いっそ阿賀野でハラペーニョ!|第1回|52歳で地域おこし協力隊員になりました|高松英昭

いっそ阿賀野でハラペーニョ! 高松英昭

フリーカメラマンが百姓に転進? 常識も前例も踏みこえて、今日も地域おこし協力隊はゆく。タコスソース売り出します。

第1回
52歳で地域おこし協力隊員になりました

高松英昭

プロローグ──とっ散らかったままでいいの

「高松さん、新潟で地域おこししながらタコスソース作ってるって聞いたけど。面白そうな話だから、うちのwebマガジンで連載してみない?」

 私がホームレスの人たちを撮影した写真集を出版したときの担当編集者から、突然、連絡があった。

 担当編集者は私の「姉貴」のような存在で、いつものように軽いノリで会話は進む。これを発端として連載は始まるのだが、第1稿はなんだか堅苦しくなってしまったようで、原稿を送ったところ、「なんか文章が堅いね。それに、もらったタイトル案も堅苦しい気がする。タイトルも変更しましょう。私も考えておくから」。

 それで決まったのが、今回のタイトルである。

「デザイナーは、高松さんの『散らかった感じ』をコンセプトにしたんだそう」と、バナーのデザインを私にメールして、担当編集者は電話越しに笑っている。

 私の写真集の装丁を担当してくれたデザイナーだ。これから販売する予定のタコスソースのラベルデザインもしてくれた。彼も私のことをよく知っている(部屋が散らかっていることだと思ったが、もしかして、私の頭の中が散らかっているということなのか?!)。

「うーん、写真も少し格好つけすぎ。ほかの写真はないの。スマホで撮った写真でいいから」

 こうして、連載はなんだか、とっ散らかったままスタートすることになった。

 だが、それでいいのだ。よく考えれば、いつも、私の人生はとっ散らかったまま、なにかが始まる。そして、周りの人たちが手助けしてくれて、いつの間にか帳尻が合うのだ。

税金でラーメンは食べられません

「ラーメン代は活動費ということで、経費で落とせるんですよね」
「そんなの無理に決まっているじゃないですか」

 私の質問に、担当者の返答はなんだか語気が荒い。

「だって、仕事で食べるんだから領収書をもらえばいいと思うけど」
「そんな領収書は会計課も認めませんよ。税金ですよ。どうやって市民に説明するんですか」

 30代の担当者は諭すように私に言った。

 私は52歳で新潟県阿賀野市の地域おこし協力隊員になった。インスタグラムなどのSNSを通じて、移住者促進のための情報発信をすることが任務だ。

 私が着任したときのインスタグラムのフォロワー数は300人ほどで、どうやってフォロワー数を増やしていくか、協力隊事業担当者と話し合っていた。人気コンテンツのグルメ情報を発信すれば、フォロワー数も伸びるのではないかという話題になった。当然、実際に食べてみないとレポートできないし、料理写真を撮影する必要もある。仕事なのだから、経費で落とせると気楽に思っていた。だが、たしかに、担当者の言うとおりである。私の活動費は税金でまかなわれているのだ。

 地域おこし協力隊は、都市部から過疎地域など地方に移住し、「地域の役に立つ活動」をしながら定住するという国の制度だ。任期は1年から最長3年で、協力隊員を受け入れる自治体によって、募集する活動もさまざまだ。過疎化が進む集落に住みながら住民を支援する集落支援、空き家対策、地場産品の開発やPRなど多岐にわたり、具体的な活動を設けず、地域活性化につながる活動をみずから企画するフリーミッションもある。地域が直面する課題解決を目的とした活動を募集する自治体が多い。

 私は「移住促進のための情報発信」という分野の地域おこし協力隊員として、阿賀野市に採用された。会計年度任用職員という身分で、地方公務員となった。「ラーメン代は必要経費ということで」と軽々しく言える立場ではないのである。それに、地域おこし協力隊は着任先の市町村に移住することが条件になっているので、私も阿賀野市民である。納税者の立場になれば、「税金でラーメンなんか食べてるんじゃねえよ。しかも、大盛にしてるじゃねえか。ラーメンの写真を載せて移住者が増えるなら、だれも苦労しねえよ」と、私でも一喝する。

市が所有する畑でハラペーニョを栽培中
全国・移住者争奪戦が始まった

 48歳のときに、30年過ごした東京での生活にピリオドを打ち、私は新潟市にUターンした。阿賀野市は新潟市中心部から車で30分ほどの距離で、新潟市に隣接している。新潟市は人口80万人を超える政令指定都市で、阿賀野市は過疎地域を有する人口4万人ほどの地域なので、都市部から地方への移住となり、新潟市に住んでいた私は阿賀野市の地域おこし協力隊員の募集に応募することができた。

