深海ロボット、ふたたび南極へ|南極到着編(第2回)|後藤慎平

深海ロボット、ふたたび南極へ

気鋭の工学者として、水中探査機で南極の湖底に挑んだのが6年前。2度目の調査ミッションは、なんと「ペンギン観測」だった!

深海ロボット、ふたたび南極へ
……南極到着編……
後藤慎平


南極湖沼調査で活躍したROV(水中探査ロボット)、AR-ROV01。愛称はKISHIWADA。

⚫氷にはばまれ、行く手にはブリザードが

 11月30日にオーストラリア・フリーマントルを出港して約2週間が過ぎた。野外観測拠点に運びだす糧食の配布や南極での活動上の安全教育なども一段落し、あと数日で「しらせ」を離れる。しかし、船がどうも思うように進んでいないようだった。

 天気が悪く風も強いことから、艦橋に上がって外のようすを眺める。海氷の状況がよくないため、ラミング航行をしてもほとんど前に進めていない。ラミングとは分厚い海氷などで進路をはばまれたさいに、船の重さで氷を割って進む方法である(チャージングともいう)。勢いをつけるため船をあるていど後進させ、助走をつけて一気に海氷に突っ込む。その衝撃たるや凄まじいもので、ひどいときは揺動で立っていられなくなるし、寝られないくらいの音が響きわたる。

 じつは「しらせ」は数日前からこれをくり返していた。どうやら乱氷帯につかまったらしい。乱氷帯は定着氷と違い、大小さまざまな氷が寄り集まっているため、艦首で押しのけた氷が艦尾に回り込んで、ラミング(後進)の邪魔をしてくる。1日に数十メートル進むのがやっとの日もあり、「あの氷山、昨日もあそこにあったよね」といった具合である。

「しらせ」から見た光景。乱氷帯に行く手をはばまれ、砕氷船にも「苦手な氷」があることを思い知らされる

 さらに、昭和基地に到着するころにはブリザードとの予報がある。この冬はブリザードが多く、基地からも「除雪をやってもやっても、また積もる」との連絡を受けていた。このままでは昭和基地に入る日程がずれるのはもちろんのこと、野外観測に出るチームも足止めをくらう可能性があるため、野外観測チームを対象とした緊急ミーティングが、12月19日の早朝から招集された。議題はずばり、昭和基地沖に到達したあと、「(しらせを)早めに出るか、遅めに出るか」である。

 観測隊長から今後の見通しについて説明があり、野外経験者を中心に議論がなされる。現在、「しらせ」は昭和基地から約10マイルの位置まで来ており、翌20日には基地に向けてヘリの初便が飛び立つ予定となっていた。しかし、どうやら私が観測拠点へ出発する予定の日は天候が悪く、ヘリが飛ばないのは確実のようだった。ヘリは、「しらせ」から野外観測拠点への輸送だけでなく、昭和基地への物資輸送も担っている。つまり、遅くなればなるほど輸送の日程が混みあうため、観測計画の変更も余儀なくされる。しかし、早めに出れば、野外でブリザードを耐えしのぐことになる。早めに出るか遅めに出るか、難しい判断を迫られる。隊長の話では、数日前に比べ予報が少し変わってきていて、風速は20m/s程度とのこと。それなら小屋で耐えしのげるか⋯⋯?

「ペンギン(チーム)はどうします?」

「小屋があるのでなんとかなりますが、氷河(チーム)は逃げ場がないですよね⋯⋯」

 隣に座っていた氷河チームのリーダーと相談する。彼とは前回(6年前)の南極観測隊で知りあい、出発前からいろいろな相談や情報交換をするあいだがらで、ヘリオペ(ヘリコプターを使った輸送)の予定が混みあえばどうなるか、おたがい痛いほどわかっていた。なので、私たちの選択はともに「早め」であった。ただ気がかりは、ブリザードの規模だけだった。

 私がベースキャンプとするスカルブスネスの「きざはし浜」と比べ、氷河チームがキャンプを張る場所には小屋などの設備はなく、吹きっさらしの氷河上にテントを張って、文字どおりの「野宿」である。判断を誤れば、一瞬で死に直結する。イチかバチかなんて許されない世界である。そのため、数日前からふたりで今後の気象情報とにらめっこする日々だった。

 野外でブリザードに遭遇するのとどっちがいい? と聞かれると、寒いところが苦手な私としては暖かい「しらせ」にいたいと思うが、「オマエ、なにしに南極に来たの?」と、頭の中でもうひとりの自分にお叱りを受けるので、「国家事業という任務を背負ってるんだ!」と自身を鼓舞する。

