深海ロボット、ふたたび南極へ|ペンギンが潜る海(第5回)|後藤慎平

深海ロボット、ふたたび南極へ

気鋭の工学者として、水中探査機で南極の湖底に挑んだのが6年前。2度目の調査ミッションは、なんと「ペンギン観測」だった!

深海ロボット、ふたたび南極へ
……ペンギンが潜る海……
後藤慎平


南極湖沼調査で活躍したROV(水中探査ロボット)、AR-ROV01。愛称はKISHIWADA

⚫おそろしく複雑な海底地形

 水中ロボット(ROV)を使ったペンギンの生態系調査ということで、おもな任務はペンギンが棲息するコロニー周辺の海の中を調べることであった。もちろん、かれらが泳いでいるところや餌を食べているところが見られればいいのだが、この時期のペンギンはかなり沖合まで出かけていって餌を採っている。過去に、ペンギンに発信機を付けてどのあたりまで出かけていっているのかを調べた研究では、沖合数kmまで行っていることがわかった。

 たしかに、ROVの潜航準備中にも、ペンギンがヨテヨテと歩いてきて氷の割れ目からドボンと潜ったかと思うと、少し先の割れ目からピョイッと出てくることがあった。またあるときには、はるか遠くの海氷上をいくつものゴマ粒のような点が動いているのが見え、デジカメでズームしてみたらペンギンだった、ということもあった。

 しかし、なんでそんな沖合まで? 餌なら目の前の海にもいるんじゃないの? そんなふうにさえ思うが、実際はまったく予想と違っていた。

 今回、鳥の巣湾(第3回の地図参照)の南端の海域をROVで調べたのだが、この場所はおそろしく複雑な海底地形をしており、少しでも足を滑らせれば十数メートル下の海底まで滑り落ちるような、急峻な地形になっていた。おそらく、潮の干満の差で分厚い海氷が岸に押しつけられることで、大地が削れてできたのだろう。

 ここに来るまでの通勤ルートでソールのフリクションをフル活用した一枚岩の地形(こちらも第3回を参照)も、同様にして硬い氷河などで削られてできた地形だと考えると、なんとなくROVのカメラを通して見る海底地形が地上と似通っているように感じてくる。つまり、目の前の海底は十数メートルどころか、数十メートル下まで崖が続いていることになる。たぶん、海底で石を転がせば、止まることなく肉眼で見えなくなるくらいまで落ちていくのだろう。考えるだけで恐ろしい。

 そんな複雑な地形の海で、ペンギンはどんなものを食べているのか? どんな生物が生息しているのか? 6年前、オーセン湾に潜ったさいにはホタテとウニが一面に広がる光景に驚いたが、ここも似たような生物相なのか? だったら、ペンギンたちがここ(鳥の巣湾)を選んで棲息する必要はなく、オーセン湾でもよいはずだ。直線距離で約2.5km離れた海に、どんな違いがあるのか?

 東京湾なら竹芝とお台場よりも短い距離。大阪湾なら関西国際空港と対岸の中間くらいの距離。きっとそんなに変わらない⋯⋯いや、待て自分。絶対にそんなはずはない。オーセン湾もたった500メートル離れた場所ではまったく異なる生物相だった(『深海ロボット、南極へ行く』に詳しい)。じゃあ⋯⋯ここの海はいったいどうなってるんだ?

 はやる好奇心を抑えつつ、ほんの1メートルくらいの氷の割れ目から、ROVを投入する。慎重にROVを海の中へと潜らせていくと、カメラには、海氷と海氷がぶつかりあってできるプレッシャーリッジ(氷丘脈)が海底深くまで続いているようすが映しだされる。

「コイツはやっかいだな⋯⋯」

 プレッシャーリッジは通常の海氷と違い、沿岸でくり返しぶつかりあって複雑な形状となっているため、ROVが進むコースラインの選択を間違えると、機体やケーブルが氷にからまる恐れがある。ROVのスラスター出力を細かく調整しながら、なるべく氷の隙間を縫って徐々に沖へ、深くへと潜らせていく。

