こんな授業があったんだ|第33回|自分たちの住む地域の川を考える〈中編〉|中井三千夫
自分たちの住む地域の川を考える 〈中編〉
「見えない河床」を想像する(小学4年生)
中井三千夫
「見えない河床」を想像する(小学4年生)
中井三千夫
前編からのつづき
手近にある土や砂を袋にいれて堤防につみあげる
「きのうでた、『輪中』の考えもよかった。けれども、材料や人手、それに日数を考えると、なかなかたいへんだ。もっと急な場合にも間にあう堤防づくりの方法はないだろうか」と問いかけた。
「ねん土で土地を高くしたらいい」
「そのねん土はどこから運ぶの」
材料の問題があるのだ。
「川を掘ると、土が出るやろ。その土を盛りあげて堤防を作ったらいい」(図⑪)と友哉。
材料を川自体からとってくるという発想がおもしろい。しかし、大雨のときの川の勢いを考えると、土だけの堤防はどうだろう。黒板に図(図⑫)をかく。
「わあ、先生とこばっか、せこいわ」
「流れはきついなあ。どの家があぶないやろ」
「藤井家と衛藤家や」
「いまにも堤防がくずれるぞ。さあ、どうしたらいい」
「ぼくは、べつに家を作っとく。なかったら、中井家に避難する」と典善。
「家は、どうするんだ」
満は図(図⑬)のような板でくいとめるというが、反論がでてつぶされる。
和紀が言う。
「板は長いのがいるやろ。そんな板がどこにあるのさ」
典善は、べつの絵をかく。
「板とちごて土をこんなふうにして、たたいてしめる」(図⑭)
おもしろいが、危険がいっぱいという感じが、絵からも伝わってくる。
「農家は、米作っとるやろ。米をいれる袋があるから、それに土や砂をいれて堤防につんだら」
陽子が、はじめて発表した。これは「土のう」である。
「ああ、それなら見たことある。いまでも、つことるとこあるよ」とみんながうなずきあう。
この考えのいいところを話しあう。美早子も発言した。
「袋にはいってるから、土だけのときのように、けずれていかない」
「こぼれてこない」
「水をすって重くなるし、水を吸収する」と典善。
土や砂なら手近にあった。それを袋にいれるという、ただそれだけのことが素材を生かす工夫なのだ。しかも袋なら、必要に応じて、どれだけでも積んでいくことができる。
「もう身近な材料はないかな」と重ねて聞いた。
そのまえに、「石を割る」という意見がでてたのだが、「そんな暇がどこにある」と、つぶされていた。
「岩が割れたらなにができる」
「小石や」
「石やったら、袋がなくても運べるなあ。なんで運んだやろ」
「かご?」
「石をかごで袋のようにまとめたのを『じゃかご』というんだ。見たことないかな。このごろは針金やけど」
数人の子が、「見たことあるよ」と言った。ふだん見過ごしていたものが、昔の人の知恵によるものだと、少しずつ気づいていく。日常の物を見る目が変わっていくにちがいない。
子どもたちの共同討論は、信玄のかすみ堤にたどりつく
じゃかごや土のうを発見することで、材料や人手の問題は、かなり見通しがでてきた。しかし、これまでの堤防では、大量に出た水(そのなかには上流でけずりとられた栄養分に富む土もまじっている)を、そのまま海へ流している。まえに満が言ったように、この土を生かした堤防はできないか、と考えた。そのためには、川の勢いを弱めないといけない。
「どんなときに、川の勢いは弱いのかな、いままでの勉強でわかったことを言ってみて」
「晴れてるとき」と千明。
「傾斜がゆるやかなとき」と友哉。
「カーブの内側」とこれも友哉。
「川幅が広いとき」と孝宏。
「堤防を破ればいい」と典善。
典善の意見は、一見したところ、なに言ってるんだという気がするが、じつはあとで生きてくる発想なのだ。
五つの意見のうち、人為的に使えそうなうしろの三つをヒントに、水の勢いを弱め、土を含んだ水を一気に海にやらず、土にかえしていく堤防を考えていった。
孝宏が例によって図をかいて説明。(図は省略する。)
「土のうをつんで、その下にみぞを掘っておいて、土のうにしみこんだ水をためる」
卓也もやはり、図にかいて説明。
