[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第二期】|第4回|ハーフの視点から見た「国籍」のこと(サンドラ・ヘフェリン)|サンドラ・へフェリン+木下理仁

[往復書簡]国籍のゆらぎ、たしかなわたし【第二期】 サンドラ・へフェリン+木下理仁 じぶんの国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

自分の国籍とどうつきあっていけばいいだろう。 「わたし」と「国籍」の関係のあり方を対話のなかから考える。

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[往復書簡/第二期]第4回
ハーフの視点から見た「国籍」のこと
サンドラ・ヘフェリン


 

木下理仁さんへ

 木下さんからいただいたお手紙、何度も読み返しました。木下さんも「生まれた場所」と「育った場所」が違うのですね。子ども時代に2、3年おきに転校していたとのこと。そのためかんたんに「どこそこ出身」だと言えない話、とても興味深かったです。

 転校といえば、私はドイツに住んでいた子どものころにこんな経験をしました。引っ越しのため、ミュンヘン市の街の真ん中にある学校から、同じミュンヘン市内だけれど街の端っこのほうにある学校へ転校しました。母(日本人)が新しい学校で入学の手続きをしてくれました。

そして無事に新しい学校に転校し、新しい友だちもできつつあったある日のこと。生徒が「漫画のキャラクター」をプレゼンする授業があり、担任の先生がクラス全員の前で「サンドラは日本出身なので、サンドラには日本の漫画のキャラクターを紹介してもらおう」と言いました。

 先生は「私の母が日本人であること」「土曜日は日本人学校に通っていること」を知っていました。だからこのように言ったのだと想像します。そして私は言われたまま、学校の同級生のみんなの前で「日本のドラえもん」の話をすることになりました。みんなは「ドラえもん」に興味をもってくれたものの、プレゼンを終え私はなんだか複雑な気持ちに。

 私は「ミュンヘン市内の学校から、別のミュンヘンの学校」に転校しただけなのに、転校した先の学校で「外国(日本)のドラえもん」の話をしたせいで、プレゼン後はクラスですっかり「日本の子」「日本から転校してきた子」みたいな扱いになってしまいました。

「ドラえもん」は昔もいまも大好きですが、あのとききっぱりと「日本の漫画」の話をするのは断ればよかったと思っています。また悪気がなかったとはいえ、先生も転校してきたばかりの子どもに対してうかつに「外国の話をするように」と言うべきではなかったとも思います。

 ただこれはべつにトラウマということのほどではありません。先生に悪気はまったくありませんでした。むしろ「学校にとっても先生にとっても、異文化交流って難しいよな」と感じます。

 教育者はよかれと思って、生徒の「外国」の部分にスポットを当てても、当の本人はそこにスポットが当たることがいやな場合もあります。まさにドイツの学校で「ドラえもんの話」をすることになってしまった私のように。

 おもしろいのは、大人になって日本に住みはじめてからも、「海外からの転校生」のような扱いをされる場面があることです。先日ある仕事の帰りに喫茶店に入りました。女性が一人で経営している昭和の香り漂う居心地のよい喫茶店です。コーヒーを頼んでしばらくすると、席の後ろから常連らしき年配の女性から「日本の折り紙って、わかる?」と声をかけられました。

 女性が見せてくれたその色とりどりの折り紙に見入っていると、「あげるね」と折り紙を数枚渡してくれました。とてもほのぼのするシチュエーションでした。でも同時に「私は日本人なんだけどなあ・・・」とちょっぴり複雑な気持ちになりました。

 相手がよかれと思ってやっていることでも、ハーフ当事者としては「折り紙」しかり「ドラえもん」しかり、「あなたは、あちら側の人」として扱われていることに、ちょっぴり寂しさを感じます。

 さて、木下さんからのご質問「サンドラさんは『国籍』が理由で何か困った経験はありますか? あるいは、そういう話を聞いたことがありますか? 多くの『日本人』が気づかずにいる、『国籍』をめぐる意外な問題があったら教えてほしいです」についてお話ししたいと思います。ちょっぴり長くなりますが、聞いてください。