ROVのカメラがとらえた海氷の裏側

⚫ROVが映しだした海底世界は⋯⋯

 ある深さまでくると、急にカメラにモヤモヤっとした温泉がわき出すような映像が映る。氷が解けた真水と海水が混合する層である。「やくそう」といわれ、比重の異なる水がぶつかりあうことでできる境界線のようなものである。水温も大きく異なっており、海底付近では1~2℃なのに対し、海氷付近は−1℃くらいと、ひじょうに冷たい。そしてこの境界線付近には、アイスアルジー(氷の底に付着する珪藻類)が浮きもせず沈みもしない状態で層状になっていることが多く、ここをROVで進むと、雲海の上を飛んでいるようにさえ見えてくる。

 しばらくROVを沖合まで走らせ、ケーブルがからまるような海氷がないことを確認して、潜航を開始する。カメラを下に向け、スラスターの出力を上げすぎないように注意しながら潜らせていく。海底は見えているが、なかなか着底しない。それだけ透明度が高いということがうかがい知れる。しかし、この透明度も日によって大きく変わる。6年前にオーセン湾で潜航させたときも、前日より濁りが強く、数メートル先しか見えないということがあった。本当に南極の海は、「前回こうだったから」というセオリーが通用しない場所だとあらためて感じる。

 海底面が白く、まだら模様のようになっているが、バクテリアマットか? 生物か? まだこの位置からではわからない。徐々に徐々に、深くへと潜らせていく。そして、着底──。

 さっきまで白かった部分がROVの周辺だけ一瞬で色が変わって、海底面が露出する。白いまだら模様の正体は、ケヤリムシの仲間だった。ROVが着底した瞬間に、砂の中にひっこんだのである。このケヤリムシは棲管と呼ばれる硬い殻が地中にあり、ふだんはそこから顔を出しているが、危険などを察知すると、瞬時に棲管の中に身をひっこめる生物である。

 驚くべきはその生命力で、海から遠く離れたスカルブスネスの内陸でも棲管の化石が見つかることから、数千~数万年前からこの地に棲息していたのではないかと考えることができる。もしそうなら、目の前に広がる世界は古代の地球と同様の景色で、ここにいる生物の多くは生きた化石なのかもしれない。が、勝手に妄想してロマンを感じているだけで、じつはぜんぜん違うかもしれない。なんせ専門家ではないので。そこが工学者の弱いところでもある。

 着底のさいに巻き上げた砂が少し落ち着いたのを見計らって、機体をふわっと浮かせて周囲を観察する。どうやらここ(鳥の巣湾)もウニやホタテのコロニーは見られず、ケヤリムシの仲間やヒモムシの仲間がほとんどのようである。なにより海藻類がほとんど生えていない。これでは海藻類を食べるウニや、寝床にする魚も寄ってくるはずがない。近年、日本近海だけでなく世界的にも問題となっている「磯焼け」と呼ばれる現象があるが、南極でも似たような現象が起こっているのだろうか。そんなことを考えながら、ROVで周囲の観察を続ける。

お花畑のようなケヤリムシのコロニー

 しばらく海底面を這うようにROVを走らせ、ときには着底して生物の観察を続けたが、ペンギンが餌にするような魚やオキアミの気配がまったくない。昭和基地の近くでは水中カメラを入れただけでショウワギスなどが寄ってくると聞いていたし、しらせ船上で海洋生物を捕獲する手伝いをしたときも、それほど待たずして魚が釣れたことがあった。そのため、ヒトと同じで海の生き物にとっても、棲みやすい・棲みにくいがあるのは明らかであるが、どうやら鳥の巣湾は不人気な物件のようである。たしかに、駅近な物件でもコンビニやスーパーがなければ住むのをためらうので、住む環境を選ぶ基準はヒトも魚も似ているのかもしれない。

⚫ウミシダの襲撃にあう!