「川のなかに岩を置くん。そうすると、岩にぶつかって、水の勢いは弱まる」(図⑮)
卓也の考えは、現在でも使われているテトラポットにつながっていく発想だろう。二つともおもしろいが、三つのヒントとは関係がない。
「三つのヒントを生かして考えられないかなあ」
友哉が卓也に質問しながら、めずらしく自分で黒板に図をかきに出てきた。
「その石のあたるところでは勢いが弱まるけど、そのあとは、また強くなるのとちがうかなあ。石をかごにいれたものを、こんなふうに置いていくんさ。そうすると、カーブができるやろ。それで、勢いが弱まって、この内側のところに土がたまる」(図⑯)
卓也は友哉にこたえて言う。
「川のところどころに石を置いて、そのまわりだけ堤防を強くする」
「土がたまったら、どうするん」
「網を先にいれておいて、たまったら、あげるんさ」と拓。
典善も賛成するが、
「そんなん、岩にひっかかって破れるに決まっとるやろ」という満の反論でつぶされてしまった。
そのあとで、拓が黒板に出てきて図を書いて説明しだした。
「ここを、こんなふうに堤防を破るん。そうすると、水はもどるように流れるから、勢いは弱くなる」(図⑰)
拓の図を見て、満が叫んだ。
「武田信玄の作った堤防とおなじや」
じつは、そうなのだ。満もよく気がついた。堤防を斜めにV字形に配置することで、水量の少ないときは中央の水路を、多いときは堤防に誘導される形で逆流して、川の外へ一時あふれ、水がひくと、地下水となって川にもどる、というのが「かすみ堤」の原理である(図⑱)。
この拓の発想は、友哉のカーブの内側説と典善の堤防破壊説をとりいれたものだろうが、集団思考のおもしろさがよくでている。一人では、ここまで自分の思考を発展させるのはむずかしい。否定がバネになって新しい発想を生むのだろうか。
拓の「かすみ堤」につながる考えを聞いたあと、満がしみじみと言った。「ああ、ぼくや藤井(典善)の時代は終わった」
それまで、たびたび発言をし、授業をひっぱってきた満だったが、そういえば、最近は手をあげる回数がめっきりへって、なにかを一心にノートしている様子が目についていた。なにを書いているのだろう。それはあとでわかることになる。
満説は、ついに加藤清正の越流堤を発案する
かすみ堤を知ったことで、子どもたちの発想はまた少し広がった。ただ、前回の終わりに満が言った「かすみ堤は、上流のほうにあったと思う」ということばが問題になっていた。
「どうして上流のほうに作ったのかな」
「下流のほうが人がたくさん住んどるから」
「田畑も下流のほうに多い」
「でも、上流や中流にも人は住んでるし、田畑もある。そんなところに水をあふれさすことはできないね。どういう堤防だといいかな」
進也が黒板に図を書いて説明する。
「拓の考えたように、こういう形に堤防を作ると、人の住んどるところに水はいかへん」(図⑲)
「けど、集落と集落のあいだがはなれとるやろ。水の勢いが弱まるかなあ」と疑問の声があがった。かすみ堤は、V字形の堤防が連続して作られることで、水の勢いを弱めていた。進也の説では、間隔があきすぎていて、その効果がないという。
進也の絵の集落を指さしながら、卓也がべつの案をだす。
「ここのまわりにかべを作って、みっちゃん(満)の言ったように(輪中説)したら」
「それだと、せっかくの土のはいった水が、かべでじゃまされて、田んぼや畑にかえらへんやろ」と反論がでる。
千明が、
「そんなら、かべを切ったらええやん」
「なんのためにかべ作ったん。それやったら」
拓が、卓也の説の改良案をだす。
「かべを板で作って、穴をあけといたらどうかな。そこから水がはいってくるように」
友だちの考えを生かして自分の考えを組みたてるのはいいことなのだが、少し考えが空回りしてきた。働く人の労力や材料のことを忘れかけてきたように思う。昔の人は堤防づくりだけをしていたわけではない。
「もっとらくな方法で、人の住んでるところには水をあふれさせないで、人のいない土地にはあふれさせるという、うまい方法はないものかなあ」