 成人した日本人が外国の国籍に帰化する場合、日本の戸籍から除籍となってしまい、日本の国籍は剥奪されてしまいます。たとえば現在77歳の野川等さんは数十年前からスイスに住んでおり、現地で会社を経営していました。スイスの法律では会社が入札に参加するために社長はスイス国籍でなければならないため、野川等さんはスイス国籍を取得しました。ところがそのことが原因で、野川さんは日本の国籍を失ってしまいました。「外国の国籍を取得したからといって、本人の意思を確認しないまま、自動的に日本国籍が抹消されてしまうのは不当」だとして、野口等さんは同じような立場にいる7人と集い、いま国(日本)を相手に裁判を起こしています。これが「国籍はく奪条項違憲訴訟」です。

「国籍」について、多くの「ハーフ」は上に書いた野川等さんのようなケースと似ているようで違う立場にいます。たとえば大坂なおみさんのような日本×アメリカのハーフの人は「生まれたときから日本とアメリカの両方の国籍を持っている人」が多いです。日本とヨーロッパの国のハーフの場合も「生まれたときから両方の国籍を持つ人」が多くいます。

 日本の法律ではこのような場合「22歳になるまで国籍を選択しなければいけない」としています。大坂なおみさんもそうしたように、多くのハーフは22歳になるまでに日本国籍を選び、国(日本)に対して「国籍選択届」を提出します。この国籍選択届の提出をもって、当事者は「国籍選択の義務」を果たしたことになります。

 ここからが世間で誤解が多い部分なのですが、多くの日本の人は「日本国籍を選んだのなら、外国籍は離脱したはず」と思い込んでいます。でもそうではありません。法律には「国籍選択届」をもって日本国籍を選択した場合、外国籍については「離脱する努力をしてください」とあります。この努力は任意です。本人のどのような行動が「努力」にあたるのか規定はありません。たとえば日米ハーフの場合、「本人がアメリカ大使館に電話をしてアメリカ国籍離脱の相談をする」ことが努力に該当するのか、「インターネットでアメリカ国籍の離脱について情報収集をする」ことが努力にあたるのか、それとも「『これから日本人として生きていきたいので、アメリカ人をやめたい』と日記に書く」ことが努力なのか、法律では決まっていないのです。国籍離脱の努力は一生してもよいことになっています。

 多くのハーフは成人後も日本および外国の国籍を持ちつづけています。このような複数国籍の人について、日本では「ずるい」と感じる人が多いようです。ただ外国籍の離脱はじつは多くの日本人が考えているほど、かんたんなものではありません。

 たとえば日本とフランスのハーフの場合。成人後も日本とフランスの両方の国籍を持ちつづけているあるハーフの男性は「フランス国籍を離脱したい」と考え、フランス大使館に相談をしました。そこでフランス国籍を離脱したい理由について聞かれ、彼は「日本では複数国籍がダメだとされていて、自分は日本人として生きていきたいから」と答えたわけです。ところが担当者からは「貴方のようなケースの場合、成人後もフランスと日本の国籍の両方を持ちつづけることができます。『日本で政治家として立候補する』とか『日本の外交官になる』など特別な理由がある場合は、離脱が必要になりますが、貴方の場合はそうでないようなので、このままでだいじょうぶです」と説明されたといいます。じつはこれはフランスに限らず、欧州連合の国ならどこも似たような回答になると思われます。現に私も前にドイツ大使館に問い合わせたところ似たような答えをもらいました。