 総務省のデータによると、地域おこし協力隊員は20代・30代が半数以上を占めている。私のような50代は10%ほどだ。だが今後、シニア世代が協力隊員に応募するケースは増えていくはずだ。人生100年時代である。そう考えると、まだ人生の折り返し地点に立っているにすぎない。江戸時代のように50歳ほどで隠居様とか、昭和のように定年を迎えて夢の年金生活というわけにはいかないのである。それに、そのような生活は退屈そうだ。だから、私はセカンドキャリアを求めて、地域おこし協力隊に応募した。

 いま、移住はブームになっている。都内で開かれる移住フェアには多くの人が訪れ、移住相談件数も年々増えている。東日本大震災を経験して、これまでの価値観が大転換するパラダイムシフトが起こったとか、コロナ禍でリモートワークが進み、移住へのハードルが下がったとか言われているが、「人間を生物として考えれば、移住を考えることは自然な発想でしょ」と私は思っている。

 有史以前から人間は移住と定住をくり返してきた。いまいる場所に留まるか、新天地を求めるか、どちらのほうが生存率が高まるかという命題に、私たちホモサピエンスは誕生以来、ずっと直面してきた。将来に対する不透明感が増している現代社会で、当たりまえのように考えていた定住にもリスクがあることに、あらためて気づいただけだ。もちろん、移住先でのトラブルもありうるから、新天地を求めても楽園を約束されているわけではない。ただ、定住と移住を天秤にかけて、柔軟に考えられるようになったことは間違いない。

 政府は地方移住を後押しするさまざまな支援策を打ち出し、ブームを加速させている。さながら、戦中前後、人口増加の解決策として海外集団移民を推奨したように、今度は、人口減と一極集中の解決手段として地方移住を推奨しているようだ。地域おこし協力隊制度が施行された2009年度の隊員数は全国で89人だったが、2023年度の隊員数は7000人を超えている。総務省は2027年度までに1万人まで増やす目標を立てている。

 一方で、人口減と過疎化が大きな課題となっている地方自治体は、移住者をどうやって自分たちの地域に引き込むか、試行錯誤している。移住者や地域おこし協力隊員の奪いあい、と言ってもいい。地域資源を上手く活用しながら移住検討者の人気を集め、移住者を増やしている自治体もある。人気がある地域はメディアにとり上げられるなどして注目を集め、さらに移住者を増やしている。同時に、地域活性化もうながされ、より魅力が増していくという移住者増加スパイラルを生みだす。地域で活躍している移住者を訪ねるツアーを企画している自治体もあるほどだ。

 移住者が少ない地域は、内向きで閉ざされた地域のイメージが貼りつき、さらに格差は広がっていく。「地方移住を加速度的に推進する国の動きに巻き込まれている感覚もある」と、ある地方自治体の担当者は移住ブームの対応にとまどう。

 阿賀野市も例外ではない。大きな下げ幅ではないが、人口は減りつづけている。多くの自治体がそうであるように、メディアの注目を集めるような「移住者受け入れ先進地域」ではない。移住者に対する支援事業や助成制度を設けてはいるが、限られた財源のなかで全国的に注目を集めるような支援策を打ち出すことはなかなか難しい。移住検討者の関心を引くような地域の魅力をどのように発信していくか、が問われている。

 では、彼らにとって魅力ある情報とはなんなのだろうか。価値観も多様化しているなかで、ピンポイントで答えを見つけるのは難しい。移住促進のための情報発信を任務とする私の活動も、暗中模索から始まった。

温泉組合が主催した食のイベント「阿賀野ウォーク&イートin五頭」に参加。
この日、160人分のタコスをつくる
価値ある情報って、なんだ?

「高松さん、五頭山麓の森のなかで撮った写真だと思うけど、見慣れた風景で、地元で育った私には何がいいのかわからなかったけど」

 私がインスタグラムに初投稿した写真を見た担当課長が、世間話をするように話しかけてきた。

「自然を求めて阿賀野市に来る観光客も多いので、自然豊かな地域であることを発信しようと思ったのですが」

 市の中心部から車で15分も走れば、山麓の自然豊かな森林の風景が広がっている。ラジウム温泉で有名な温泉郷があり、豊かな自然と温泉を楽しもうと訪れる観光客も多い。まだ着任してから1週間しかたっておらず、市内のこともよくわからないので、まずは手をつけやすい自然豊かな風景のスナップ写真をインスタグラムに投稿していた。