ずっと黙っていた満が、なにかブツブツ言いながらノートに絵をかいている。絵には文がついていて、それは、つぎのような文句だった。
「いっぱいになると堤防のくぼみから水がでる」(図⑳)
「満。これやないか。これが加藤清正の考えた『越流堤』や」
図を見てほしい。堤防の一角をわざと低くしておく。洪水流が一定の水位を越えると、そこから遊水池に泥水があふれだすしくみになっている。これが「越流堤」である。満のは、さらに二段階に工夫されているのがおもしろい。実際にはむずかしかろうが、水位が下がる下流では水のでる量が上流の半分になる計算だろう。下流のほうが、どうしても、集落や田畑が多くなり、水をあふれさせる土地が少なくなるからだ。ノートの絵も、ていねいで立体的に書かれている。まだまだ満の時代は終わっていないようだ。
土地から川をしめだした現代の生活を見なおす眼とは
水を堤防のなかに押しこめてしまっている現在の川から発想するかぎり、川の問題は見えてこない。むしろ、水が川の外に出ようとする動き(つまり氾濫)を考えるほうがリアリスティックな考え方ではないだろうか。
現在、宮川には連続堤防がすでに存在している。そのおかげで、城田地区は人も住み、農業もできる。子どもたちの頭のなかには、自分たちの住んでいる土地のなかを、かつて川が流れていたという考えは、まったくなかった。正確にいうなら、川の流れていた土地から川をしめだして、自分たちの住む土地、耕す土地を広げてきたという認識はなかった。
国土のほとんどを山地が占めるこの国では、川の氾濫との格闘が、そのまま生きるための闘いであったといっても過言ではない。水との格闘が、それゆえに、数知れない生きるための知恵を育んできた。闘いのなかで、闘いをとおして人は学ぶ。川との闘いを忘れた現代の生活のなかでは、その知恵も忘れられてしまう。
里見実氏は、こう書いている。
「こうした川を『読む』力は、しかし、けっして河川工事者だけがもてばよい特殊な能力ではない。ぼくら自身が、それを集団の知恵としてもたぬかぎり、ぼくらは迫りくる危険のもとで、無防備な状態にさらされつづけなければならないだろう。いったん洪水ともなれば激流の通路とならずにはいない『虚構の河床』に、ちかごろでは、洋風の建売住宅がうつくしく建ちならんでいたりするのである」(里見実「見えないものを見る力」、『ひと』1982年7月号所収)
聞くところによると、宮川の堤防は、じつは下流にむかって左岸、つまり、城田地区のほうが低く作られているという。それは、万一のとき、伊勢の街を洪水から守る目的で左岸に水を流すためである。これもまた「知恵」なのだ。「虚構の河床」に、子どもたちは住んでいるのである。しかし、教科書も副読本も、そんなことを教えてはくれない。自分で気づくためには、学習し、それを見ぬく力を身につけなければならないのである。
これまでの学習で、子どもたちは、明治以前の治水(かすみ堤や越流堤に代表される)の観点と、現代の堤防(大河川の連続堤防)との発想のちがいに気づいた。
水をなだめ、水とつきあう発想から、水を川にとじこめ、海にすててしまう発想への転換は、さまざまな問題点を明らかにした。土地利用と都市化現象、水不足、汚染、洪水と堤防のいたちごっこと、問題点はつぎからつぎへとあげられた。「現代の堤防、昔の堤防」の授業の一部を、学級通信から抜きだしてみよう。
水を土に返していた昔と海へ流そうとする現代
それでは、そのどっと出る水に対して、いまの人は、どう対処しているのだろう。
千明「堤防を高くして、海へ流している」
私「昔の人はどうしてた?」
友哉「人のほうが小高いところに住んでいた」
千明「川から遠いところに住む」
満「遊水池を作って地面に水をもどした」
私「どんなやり方で?」
満「かすみ堤」
友哉「越流堤」
典善「昔は水がたりなかったから、地面にもどしたんや。いまは、水がお金で買えるから、海へ流しとる」
という典善の解説は、水を地面に流すことで、どうして水がもどるのかが、いまひとつみんなによくわからなかった。