 つまり「外国籍の離脱」とは「本人(当事者)とその国(外国)のあいだの話」であり、第三者が安易に口出しをするべきものではありません。

 上に書いたとおり、日本では多くの人がハーフに対して「日本人として生きていくと決めたのなら、外国の国籍を持ちつづけるのはずるい」と考える傾向があります。でもじっさいのところ、外国の国籍を離脱したところで、いま風の言い方でいえば「ダレ得でもない」のです。たとえば上に書いたフランスと日本のハーフの男性の場合。日本に住む彼は生真面目な性格で「日本人として生きていきたい。フランスの国籍は離脱したい」と思っていました。でもいまとなっては「フランス大使館に相談してよかった。離脱をしなくてほんとうによかった」と彼は語ります。というのも、フランスには高齢の両親が住んでいます。彼がフランス国籍を離脱してしまうと、高齢の親に何かあったときに、介護などのために長期にわたりフランスに行こうと思っても、3か月までしか滞在することができません。でもフランス国籍を維持していれば、3か月以上滞在し親の介護やそれにともなうさまざまな手続きをすることができます。

 ハーフの人に対して「日本の国籍を選んだのだから、外国の国籍は放棄すべき」と言っている人は、このような介護の問題などを真剣に考えたことがあるのかな?……たぶん考えたことがないのだと思います。

 当事者の立場に立てば、第三者がうかつに「離脱すればいい」なんてアドバイスはできないはずなのです。

 話が長くなりました。木下さんからの質問「サンドラさんは『国籍』が理由で何か困った経験はありますか?」について。私が困っているのは、「日本とドイツ、どっちの国籍を選んだの?」「なんで?」と気軽な気持ちで聞く人が多いことです。

 コロナ禍になる前、居酒屋でみんなでワイワイ飲んでいるときに、私がハーフだと知るや否や大勢の人がいる前で「サンドラは、ドイツと日本、国籍はどっちを選んだの?」と聞かれたこともありました。居酒屋に限らず、よくこの手の質問はされたものです。昔はバカ正直に答えていましたが、国籍の話は個人情報であることに加え、日本では国籍について誤解している人も多いため、あるときから「バカ正直に答える」ことをやめました。

 国籍について聞かれた場合、私はこう答えるようにしています。「ハーフの国籍の話はとても複雑でかんたんに答えられるものではないんです。国籍について私が話しはじめたら、3時間ぐらいかかってしまうんじゃないかな。もし国籍について興味があるなら、『国籍に関する勉強会』があるので、ぜひお誘いします。だいたい週末に5時間ぐらいの勉強会です」と。

 これは質問をかわす意味もありますが、本当に国籍の問題に興味をもってほしいという気持ちもあります。でも「アイスはどんな味が好き?」と聞くような軽いノリで「国籍はどっちを選んだの?」と聞いてきた人で、真剣に「ハーフの国籍問題」に興味をもってくれている人は本当に少ないのです。

 他人の国籍について「興味津々」ではあるものの、「勉強する気まではない」という人が多いのは、当事者にとってはひじょうに悩ましく、またもどかしい話です。

 そんななかでも本当に興味をもってくれる人はいて、そういう人は本当に貴重だなと感じています。

 私のような「ハーフ」は日本人でもありますが、外国にも「つながり」や「しがらみ」があります。

 そういった立場の人に対して「人はそれぞれいろんな問題があるんだな」と思ってくれればと思います。……これは求めすぎなのでしょうか? 木下さんはどう思われますか。

 なんだか最後は「悩み相談室」みたいになってしまいました……。よろしくお願いいたします。

 

サンドラ・ヘフェリン(さんどら・へふぇりん)
エッセイスト。ドイツ・ミュンヘン出身。日本語とドイツ語の両方が母国語。自身が日独ハーフであることから、「ハーフ」にまつわる問題に興味を持ち、「多文化共生」をテーマに執筆活動をしている。ホームページ「ハーフを考えよう!」 著書に『ハーフが美人なんて妄想ですから‼』(中公新書ラクレ)、『体育会系 日本を蝕む病』(光文社新書)、『なぜ外国人女性は前髪を作らないのか』(中央公論新社)など。