なにおいと大量のウジがわいたあの土についての印象はきわめて悪い。
あの土を使って野菜を育ててみようと言っても、いっせいに「いやだあ」「できたってぜったいに食べないからね」と騒ぐ。こんなようすを見ながら、これはどうしても野菜をつくらなければならないと思った。
おなじ編集委員の岩佐さんに相談すると、冬にむかう時期を心配しながらも、ビニールテント用のビニールと支柱をもってきてくれるという。
10月30日、あまり気ののらない子どもたちを畑に連れていき、二十日大根(さくらんぼという名)とチンゲンサイをまく。生ごみの土を使って野菜をつくってみると言ったとき、「入れない土と両方に植えれば生ごみの力がわかるね」と何人かの子が言ったこともあり、一畝を半分にし、生ごみの土を入れたほうと入れないほうにし、二種の種を両方にまき、テントをかける。このときも子どもたちは口ぐちに「生ごみのほうは食べないんだから」とがんばっていた。
11月5日、まいた種が発芽した。
■きょう、ビニールハウスを見ました。めがいっぱいありました。わたしは、「あっ、めがいっぱいだよ」と、いっしょにきたなおこちゃんにいいました。わたしは「さくらんぼのほうかな」と思います。4時間目がおわったあと、先生といっしょにおんどをはかりました。空気のおんどは一九ど、ハウスの土のおんどは20ど、空気のおんどと同じぐらいですが、ハウスのなかは26どでした。あしたは本ばが出ているかな。 (陽子)
11月27日、テントをとってみて育ちぐあいを見る。
■畑にいきました。さいしょは、生ごみのほうを見ました。すくすくのびていました。それなのに、ふつうの土のほうは、あんまりのびていませんでした。ふつうの土からみると、まるで小さいじゅんにならんでいるみたいです。はつかだいこんのはは、ひまわりのはみたいでした。生ごみの土とふつうの土ではぜんぜんちがう。それだけ、ひりょうはしょくぶつにとってはとてもだいじなものなんだな。 (有紀)
■3組でうえたやさいを見てきた。とっても大きく、はっぱは多くて、はつかだいこんは小さな赤いみがでていた。生ごみと、入れてないのとはすごいちがいがあった。入れないのは、まんなか(入れたのとのさかい)は大きめで、はしっこのほうはとっても小さいんです。生ごみを入れたのはとても大きかったんです。すごいちがいでした。やっぱり、生ごみはひりょうがわりになるんだなあと思いました。 (美由紀)
■生ごみのえいようは、急に地面がひくくなってもずっとしたを通ってふつうの土のほうにいくんだからえらいと思った。いくらえいようまんてんの生ごみでも、さいごまでえいようはとどかない。でも、ちゃんとそだっていたから、土にもえいようは十分あると思った。あの生ごみに、とてもそんな力があるとはぜんぜん思わなかったけど、いまではあたりまえのように思った。先生がまえ、「できたのは食べるんだよ」と言ったから、生ごみのほうはいやだったけど、いまでは、どっちでもよくなった。生ごみはすごいなあ。 (陽介)
やはり、野菜を育ててよかった。ここまできて、やっと生ごみに対する考え方に変化がでてきたのだ。しかも、植物が育つために肥料が大事なことも、生ごみはまちがいなく肥料になることも、それらをきわめて具体的にとらえることができたのだ。
このあと、わたしたちは、前述のヴァン・デァ・リンに学んでつくった教科書のページを書き直して終わった。
土づくり
まず、やさいや くだものの かわや しん、
さかなの ほねや かわや はらわたなど、
生ごみを あつめた。
やおやさんや さかなやさんから もらったり、
きゅうしょくの のこりも つかった。
木のはや わらも あつめた。
しんぶんしや かんなくずも あつめた。
それに、土を つくる
ふたの ついた 木の「はこ」を、
はたけの 中に ようい した。
生ごみを バケツに いれ、
やさいの くずと つきまぜた。
力が いるので、 とても つかれた。
しんぶんしは こまかく さいた。
わらは 10センチくらいに きった。「はこ」に
しんぶんくずや かんなくずを しいた。
水を すいとる ためだ。
その 上に
バケツの 生ごみを すこし 入れた。
また、
わらや しんぶんくずを すこし しいた。
そして、また バケツの 生ごみを 入れた。
こんな そうを なんだんも つくった。
たいへんだった ことは、
3日に 1かいずつ
生ごみと、わらや しんぶんくずを
ひっくりかえす ことだった。
はじめの 2・3かいは くさくって、
かおも 入れられない ほどだった。
はむしが わっと 出たり、
うじが 見えたり した。
その ときは、この つぎ
いったい どう なるのだろうと
ほんきで しんぱい した。
生ごみと わらや しんぶんくずを
ひっくりかえす とき、
よく 見ながら かえして いくと、
くだものの くさりかたと
さかなの くさりかたが
ちがって いるのが わかった。
「くさる という ことは、
ものが 目に 見えない
小さな 生きものに たべられて、
土に かえって いく ことだ」
と 先生が いった。
「生ごみが 土に なる」なんて
しんじられなかったけれど、
おちばのような かんじの 土に なった。
わらは ながい くきが のこって、
すぐ わらだと わかる。
さかなの あたまの ほねも、
かみのように うすく なって のこって いる。
この 生ごみの 土が、
ほんとうに やさいを そだてるのだろうか。
みんな あやぶみながら、生ごみで できた 土を
はたけに もって いって、まぜた。
生ごみの 土で、はたけは くろく なった。
生ごみの 土を 入れた はたけと、
生ごみの 土を 入れない はたけとに、
ハツカダイコンの たねを まいた。
生ごみで そだつ やさいなんか たべたくないと
おもいながら、たねを まいた。
めは、どちらも おなじように 出て きた。
しかし、日にちが たつに つれて、
くろい 畑のほうが 大きく なった。
はの みどりも こい。 あつみも ある。
あの 生ごみが そだてて いるのだ。
だんだん、生ごみの やさいが たべたくなった。
(おわり)
出典:依田彦三郎編『ゴミは、どこへ行く?』1993年、初出:「ひと」1991年6月号、太郎次郎社
春日辰夫 (かすが・たつお)
1936年、宮城県に生まれる。1958年、東北大学教育学部卒業。
宮城県内の小学校に長く勤務する。
元宮城県教職員組合教区文化部長。
元宮城県民間教育研究団体連絡協議会代表。
著書に『ヒロシマの歌 』『子どもが甦る詩と作文』『土・水・森林・海そして人間の授業』(以上、えみーる書房)、『寒風にスキップはずみ』(太郎次郎社)など。