例のごとく絵をかいて説明する。
「遊水池にあふれた水は、地面にしみこんで地下水の道にはいっていく。それがまた井戸や川にはいっていくから、水がもどるんだ」
「あっ、わかった」と大きな声。
私「典善、何がわかった?」
典善「なんでいまはかすみ堤を作らへんかということのわけさ。いまは、ほとんど土がコンクリート(アスファルト)になっとるやろ。それで、水を流しても、地面にしみこまんと、みんな流れていってしまうからや」
水を土に返した昔の治水に対し、水をできるだけ堤防のなかにおしこめて一気に海へ流そうとする現代の治水。水に対する人のつきあい方には大きなちがいがあった。
川底にたまる土と堤防、水と堤防のいたちごっこ
「堤防を高くすることで川沿いの土地と住人を水害から守ろうとしているのはわかる。しかし、水不足もそうだが、ほかに問題はない?」と問いかける。
「大水は山の栄養のある土を田んぼに運んどった。それがなくなる」と千明が答えると、
「栄養がなくなったら田んぼが作れなくなる」と心配する声多数。
「でも、ちゃんと米はできるよ」と、少しゆさぶる。
「化学肥料や! 農協で売っとる」
「昔は肥つことったんやんな」
「もみをやいた灰も」
「堆肥やいま言ったのを有機肥料というの。いまは買えばいいから楽でいいね。臭くないし」とジャブをいれる。
「金がかかる」と孝宏。さすがに農家の息子。問題点はつかんでいる。
自然にもたらされている山からの栄養を切り捨てた時点から、土は人工的な薬づけの状態にまで変わっていくことになる。これは、土および川の汚染に発展する大切な視点だが、つぎの機会を待つことにする。
私「堤防で水をとじこめると土に栄養がいかなくなることはわかった。ほかに問題はないだろうか?」
千明「いままでは外へ流れていった土が川にたまるようになる」
私「どんなところにたまる?」
幸宏「下流の川のなか」
典善が図を書きながら説明する。
典善「川底にたまっとる土のところにたまっていく」
拓哉「そうやって川底に砂が多くなってくると、水があふれるようになる」
典善「水の勢いってすごいんで流してしまうとちがうか」
満「ぼくはそうは思わん。土がたまってくると思う」
「そうしたらどうなる」と聞くと、
「だんだん川底が高くなってくる」
「そんなとき、大雨がふったりしたら水があふれだしてしまう」
「それじゃ、どうしたらいい?」と再び私がたずねる。
「まちがえとってもいい? 堤防を高くする」と均が答えると、教室が騒がしくなった。
「そんなん、何度、堤防を高くしたっておんなじやと思うわ」と綾が反論する。
洪水を防ぐために高い堤防をきずいたのに、その堤防のせいで土砂が行き場をなくし、つもる。すると川底があがり、水位も上昇する。それで、また堤防を高くする。そんなばかな話があるか、というのが騒がしさの原因である。水と堤防のいたちごっこを解決する方法はないのだろうか。
(学級通信「色鉛筆」31、35、36号より)
勢田川とは、どんな川か
昔の堤防と現代の堤防をくらべた子どもたちは、いくつもの疑問を抱いた。そのなかでも、川の氾濫による水害の問題は、子どもたちにとって、もっとも関心の深い問題である。今回は、人と川とのかかわりに視点をあてて、町なかを流れる中小河川の氾濫について考えてみたい。
勢田川は、市の中心部を流れる小河川であるが、台風や大雨のたびごとに氾濫をくり返してきた。しかも、満足な下水道をもたない伊勢市の中心を流れるため、家庭排水を集め、その汚れは県下1位の座をしめている。
河崎は勢田川の中流域にあり、かつては伊勢の台所として物質集散の基地であったが、現在では、その役目も終わり、あまり注目されることもなくなっていた。
その河崎が脚光をあびるようになったのは、皮肉なことに、勢田川の氾濫防止のため河川改修工事が計画され、移転問題が起きてきたからである。
しかし、市の大半がたびたび洪水により被害をこうむっているというのに、その川岸に、往時をいまに伝える古色蒼然とした古い街並みが、水害をのがれ、残っているということじたいがミステリーではないだろうか。その謎を解いてみたいと思った。
