こんな授業があったんだ│第15回│詩の授業 奪われた自由[ぼろぼろな駝鳥 高村光太郎]〈後編〉│無着成恭

こんな授業があったんだ 授業って、教科書を学ぶためだけのもの? え、まさか。1980〜90年代の授業を中心に、発見に満ちた実践記録の数々を紹介します。

授業って、教科書を学ぶためだけのもの? え、まさか。1980〜90年代の授業を中心に、発見に満ちた実践記録の数々を紹介します。

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詩の授業
奪われた自由[ぼろぼろな駝鳥 高村光太郎]〈後編〉
無着成恭
(1979年・中学1年生)

前編から読む

 ぼろぼろな駝鳥    高村光太郎

何が面白くて駝鳥を飼うのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股すぎるじゃないか。
頚があんまり長すぎるじゃないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろすぎるじゃないか。
腹がへるから堅パンも食うだろうが、
駝鳥の眼は遠くばかり見ているじゃないか。
身も世もないように燃えているじゃないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまえているじゃないか。
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいているじゃないか。
これはもう駝鳥じゃないじゃないか。
人間よ、
もうよせ、こんな事は。


【たかむら・こうたろう】……1883年生まれ、1956年没。彫刻家としても知られる。
牛・獅子・白熊などをうたった『猛獣編』がある。『道程』のなかの「牛」の詩は有名。
原文は、旧漢字・旧かな遣いであるが、新漢字・新かな、いくらかの漢字をかなに改めた。

駝鳥とは人間のことではないか(前編からのつづき)

 広大なサバンナをかけめぐる夢

  駝鳥の眼は遠くばかり見ているじゃないか。

「ここは?」
「自分が生まれて育ったふるさとを見てるっていうことじゃないですか」と治子。
「そう。はるかなるサバンナを求めて、悲しそうに遠くを見つめているじゃないか。かわいそうに! という意味」と、真衣子。
「よし。ちがう意見のひと。いないね。それじゃ、つぎ」

  身も世もないように燃えているじゃないか。

「身も世もない――というのは、岩波の『国語辞典』では、『わが身も世間体もかまっていられない』というのだったね。『広辞苑』でも『わが身も世間体も考えられぬ。常態ではいられない。(身も世もあられぬ)』だったね。だから、ここは?」
「サバンナへかえりたいという気持ちで世間体だとか、外聞だとかにかまっていられない」
「駝鳥は、みえも外聞もなく燃えてんの!」
「どう燃えてんの?」
「おりのなかから脱出したいって!」
「そうだ! 動物園のおりのなかで立身出世(板書)なんかしなくったっていいから、このおりからだしてくれ! サバンナにかえしてくれッ。そういう気持ちで燃えているんだね。“身も世もない” というのは “立身出世” という熟語からでてくるんだよ。それじゃ、つぎにいこう」

  瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまえているじゃないか。

「瑠璃色っていうのは?」
「青緑色の、つやつやした鉱物の色って書いてあるよ」
「そうです。七宝の一つで、瑠璃という鉱物があるとされてるんだ。その色なんだな。その青緑色の風を待っているっていうことは?」
「それは、サバンナに吹いている風のことでしょ」
「駝鳥は、そういう風のなかで自由に跳びまわる日がくることを待っているというんです」
「そう。そのとおり。それじゃ、つぎ」

  あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいているじゃないか。

「駝鳥の頭は、からだの大きさにくらべて、うんと……」
「小さい」
「そう。小さかったんだね」
「その頭は、素朴だというんだ」
「素朴。一、飾りけがなくてありのまま。二、物の考え方が単純で原始的な状態のまま、あまり発達していないこと――こう書いてあります」
 佐藤美貴子がすぐ字引きをひいてくれた。
「うん。だから、駝鳥は悪知恵なんかはたらかすの?」
「はたらかない」
「悪いことをしない」
「そう。小さくて素朴な頭をしてるっていうの、そういうことだね。正直で、けっして悪知恵なんかはたらかさない。その頭のなかは、どうだっていうの?」
「広大なサバンナをかけまわる夢で、いっぱいになってるじゃないか」
「そうだ。そのとおり。駝鳥というのは、どんな動物だといってるんだ!」
 ここで、板書を指さす。みんなは、「ああ」と声をだす。
「そうだ。駝鳥というのは、身長2メートル以上もあり、ひととび7メートルもの跳躍で、時速90キロメートルぐらいの速さで、広大無辺のサバンナをはしりまわってこそ駝鳥なんだ。それが動物園のおりのなかでは!」

  これはもう駝鳥じゃないじゃないか。

「そうだ。だから」

  人間よ、
  もうよせ、こんな事は。

「そうだ。文明を発達させてしまった人間のつごうによって、おりのなかにとじこめ、自由を奪い、ぼろぼろの姿にしてしまって平気でいる人間よ。そんなことをする権利が、人間にあるのか! こういうふうに、高村光太郎は、おこってるんだね」