 潜航して1時間くらいが過ぎたころには、すっかり体が冷えきっていた。前回(6年前)の教訓をいかして今回は日除け&風除け用のテントを準備し、これが思いのほか快適だったのだが、ここはやはり南極。最強といわれる防寒用の羽毛服を着ていても、テントを張っている岩そのものが冷えきっているので、いわゆる底冷えが起こる。

「あ、ヤバイ⋯⋯」

 体の芯のほうから震えが始まっているのに気づいた。じつは南極に来るまえに真冬の北海道でROVの実験をしたさいに、似たような現象を体験したことがあった。「寒いと震える」というが、前回の南極でも命の危険を感じる震えに出会うことはなかった。しかし、寒風吹きすさぶ北海道の湖上で、40年生きてきてはじめて、「あ! 寒いとホントに震えるんだ!」と体感し、凍傷対策用に持ってきていたお湯を飲んで体を温めたことがあった。

 そしていま、ふたたびの震え⋯⋯。
 ここは南極。なにかあっても救急車なんて来てくれない。判断を誤ればレスキュー体制が組まれ、自衛隊のヘリが来て、船に戻って隊長に怒られる⋯⋯。

 これ以上続けると危険と判断し、いったん、ROVを引き上げる。時間もちょうどお昼を過ぎたころだったので、ひとまず持ってきたおにぎりを食べて、カロリーを上げることで体温維持を試みる。風でバタバタとテントが揺れる。しばらくすると震えも収まり、冷えきっていた手足の指先にも感覚が戻ってくるのがわかった。すると、こんどは眠気が襲ってくる。いかんいかん──

「もういっちょ、潜りますか」

 のそのそと巣穴、もとい、テントから這い出てROVを海に投入する。バッテリーの残り時間的にも、あと1時間というところだ。いちおう予備のバッテリーもあるにはあるが、きっと人間のほうがもたないし、どうもスカーレン方面の空が暗いのが気になる。もたもたしていると天気が急変して、鳥の巣湾で1泊(ビバーク)となる可能性もある。小屋ならまだしも、ペラッペラのテントでブリザードにあうのは御免だ。

 そんなことを考えながら、午前中とは違うルートでROVを進めていると、遠くにゆらゆらとしたものがカメラに映った。海藻にしてはなんかようすがヘンで、周囲には何も生えてないのに、ひとつだけ基岩からヒョロッと生えている。いまの距離ではまだよくわからないので、ROVを近付けてみると⋯⋯。

「ウミシダだ!」

 南極の海はケヤリムシやヒトデと言った棘皮動物のパラダイスだと言うことは6年前の南極観測のときに感じていたが、ウミシダに出会うのは初めてだった。おまけに、午前中に見た生物と違って、どことなくラスボス感があり、ROVをすぐ近くに着底させてじっくり観察をすることにした。すると⋯⋯。

「見てんじゃねぇ!」と思ったのか、何かを感じたのか、突然、ウミシダがこっち(ROV)に向かって泳いできた。あわててROVを浮上させて後進をかけるが、執拗に追いかけてくる! 自動車のようにバックカメラがあるわけではないので後方のようすもわからないし、ケーブルがからまないようにゆっくりしか進めないので、モタモタと逃げまわる。触手をクネらせ上手に泳ぎ、さながらゴジラに出てきたビオランテか、エヴァンゲリオンの使徒のような見た目で、正直、私にはムリなビジュアル!

 そして⋯⋯。

「ぬぅわぁぁー!」

ROVに熱烈な歓迎をしてくれるウミシダ
(※観測データに関する部分は画像を加工しています)

 シダシダした触手(そんな日本語はない)で、ROVのカメラに巻きついてきた! もう、どういう声を発したかすら覚えていない。

「やーめぇーてぇー!」

 もう、こうなったら全力で振り落とすしかない。スラスター出力最大で前進して振り落とす。それでも振り落とされまいと必死にしがみついてる姿を、ROVの高画質なカメラが一段と強烈な映像でお届けしてくれる。

「やーめぇーてぇー!」

 そうだ⋯⋯自分は過去にも似た経験をして、シャコが苦手になったんだ⋯⋯。今度は何がダメになるんだろう⋯⋯? そんなことを走馬燈のように思い出していると、ようやくウミシダが海底へと落ちていった。怒っているのか、まだシダシダしている⋯⋯。

 この数十秒間の死闘で機体にトラブルが出ていないかや、周囲の状況を確認するため、少し離れた位置にROVを着底させる。突然のできごとに疲れきって、パイロットも放心状態。すると⋯⋯。

「またきたぁ!」

 ウミシダさんはまだ怒りが収まってなかったようで、ふたたびコッチに向かって泳いできた。あおり運転のニュースでこういうヤツ見たことある! 生物も車も、ヤバそうなのには近づかないのが鉄則である。ROVを浮上させて、とにかくその場から離れる。カメラを下向きにチルトさせると、まだシダシダと漂っている。あんなのがスラスターにからまったらと思うとゾッとする。

