石巻「きずな新聞」の10年│第10回│成長と挫折をくれた常総支援(後編)│岩元暁子
第10回
成長と挫折をくれた常総支援(後編)
ある支援活動希望者との電話
もうひとつ、常総支援といえば忘れられないエピソードがある。近隣自治体からの応援職員が減りつつあるなかで、特別な支援のお申し出を受ける電話を、私たちピースボートで管理することになった。私もたくさんの「支援活動希望者」と話をした。
その男性は県外在住の方で、整体師ということだった。自分の車で向かうから、朝から晩まで活動できる。体力もあるので、できるだけたくさんの人に整体をおこないたい。市内6か所の避難所のなかでもっとも避難者が多く、整体などのスペースも確保でき、配置された常総市職員の理解・協力が得られそうな避難所で活動を調整した。
活動場所が決まったことを伝えると、男性は活動できることを喜び、私たちのコーディネートに感謝を述べたあと、最後にこう言った。
「で、その避難所は、体が痛くてつらくてしんどいとか、ストレスで寝られないとか、だけど足がなくて医療機関にはかかれないお年寄りみたいな、そういう人がたくさんいる避難所なんだよね?」
意図をはかりかねて、「それは、どういった意味でしょうか?」と聞きかえした。
「いや、だからさ。せっかく県外から、自分の店閉めて、被災地にボランティアにいってあげるって言ってるんだよ? より困っている人のところに行って、役に立ちたいのはあたりまえでしょ?」
「役に立ちたい」という気持ちが、究極のエゴになるとき
自分のなかに、怒りにも似たモヤモヤが拡がっていくのを感じた。避難所にいる方は、ボランティアが達成感を得るためにそこで不便な生活をしているわけではない。たしかに、体が痛くてしんどいとか、ストレスで寝られないといった声はよく聞くし、移動困難なお年寄りも多いが、たまたまその日は外出してしまうかもしれないし、風邪気味で整体を受ける気分にならないかもしれない。前日に飛びこみで整体やマッサージができるボランティアさんが入って、整体を受けてしまうかもしれない(私たちのコーディネートを通さずに、直接避難所に突撃訪問する方もいて、それを阻止することはできない)。「役に立ちたい」という彼の要望を叶えられる保証はどこにもないのだ。じっさい、マッサージや整体、健康相談などの活動はかなりばらつきがあり、「20人施術して大盛況でした!」という日もあれば、「3人しか来てくれませんでした」という日も少なくなかった。
私は、「避難所でストレスや不調をかかえている方はたしかに少なくはないのですが、そのような方々がかならずあなたの整体を受けにきてくださるか?というところは、私たちはお約束できないんです」と説明した。「たとえひとりでも施術させていただけたらいい、という気持ちで来ていただけるとありがたいのですが」とつけ足すと、彼は「わざわざ県外から行ってやるって言ってるのに、ひとり?! それじゃ、ぜんぜん行く意味ないんだけど。もういいよ、じゃあ行かない」と怒って電話を切ってしまった。
このとき私は、「だれかの役に立ちたい」という気持ちが、究極のエゴにもなりうることを知った。活動によって得られる自己有用感を、活動の目的にしてはいけない。あくまで「相手のため」を貫きとおすことこそが、ほんとうの支援だ。たとえじっさいに施術できたのがひとりでも、そのひとりにじっくりと寄り添えたのであれば、その活動には「意味があった」と私は思う。もっと言えば、たとえ0人でも「意味がなかった」とは思わない。たとえば朝から晩まで自宅の片づけにいっていて、じっさいに整体は受けられなかったけれども、あとでチラシを見て「まだボランティアが来てくれているんだな。自分たちは忘れられていないんだな」と勇気づけられる人がいるかもしれない。それに、少なくとも自分は被災地の現状を目にし、それを帰ってから人に伝えることができる。それに意味をもたせるのは自分自身なのだ。
蓄積した疲労でぎっくり腰になる
11月上旬。常総での47日間の緊急支援活動を終え、石巻にもどった。張っていた気が緩んで、風邪でも引くんじゃないかと思っていたら……来ました、腰に……! 休みをとって東京に向かう途中、石巻駅の前で腰に電気が走り、仙台駅で歩けなくなり、東京駅で立てなくなった。仕事を抜け出して迎えに来てくれた夫のジョーに付き添われ、タクシーで病院へ(駅構内はすべて車いす。ほんとうにはずかしい……)。診断は蓄積した疲労が原因の急性腰痛、いわゆる「ぎっくり腰」だった。