「そう。私には見慣れた風景だから、何がいいのかよくわからないけど」

 担当課長は首を傾げながら表情をゆるめて、同じ言葉をくり返した。上司という立場で苦言を呈している雰囲気ではなく、雑談のように率直に感想を伝えてくれている。

 地元の人が気づかない地域の魅力を発見するのも私の仕事でしょ、と内心思ったが、よく考えるとたしかに、担当課長の言葉は核心を突いている。全国どこでも豊かな自然は、たいていの地方に行けばある。自然を強調する風景写真とともに「自然豊かな環境で暮らしてみませんか」とか「豊かな自然のなかで子育てしませんか」というキャッチフレーズを、地方に行けばセミの鳴き声のようにどこでも聞くことができる。それが移住検討者にとって、どれほど重要な情報なのだろうか。

 インターネットで検索すれば、絵葉書のような美しい風景の画像を簡単に見ることもできる。とくに、移住を考えている人たちは、さまざまな情報をネットで集めているはずだ。地元の人が見慣れた風景は、地元以外の人にとっても見慣れた風景だと考えたほうがいい。

 ネットで検索しても出てこない情報が移住検討者にとって価値ある情報だと思うが、それがなんなのか、なかなか答えが見つからない。ただ、昔の海外集団移民政策のように、移住先を「楽園」であるかのように謳う無責任な情報発信だけは避けたいと考えていた。

 まずは、車で市内を探索することから始めた。ちなみに、活動に使用する軽自動車のレンタカー代や燃料代は、協力隊の活動費から支払われる。活動に必要な経費の上限も、法令できっちりと定められている。報償費とよばれる私の給料以外に、年度ごとに200万円が経費として充てられている。だから、原則として予算の範囲内で活動する必要がある。

「高松さん、燃料費として計上していた予算をオーバーしそうです。取材で移動が多くなるのはしかたがないのですが、予算オーバーはまずいんですよね。来年度予算が使えるようになるまで、まだ1か月ほどあります。満タン給油でこれくらいの金額ですから、あと給油は3回くらいが限度ですかね。できるだけ、エンジンの回転数を上げないように燃費を抑えて、エコ運転でお願いします。来年度の燃料費は多めに計上するようにしますね」
と、担当者が給油伝票を見ながら電卓を叩いてみせたので、私は後続車のプレッシャーに耐えながら法定速度をきっちり守って走った。

 車で市内の観光地を巡ったり、水田が広がる農道を走ったりしたが、ほかの地方にはない唯一無二の取材対象はなかなか見つからない。ただ、私は車を運転しているときが、いちばん頭がよく働くのである。考えごとがあるときはドライブに出かけることにしている。流れる景色が刺激となって、思考を活性化させているのかもしれない。情報収集しようと車を走らせていると、ぼんやりと、答えの糸口となる輪郭が浮かび上がってきた。

 移住先でいちばん多い悩みは、地元住民との人間関係によるトラブルだ。「すべての悩みは対人関係である」と、著名な心理学者のアドラーも言っている。とくに、地方は人間関係が濃い。移住先にはどんな人たちが住んでいるのか、移住検討者にとっていちばん気になるはずだ。それに阿賀野市民は、当たりまえだが、ほかの地方には存在しない唯一無二のヒューマンリソースだ。どんな人たちが暮らしているのか、そして、自分が憧れる暮らしをそこですることができるのか、そんな移住検討者の不安と期待に応えられるような情報を発信すればよい。ネット検索しても出てこない市民の物語こそ、移住検討者にとって魅力的な情報コンテンツになると考えた。

 とはいえ、道行く人やスーパーマーケットで出会う人たちに片っぱしから声をかけるわけにもいかない。それに、地方では車での移動が当たりまえ。道を歩いている人は皆無だ。どのように取材対象となる市民を見つけるかが課題となる。だが、その点はまったく案じていなかった。それは、私のもっとも得意とする分野だ。

 私はこれまで、たいていの人が行くことを躊躇するような場所にも足を踏み入れ、そこで暮らす人たちと向きあいながら仕事をしてきた。
 そのあたりの事情は次回に。

山麓から越後平野が広がる。道に迷っても、山がある方角をめざせばいい[写真:高松英昭]

(つづく)

 

高松英昭(たかまつ・ひであき)
1970年生まれ。日本農業新聞を経て、2000年からフリーの写真家として活動を始める。食糧援助をテーマに内戦下のアンゴラ、インドでカースト制度に反対する不可触賤民の抗議運動、ホームレスの人々などを取材。2018年に新潟市にUターン。2023年から新潟県阿賀野市で移住者促進のための情報発信を担当する地域おこし協力隊員として活動中。
著書(写真集)に『STREET PEOPLE』(太郎次郎社エディタス)、『Documentary 写真』(共著)などがある。