 そして──。

 野外観測経験者が多いペンギンチームと氷河チームが、ブリザードの通過を待たずして野外に出ることになった。ミーティングの翌日には予報が更新され、出発前日には風速15m/sくらいまで規模が小さくなっていた。おまけに、輸送予定日の天気予報は晴れ。翌日からのブリザード予報や他の輸送スケジュールを考えると、「出ない」という選択肢はなかった。ただし、天候が変わりやすい南極での輸送は時間との勝負であるため、現地への送り込みは2チームが限界ということで、同時期に出るはずだった他のチームは、ブリザードが通過し優先物資の空輸が終わったあとでヘリオペを組みなおすことになり、チームによっては1週間近く「しらせ」に留め置きとなった。

 これが吉と出るか凶と出るか⋯⋯。どんなに気象情報を集めても、だれにもまったく予想がつかないのが南極である。

⚫いよいよ離艦し、6年ぶりの南極の地へ

 12月22日。ついに「しらせ」を発つときがきた。私たちは10時50分発の便で、昭和基地を経由してスカルブスネスに行くことになった。ただ、早朝から霧が濃く、視界が悪い。ヘリコプターは視界が悪いと飛べないため、自室で待機(ホールド)となった。9時30分までに天候回復が見込めない場合、一部の便はキャンセルとなることが告げられた。もし、この搭乗便がキャンセルになれば、観測の機会を7日ほど失うことになる。今回の野外での活動日数は44日なので、かなりの痛手だ。

 というのも、キャンプ地に入ってすぐに活動が実施できるわけではない。移動当日は物資の輸送と観測小屋の立ち上げ作業、ラボテントの設営などでほぼ1日が終わる。例年であれば、11月ごろに越冬隊が雪上車で観測拠点を訪れ、発電機や無線設備の確認をおこなうが、今年は海氷の状況が悪く、確認に行けなかった。そのため、発電機の補油や試運転、無線のセットアップや通信テストなどを到着後におこなう必要がある。

 さらに、スカルブスネスには小屋があるとはいえ、中はパイプベッドと机があるだけの空間である。生活できるように整えるには、運び込んだ約2トンの大量の物資から、ガスコンロや料理器具など目当ての物を探しだして、使えるよう整理しなければならない。おまけに、ベッドにあるのは何年前にだれが寝たかもわからない布団である。天気のいいうちに干しておかないと、ハウスダストで呼吸器を破壊される可能性もある。そうした作業を考えると、おおむね2~3日はまともに観測ができないため、もし7日近くも足止めをくらえば、観測予定も大きく変更せざるをえなくなる。

 なにより、われわれには1日でも早く野外に出なければならない最大の理由があった。それが、今回の主役「ペンギン」である。今回の観測はペンギンの産卵から巣立ちまでの過程をさまざまな手法で観測し、かれらが過酷な環境でどのように生態系を維持しているのかをマルチスケールで解き明かすというものだった。そのため、先遣隊が11月からスカルブスネス入りをして産卵の状況などを観測する予定であったが、前述のとおり海氷状況が悪く、昭和基地で足止めをくらっていた。ペンギンの孵化は12月ごろであることを考えると、すでにスカルブスネスではペンギンのヒナたちがピーピーと鳴いているにちがいない。

 そう、自然(ペンギン)は待ってくれないのである。

 だからこそ、1日でも早く現地入りをする必要があった。なにもせず7日間も「しらせ」でご飯を食べて寝るだけをくり返す税金泥棒のような生活で、腹回りがすくすくと育つ間にも、ヒナたちはすくすくと育っていく。甘ったれたことは言っていられなかった。

 そんな複雑な思いで船内の部屋にいると、朝8時過ぎに頭上の甲板があわただしくなるのがわかった。観測隊員の部屋の真上はヘリコプターの格納庫になっているため、ヘリを固定するチェーンブロックを外して引きずる音で発艦準備に入ったことを悟る。このあと1~2時間のうちに天候が回復すると見込めたのだろう。そして、野外チームの冷蔵・冷凍物資を甲板上に運びだす号令がかかった。

「出られる!」

 物資の運びだしを手伝ったあと、あわただしく身支度をすませて艦橋に行き、離艦の報告をしてヘリに乗り込む。向かうは、6年ぶりのスカルブスネス・きざはし浜。

 昭和基地で先遣隊のメンバーをピックアップして、さらに南下を続けること約20分。眼前に広がる景色を見ていると、前回の南極観測から6年もの月日が流れたのがウソのようで、連続した日のように感じる。東京のような街なかであれば、数年もたてば景観がガラリと変わり、「ここにはこんな店があった」などと懐かしむ時間の経過を感じられるが、南極は、6年前に別れたあの日と変わらず同じ姿だった。

ラングホブデ沖を飛行するヘリ。目前には南極大陸、眼下には氷海が広がる

⚫6年前とはぜんぜん違った!