 結局、この日は天候が悪化してきたため、これにて終了。また数日後に再チャレンジすることになった。黒い雲だけでなく、大陸のほうからはカタバ風(南極特有の強い斜面降下風)も吹きはじめたので、へたをすると吹雪になる可能性がある。帰路の途中で吹雪になったら、一枚岩から滑り落ちるくらいじゃすまないだろう。急いで荷物を片づけて、小屋へと引き上げた。

●ペンギンたちは、なぜここを選んだのか

 しかし、なぜペンギンたちは、こんな不人気物件の近くを営巣地として選んだのだろうか?

 ROVで見たかぎりでは、このあたりはあいかわらずきょく動物のパラダイスで、コレといって美味しそうな生物はいない。ペンギンが棘皮動物を食べているとも思えないし、過去の胃の内容物の調査では、オキアミや小魚が主だったと聞いている。私なら、わざわざ隣町まで食糧を買い出しに行くより、隣町に住んだほうが楽なように思うが、鳥の巣湾にはペンギンを惹きつけてやまない好条件でもそろっているのだろうか?

 ペンギンたちはときどき、直線距離で約2.5km離れたオーセン湾まで遠路はるばる来ているが、きざはし浜周辺では、ペンギンのルッカリー(営巣地)はひとつも見つかっていない。海の中も、それほど大差があるとは思えない。地形的な違いだとすれば、オーセン湾は北に向けて開けているのに対して、鳥の巣湾は西に向けて開けているが、風向きや日照時間といったちょっとした差があるくらいだ。

 ひょっとすると、ペンギンたちが餌を求めて出ていく鳥の巣湾の沖合には、まだ解明されていない海流があって、そこにオキアミなど生物のホットスポットがあるのかもしれない。そしてかれらはそれをDNAレベルで理解していて、ときどき変わる海流の動きを読んで、鳥の巣湾とオーセン湾を行ったり来たりしているのか? だとしたら、ペンギンの行動は、南極の海洋構造を知る最高の手がかりになるのではないか?

 そう考えると、もっともっと南極の海の中を見てみたいという気持ちが湧いてくる。

⚫南極さんのトドメの一撃

 今回の南極観測では、ペンギンのコロニー周辺およびオーセン湾で、合計8日間のROV調査をおこなった。40日以上もいて、たった8日!? と思うかもしれないが、ほかの観測や天候とにらめっこしながらなので、まずまずの成果だろう。もちろん、個人的にはもっと潜らせたかったという思いはある。そのために2年も準備をして、昇任も犠牲にして南極まできたのだから、自分のつくったROVでいろんな景色を見たかった。ただ、やはり今回は海象・気象が悪かった。その仕上げといわんばかりに、最後の最後で南極さんは、さらにわれわれにトドメを刺しにきた。

 撤収4日前の1月31日、早朝──。いつもどおり起きて、トイレのために小屋の外に出ると⋯⋯。

「なんじゃコレ!?」

 昨日までは露岩が見えていたはずの小屋の周辺が、なんとも美しい白銀の世界になっている。なんなら、40日前にココに来たときよりも積もってる⋯⋯というか、天気が悪すぎて近くの山(シェッゲ)ですら、かすんで見えない。

「ウソ⋯⋯でしょ⋯⋯?」

 撤収準備のために集積してあった荷物は、どこに埋まっているかわからない状態。待て待て。今日から撤収にむけた片づけをする予定だったのに、南極さんは一夜にして除雪の項目を追加してきた! おまけに今日の夕方からは風が強くなる予報だったので、ほぼ1日で撤収作業をするつもりだったが、コレじゃ絶対に終わらない。

 起きてきたリーダーや学生も、口をそろえて「うわ! マジか!」とあきらめモード。もう、笑うしかないので、とりあえず「雪だるまでもつくるか」という謎の精神状態になり、リーダーが率先して雪を丸くしはじめた。