思えば常総にいるあいだ、支援物資のバケツリレー(しかも、拠点として使わせてもらっていた建物は浸水していて1階が使えなかったため、物資倉庫は3階だった。水70ケースの階段バケツリレーはだいぶ死ねた……)などで体を酷使していたうえに、毎日フローリングの上に寝袋で、休みもトータルで2日しかなかった(しかも、そのうち1日は日帰りで石巻—常総を往復)。途中、腰痛を認識はしていたものの、「あともう少しだから」とだましだまし活動していた。
ぎっくり腰には「とにかく安静!」ということで、東京の自宅で、一日のほとんどを布団のなかで過ごす日々がはじまった。本を読み、スマホをいじり、目が疲れたら寝る。ひたすら寝る。トイレに行くときは、激痛に耐えながら体を起こし、這ってトイレまで。パンツの上げ下げがこんなに難しいものだとは知らなかった。座っているのもしんどいので、テレビを見ることもできないし、もちろんパソコンを広げて仕事をする気にもなれない。
「がんばる私」を卒業する
3日目くらいから、急激な「私、役に立たない感」が押し寄せてきた。石巻や常総にいる仲間たちはいまもバリバリ活動しているのに、私は朝から晩まで布団のなか……。なんの役にも立っていない。「体が不調だからこんなにネガティブなんだろう」と冷静に分析する自分もいるものの、マイナス思考は止まらない。「常総でがんばりすぎたんだね」とねぎらいのことばをかけてくれる人もいたが、ますますみじめな気持ちになった。常総のためにがんばっていた私が腰痛になったと知ったら、常総の人たちは私に対してきっと申し訳なく思うだろう。情けない。いい歳して自分の体調管理もできないなんて。
「この世の最大の不幸は、だれからも自分は必要とされていないと感じることである」とはマザー・テレサのことばだが、だれのなんの役にも立たない無価値な私は、世の中のだれにも必要とされていないように思え、この上なく不幸な気持ちだった。
幸い10日間寝こんだすえに腰痛は快方に向かい、また、ジョーが毎朝毎晩私のネガティブトークに辛抱強くつきあってくれたおかげで、精神状態もよくなった。しかし、今後も腰痛になるリスクはあるし、ほかの疾患で数週間寝たきりなんてこともあるかもしれない。そのたびに疑似うつ病になってしまうわけにもいかない。なんらかのパラダイムチェンジが必要である。
無価値感の原因を自分のなかに探してみると、「がんばっている私が好き(=がんばれない私は嫌い)」という自分がいることに思いあたった。だれかに「ありがとう」と言われたいがために支援活動やボランティアをしたことはないつもりだが、それでも感謝されたり「あきちゃんのおかげで」と言われたりすると、やはりうれしい。まわりに期待される自分、期待に応える自分、期待以上の結果を出す自分はとても気持ちがいい。それが高じてか、「私はだれかの役に立たないといけない」「いつでもがんばらなきゃいけない」という気持ちがつねにどこかにあるのだ。まずはこの「がんばらなきゃいけない病」を克服しなければ、腰痛のリスクも疑似うつ病のリスクも減ることはない。
「がんばる私」を卒業しよう!
がんばることがあたりまえだと思っていた人間にとって、がんばらないことは恐怖だ。しかし、これは越えなければならない壁なのだ。がんばらない私を受け入れられる強い人間になるぞ、と固く心に誓った。
常総での経験は、私に大きな自信と成長、支援のあり方について見つめなおす機会、そしてとてつもない挫折を与えてくれた。思いかえしてみても、あの47日間がその後の私の生き方や選択、仕事との向き合い方に与えた影響は少なくないのだ。
岩元暁子(いわもと・あきこ)
日本ファンドレイジング協会 プログラム・ディレクター/石巻復興きずな新聞舎代表。1983年、神奈川県生まれ。2011年4月、東日本大震災の被災地・宮城県石巻市にボランティアとして入る。ピースボート災害ボランティアセンター職員としての「仮設きずな新聞」の活動を経て、支援者らと「石巻復興きずな新聞舎」を設立し、代表に就任。「最後のひとりが仮設住宅を出るまで」を目標に、被災者の自立支援・コミュニティづくり支援に従事。2020年5月、石巻市内の仮設住宅解消を機に、新聞舎の活動を縮小し、日本ファンドレイジング協会に入局。現在は、同会で勤務しながら、個人として石巻での活動を継続している。石巻復興きずな新聞舎HP:http://www.kizuna-shinbun.org/