 そんなことをぼーっと考えていると、ヘリはラングホブデ、平頭山、雪鳥沢などを通過し、露岩域にさしかかった。そして、カーゴのドアが開き、着陸態勢に入った。

「えっっ?!」

 ヘリのドアの向こうに広がる景色に目を疑った。いや、さっきまでの感情を取り消したい。というか、やっぱり南極さんは牙をむいてきた。「6年前と変わらないだと?! ナニをたわけたことを言ってるんだ! じゃあ、お見舞いしてやるよ!」と言わんばかりに、一面、真っ白の世界⋯⋯。そう、自分の知っている夏のスカルブスネスの露岩域なんてどこへやら。見わたすあかぎり雪が積もっていたのである。小屋の立ち上げ作業に「除雪」の項目が加わった瞬間である。生活できるようになるまで2~3日はかかりそうである。

 ヘリが雪を舞い上げながら着陸し、カーゴドアから外へ出ると、深く積もった雪に足を取られる。茫然自失とはこのこと。まさに目が点の状態。小屋こそ雪に埋まってはいないが、ひざ下くらいまで積雪があるため、歩くのもままならない。何人かはヘリから降りたファーストコンタクトのさいに雪が靴の中に入って、「冷てぇ!」と声を上げている。南極さんをナメてかかった代償である。凍傷にならなければいいが⋯⋯。

 じつは積雪があることじたいは、数日前の船内での緊急ミーティングのときに聞いていた。ヘリのテスト飛行をしたさいに、「予察よさつ」といって各観測拠点にヘリが安全に着陸できる場所があるかをヘリ隊員が確認に行っていた。そのときに撮られた「きざはし浜」の写真では、多少の雪は積もっているものの、活動できないレベルではなかった。それが、いまやどうだ? 運んできた物資をヘリから降ろすのもひと苦労⋯⋯どころではない。大騒ぎだ。

「きざはし浜」は観測ヘリの給油地になっているため、今回のフライトでドラム缶入りの航空燃料を運んできた。これをヘリから降ろして安全な場所まで運搬する必要があるのだが、一般的な200リットル缶なので、油の比重を鑑みてもざっと200kg。通常であれば担架のような運搬具に載せて、数人がかりでヘリから降ろして安全な場所まで運ぶのだが、雪が深く、歩く息が合わせられないので即却下。雪の上を滑らそうとするも、ドラム缶の自重でふかふかの雪に埋もれていく。しかし、ヘリはつぎのフライトがあるため、われわれが悠長に運ぶのを待ってはくれない。

 全員で必死に押して引いてをくり返してヘリから離れた場所に置いたと思ったら、ヘリがあわただしく飛んでいった。現時点において南極でハァハァ言いながら大汗かいてるヤツは、おそらくわれわれだけだろう。

 ヘリが飛び立ち無音の世界になると、あらためて「きざはし浜」に帰ってきたという実感がわいた。

「ただいま!」──なんて言ってる暇はない。なんせ30分ほどでヘリが物資を積んで戻ってくる。それまでに除雪をして、物資の運搬ルートをつくらねばならない。地形と記憶をたよりに、小屋の脇にあったはずのシャベルを雪の下から探しだし、急いでルート工作をおこなう。くり返すが、夏とはいえ南極で大汗かいてるのは、たぶんわれわれだけだろう。

日本を出発して約ひと月、ようやく「きざはし浜」に到着。ヘリポートの周囲だけでも雪が薄かったのがせめてもの救い

(つづく)




 

後藤慎平(ごとう・しんぺい)
1983年、大阪生まれ。筑波大学大学院博士後期課程修了。博士(工学)。第59次・第65次南極地域観測隊(夏隊)。民間企業、海洋研究開発機構を経て、東京海洋大学助教。専門は深海探査機の開発、運用。2014年から生物研究にまつわる海洋機器開発に取り組み、2018年には南極の湖底に生息するコケボウズを水中ロボットで撮影する、世界初のミッションを成し遂げた(第59次隊)。2023年11月〜2024年3月、第65次観測隊に参加。著書に『深海探査ロボット大解剖&ミニROV製作』(CQ出版)、『深海ロボット、南極へ行く』(小社刊)がある。