授業は、3年生の社会見学でも目にした勢田川の特徴を、地図を見ながら話しあうところからはいっていった。
子どもたちは勢田川の氾濫をどう思っているか
私「去年、社会見学でも行ったね。そのときのことを思い出してもいいし、いま、地図を見て気づいたことでもいいから、勢田川ってどんな川か、特徴をあげていこう」
友哉「曲がりくねっている」
満「水門のところが湖みたい」
哲「橋が多い」
和紀「川幅がせまい」
満「川の近くに家が集まっている」
満「水が汚い」
みほ「川の道のりが短い」
典善「ゴミが浮いている」
千恵子「灰色か黒色をしている」
将「勢田川は町の中心を通っている」
由久「家庭排水がどぶに流れて、それが勢田川にはいっている」
千明「堤防が低い」
子どもたちは、勢田川という川の特徴を上のようにとらえた。親せきの家が近くにあったりして、よく目にしている子もいる。勢田川の氾濫の原因を考えるための材料は出そろったようだ。
私「友だちがあげてくれた勢田川の特徴を聞いて、みんなは、どんなことに気がついたかな?」
和香「大水が出ると家のなかに水といっしょにゴミがはいってくるので、あとかたづけがたいへんや」
幸宏「ゴミの多いぶんだけ、水もようけあふれる」
よほどゴミの多いのが印象に残っているのだろう。
江里奈「勢田川は曲がりが多い」
孝宏「曲がるところの外側にあふれるんで、そちら側の堤防を高くしたらいいんとちがう」
洋子「川幅のせまいところと広いところがある」
典善「伊勢湾の入り口で、勢田川は五十鈴川とくっついている」
地図からはいったからか、川の流れ方に目を向けている子が多い。つぎの陽子の意見も地図から読みとったのだろう。
陽子「勢田川にはほかの川とちがって、川の近くに田畑がない」
満「五十鈴川や宮川とちがって、運悪く町の中心を流れているので、勢田川には田んぼがないんや」
と、満が後を受ける。由久がつづけて言う。
由久「それに町の中心を流れてるから、生活排水が流れこんできて、川が汚されてしまう」
少しまえ、大雨で増水した宮川を見に行ったのだが、琴美は、そのとき見た宮川とくらべて、
琴美「勢田川には、宮川のように砂利や草木のはえているところがない」
と発言した。川の働きについての学習を1学期にしたが、そのとき知った、「けずる・運ぶ・つもらせる」という川の三つの作用が、この川には見られないというのである。
「そういう砂利が集まって草やら木やらはえとるところ、なんていうんやった」
「川原」
「勢田川には川原がないんや」
「下流のほうでは海水が流れこんできて、川の水といりまざっとるんやて。それで、河口ではあさり貝もとれるん」
と、京子。これも勢田川の大事な特徴のひとつである。京子も、つぎのみほもどちらかといえばおとなしくあまり発言しない子どもたちだが、家の人から聞きとってくるような学習をすると、ていねいに調べてきてくれる。
「勢田川は、川の長さが短い。それに、川なのに魚がほとんどいない。ヘドロが多くて流れも悪いし、へんなにおいもするけど、家できいたら、昔はアユが泳いでいたらしい」
「うっそぉ。勢田川にアユがおったって?」
みんな信じられないという顔である。
綾「去年、見たけど、川の近くには家が集まっとった」
明美「ゴミが多かったし、その家から家庭排水が流れこんどるんやなぁ」
家の人に聞いた昔の勢田川の様子や、自分の目で見つけてきた勢田川の姿が、いくつも出てきた。あとは、それらをひとつひとつ関係づけていくことによって、勢田川がたびたび氾濫をくり返す原因が浮かびあがってくるだろう。
そして、それはひとり勢田川のみならず、町のなかを流れる都市中小河川の氾濫の原因をも解きあかしてくれるはずである。
後編につづく
出典:『ひと』1992年5月・8月号、太郎次郎社
中井三千夫(なかい・みちお)
三重県・元教員。
1975年から離島で中学校教員を4年勤めたのち、出身の伊勢に戻り、2012年まで小学校教員を勤める。