本だけ売ってメシが食えるか|第8回|本に価値がある場所|小国貴司
第8回
本に価値がある場所
イベントではなく、本を
オープンした当初考えていたことで、いまうまくできていないことがいくつかある。
まずはトークイベントだ。オープンしてからコロナまえまでの約3年間はイベントをうまく企画できていたと思う。たくさんの著者や版元さんに恵まれて、1か月~2か月に1回のペースでなんらかのイベントをおこなった。それはお客さんにも喜ばれていたと思うし、BOOKS青いカバを知ってもらうきっかけになっていたと思う。
しかし、コロナ禍がはじまり、さまざまな事情が一変した。
うちのお店のようにそういったイベントをまったくやらなくなったお店もあれば、オンラインのトークイベントを企画して、そのやり方をきちんと確立した本屋さんもたくさんある。それが収益の柱になっている本屋も多いだろう。本を売るために、イベントを売る。そのような本屋の生き残り方もあるのか、と驚かされる。
とくにコロナ禍から日常に戻っていくにつれて、オンライン+リアルのイベントというのが主流になりつつあり、人気があるイベントほど、オンラインでの参加希望も増えるわけで、その収益は天井知らずだ。むかし新刊書店員時代にさんざん言われた「モノではなく体験を売る」という場に、本当になっているわけだ。
正直言ってうらやましい。
なぜあのときオンラインイベントに取り組まなかったのか? という思いがないわけではない。
ただ「それはそうだろう、おまえがイベントで収益を上げられるわけがない、そこに取り組まなくて正解だよ」という自分がいるのも事実だ。
どういうことか? コロナまえのイベントで収益を上げられてはいなかったのだ。
もちろん「場所代」としてイベント収益のいくばくかは頂戴していたし、登壇者や出版社から固辞されてイベントお礼の支払いがなかったこともある。しかし買切で仕入れた商品の売れ残った金額などを考えると、10人から20人の規模のイベントで、それを続けられるための十分な利益があったか? というとはなはだ怪しい。
当時は「店を知ってもらう広告宣伝費だ」と思っていたが、それはある意味、無責任な考えでもある。収益にならない、というのはさまざまな逃げ口上にもなりえるからだ。店をやっている以上、そこできちんと収益を上げなくては継続性がないし、趣味でやるならお客さんからお金をもらうなんてナンセンスだ。お金をもらう以上、収益を上げる努力をしなくてはならない。そうじゃなければ、本気でイベントをやっている店に対して失礼な態度である。
誤解しないでいただきたいが、当時の自分が適当にイベントをやっていたわけではない。できるかぎりのことをやっていたとは思う。
ただ、心のどこかに「イベントではなく、本を売りたいんだけどな」という思いはつねにあった。イベントをやったのにほとんど本が売れない、なんていうときはなおさらだ。
「イベントではなく、本を」という思いはいまもある。なので、コロナ禍の最中、オンラインイベントなどの取り組みはできなかったし、いまもそのような企画を立てようとは思えない。
いま、もし何か新しいことをしたい、と思ったら、何をするだろう。たぶん、本を売ることとはまったく関係のない切り離したイベントをやるか(でも、だれのために?)、もしくは逆に、本を売るために「これだ!」と思ったイベントをやるか、どちらかだろう。
BOOKS青いカバでは、イベントが収益の柱になることは、悲しいかな、ない。
「意地」でもつくりたい光景
前回、新刊書を扱うことは意地である、と書いた。ここでいう意地とはなんのことなのか? 自分でもよくわからないので、少し考えてみたいと思う。
僕は新刊書店勤務からの古本屋開業という、古本屋としては「転職組」である。きちんとした(?)老舗で修業もしていなければ、家業が古本屋だったわけでもない。横のつながりがけっこう強い古本屋業界では、少しだけ変わった経歴かもしれないが、それほど気にはしていない。これからはそれまでの経歴や環境に寄りかかって仕事を続けられるほど甘くはないと思っているからだ。
大事なのは「いま何をどうやって売り、これからどうやってその裾野を広げられるか」であって、それ以外は興味がない。1冊うん千万の本を売ることも大事だが、1冊100円の本を売ることも、将来の読書人口を増やすことも、すべて同様に大事だと思う。店舗で売ることもネットで売ることも催事で売ることも、とうぜんのことながらそこに何も変わりはない。
むかしは「古本屋→新刊屋→出版社」というサクセスストーリーがあったらしいが、いまとなってはそんなもの全部いっしょじゃないか! と思っている。結局、古本屋も新刊屋も版元も、目指す場所はぜんぶいっしょなのだと思う。「本に価値がある場所」である。
と言いつつも、自分も古本屋を開業してもう7年。いつまで新刊書店ヅラをしているのかと思うこともある。かつての自分がそうだったように、新刊一本で苦労している本屋からすれば、古本屋が店の一部でちまちま新刊を売ってるだけじゃないか! と言いたくなることもある。
新刊書籍の販売が儲かっているわけではないし、いっそのこと新刊をやめてしまおうかと、売上が悪いときには思うこともある。
じっさい、うちの店では新刊書籍は儲からない。年間の仕入額と販売額は、ほぼいっしょなのではないか? つまり利益分は、売れない在庫の仕入で相殺されている、ということである。それはほとんどの在庫を買取で仕入れているため起こることだ。買取で仕入れているにもかかわらず、そこに2割ちょっとの儲けしかないというのでは、やはり商売としては成り立たない。
しかも売れない在庫は、買い取っているにもかかわらず、新刊としては値引きができない。まえにも書いたが、新刊書店の、というより業界の構造として、考え直さなくてはならないと思う。そのためにはリスクを、すべてのプレイヤーができるかぎり平等に引き受けなくてはならないだろう。
と、こう書くと、「そうか。新刊書はやっぱり儲からないのか」と思われるかもしれないが、そう思われたら「儲かるか儲からないか、だけが価値ではない」と、現時点では言うしかない。自分が選んだ新刊を買ってくれる、という喜びは、店主としてほかのものには代え難い経験である。
古本を売ることでも、もちろんそれはあるのだけれど、古本屋の場合はそれを価格に転嫁できる。新刊の場合は、価格転嫁がないぶん、純粋に品ぞろえの勝負になる。どこで買っても同じである本を、わざわざうちの店で買ってくれるという喜びは、やはり特殊なものなのだ。新刊はよりいっそう店主の個性や生活感とつながっている。不思議なものである。
当然のことながら商売である以上、すべての行動は「儲け」につながるわけだが、顧客満足をないがしろにしてまで儲けたいわけではない。お客さんに喜ばれて自分も喜ぶ、が大前提である。
自分としては、新刊もある、古本もある、高価な本も、100円の本もある。しかも同じ商売の日常の地続きで。
この光景こそが、自分の「意地」なのではないかと思う。
小国貴司(おくに・たかし)
1980年生まれ。リブロ店長、本店アシスタント・マネージャーを経て、独立。2017年1月、駒込にて古書とセレクトされた新刊を取り扱う書店「BOOKS青いカバ」を開店。