一夜にして白銀の世界となった「きざはし浜」と雪だるま

 しかし、南極さんの洗礼はそれだけでは終わらなかった。

 予報どおり夕方から風が強くなってきたこともあって、早めに食事をすませて小屋の中の片づけをしていた。なんとなく一瞬、外が気になり、窓から外を見ると、風は強いが、テントや物資が飛ばされているようすはなかった。「まぁ、大丈夫か」と、視線をはずし、椅子に座ったつぎの瞬間、リーダーが大声を上げた。

「あれ? ラボテント飛んでない!?」

 えぇえぇぇ!? 1秒前まであったよ! という思いでふたたび窓から外を見ると、さっきまで見えていたテントの影がない! あわてて防寒着を着て外に出ると、無残な姿で倒壊していた。そうか──自分が一瞬、気になって外を見たのは、「も、もぅ、ムリっす⋯⋯」と言う、テントの声にならない悲痛な叫び声だったのかもしれない⋯⋯。

 そして、夜中23時過ぎのこの瞬間、テント撤収作業の項目が追加された。

⚫エピローグ──さよなら、南極

 こうして怒涛の約40日が過ぎていき、予定より2日早い2月2日にきゅうきょ、迎えのヘリにピックアップされることになった。このあとは天候が崩れるため、いつヘリが飛べるかわからないとのことであった。これも「南極あるある」である。

 撤収が決まってからは、ほぼ徹夜で片づけをした。観測物資や生活用品をパッキングするだけでなく、40日間の生活で出たゴミを分別したり、小屋に残すものを整理したりと、あわただしい日々だった。しかし、そのかいもあって、かねてより希望していた昭和基地に立ち寄らせてもらうことができ、もう会えないと思っていた越冬隊員とも会話することができた。おかげで思い残すことはない。

 じつは今回の観測で、自身が南極に行くのは最後と決めていた。いつ決めたかって? 昨年11月24日に羽田から乗った飛行機のなかで、この連載のもととなっている手記の1ページ目に、赤のマジックでそうデカデカと書いた。いつまでも老兵がいては後進が育たないのはどこの世界でもある話で、南極もしかりだと思う。なので、今回、小屋の運営や気をつけるべき点などを若者に引き継いだ。だが、それも自分がだれかから引き継いだわけではなく、6年前の南極で見て感じたことを自分なりに実践してきただけなので、あとの味つけは、小屋長になる人が決めればよい。

 ただ、きざはし浜小屋開設から20年ものあいだ、先輩諸氏が守りぬいてきたことだけは忘れないでほしいとは思う。自己中心的な考えで小屋を運営すると、すぐにダメになる。仕事だからと研究ばかりしていても、生活がままならない。そういう大人としてのバランスを身につけるにはうってつけの場所で、自身も6年前に小屋にいた人たちから学んだ。人間なので意見の不一致もあるけど、その人たちは終始、野外観測全体のバランスに気をつかっていたんだと、今回あらためて感じた。

「そう言って、来年また来てるんでしょ?」
「ちゃんと迎えにきてよ」

 なんてことを昭和基地に残る越冬隊員から言われたが、ゴメン⋯⋯。だって、きざはし浜料理人や食糧運搬係じゃ、今度は家族からも許してもらえないだろう。ひょっとすると、みんなにはそんな私の顔色が透けて見えていたのかもしれないが、ひと足先に昭和基地を発つときに、見送りにきてくれた越冬隊の人が泣いてくれたのは、素直にうれしかった。なので、この場を借りて言っておきたい。

 ありがとうございました。

 そして、さようなら、南極。

しらせに戻る私を見送りにきてくれた越冬隊のみんな

(完)




 

後藤慎平(ごとう・しんぺい)
1983年、大阪生まれ。筑波大学大学院博士後期課程修了。博士(工学)。第59次・第65次南極地域観測隊(夏隊)。民間企業、海洋研究開発機構を経て、東京海洋大学助教。専門は深海探査機の開発、運用。2014年から生物研究にまつわる海洋機器開発に取り組み、2018年には南極の湖底に生息するコケボウズを水中ロボットで撮影する、世界初のミッションを成し遂げた(第59次隊)。2023年11月〜2024年3月、第65次観測隊に参加。著書に『深海探査ロボット大解剖&ミニROV製作』(CQ出版)、『深海ロボット、南極へ行く』(小社刊)がある。