 ここまでいって、教室を見まわした。教室はシーンとしている。

自分の自由な方とは

「さあ。この詩が、わたしたちに何かをひしひしと訴えているね。訴えているものをことばにするとどういうことになるだろうか?」
「…………」
 ちょっと沈黙がつづいたあと盛国がいった。
「駝鳥には駝鳥の生き方があるのに、それを人間が勝手につかまえて、動物園のおりのなかへとじこめるなんてゆるせない! っていうことじゃないかなあ」
 川崎が、こうつづけた。
「そうなんだ。これは、駝鳥のことをいってるけど、人間にもあてはまるんじゃないの」
「…………」
「川崎君が、《人間よ、/もうよせ、こんな事は》というのは、人間にもあてはまるんじゃないかといったけど、それはどういうことなんだろう」
 こう問いかえしたら、これには、いろんな意見がでてきた。まとめてみると、
「人間が、自分の生き方をしたいと決心することは自由であるからだ。そういう自由を束縛して、きっぱりとおりのなかにいれてしまって、自分の判断で生きていくことができないようにしてしまったらおしまいだ。自由な精神が完全にしばられてしまう。それが、動物園や駝鳥にはあるんじゃないか。だから、そういうことは、よせ! といってるんだと思います」
ということになる。
「うん、いい。そういうことだと思うよ。この詩は」。わたしもそういって、「つまりね。この世に生を受けてきたわたしたちは、本来、どうなければならないか。自分にとって自由な生き方とはどういうことなのか。そういうことをしみじみと考えさせてくれる詩だといえるね。それじゃ、これでおしまいにしよう。だれかに読んでもらいましょう」。
 男子では川崎健君、女子では内田素さんに読んでもらった。川崎健君はおこっているように、内田素さんはなげくように読んでくれた。二人ともすごくうまかった。ものすごい拍手だった。
「それじゃ、きょうの授業をよーく思い出して、感想文を書いてきてください。題は、『ぼろぼろな駝鳥を勉強して』というのでいいですよ」
 そういって終わりにした。

ぼくは涙がでてきてしまったぜ

 子どもたちの感想文から

 初発の感動といったらいいか、この詩を読んですぐに感じたことを、まずノートに書いてもらった。それは、まえに報告したとおりだ。そのときすでに、この詩は、動物園に飼われている駝鳥を、駝鳥ではないといっている詩だと指摘し、駝鳥というのはどういうものでなければならないのかを書いているといっている子どもがいた。そのときわたしは、子どもの直感というのはすごいなあと思った。その思いを、感想文を読むことでますます感じた。たとえば、石塚郁夫は、
「無着先生が、《何が面白くて駝鳥を飼うのだ》と読んだとき、顔をまっかにし、ビリッとひびく大きな声だったので、ン、これは、おこってる詩だなと、すぐわかった」
と書いていた。坂田康裕は、
「ふるさとに住む自由や、自分のすきなものを食べる自由や、動きまわる自由さえうばわれてしまった駝鳥。人間の手によって、せまいおりのなかにとじこめられている駝鳥。そういう駝鳥のことを考えるとかなしくなった。ふるさとの友だちとあそぶ自由もないなんて考えると、そういうふうにしてしまった人間を許せないという気がしてきた。駝鳥だって人間とおなじ生きものだ。おなじ地球に生まれ育ったのであるから、こんなふうに自由をうばうことはまちがいだ ! !」
と書いていた。こんなふうにとりあげていけば、きりがない。
 授業の流れにそって、はじめはよくわからなかったけれど、授業がすすむにつれて、よくわかってきた──という書き方では、ほとんど全員、よく書けていた。

 つぎに、よく発言してくれた川崎君と、わたしから目をはなさず集中してくれた本郷治子さんと、終始、うつむきかげんで考えこんでいた高見沢珠さん、この三人の感想文を紹介しておきたい。

「ぼろぼろな駝鳥」の授業を受けて   高見沢珠(七年)

 この詩を、無着先生が黒板に書いてくれた。そのとき、サラサラッと読んだ。そして、なんだ、すきでないなと思った。最初の一行、
 《何が面白くて駝鳥を飼うのだ。》
でひっかかってしまったのだ。だって、動物園だからしかたないんじゃない。面白がって飼ってるわけじゃなくて、駝鳥も飼っておかなければ動物園としてなりたたないんじゃない。だって、それ見たくってくる人もいるんだから、なんて思った。だから、
 《動物園の四坪半のぬかるみの中では、
  脚が大股すぎるじゃないか。》
というところでも、アフリカと違って、日本は土地がせまいし、それに土地を買ってひろげるとなると、ものすごくお金がかかるんだから、しかたないんだよ、なんて思った。
 私には、はじめの印象で決めつけるくせがある。だから、「何が面白くて駝鳥を飼うのだ」と最初の一行で頭からきめつけられると、「面白くて飼ってるわけじゃないじゃない」といいたくなって、それがそのまま、この詩全体の印象にむすびついてしまったのだ。
「あんまり好きな詩じゃない」という第一印象は、無着先生の二回目の授業までつづいた。
 二回目の授業のとき、うん、そういわれれば、駝鳥もかわいそうなもんだなと思った。アフリカのサバンナ。大自然のまっただ中で、生き生きとくらしていた駝鳥! 自分の思いどおりに、自由に生きていた駝鳥! その駝鳥が、四坪半のぬかるみの中にとじこめられて、堅パンばかり食わせられている。これはかわいそうだ! そう思っているうちに、
 《何が面白くて駝鳥を飼うのだ。》
という、この第一行を、動物園の側から読んだのではだめなんだって、はっと気がついた。駝鳥のたちばにたって読まなくちゃ、この詩は読めないんだって気がついた。
 私は授業中、無着先生の顔を見ないようにして考えていた。無着先生の顔を見ると、せっかく考えた自分の考えがこわされそうな気がしたからだ。私は、授業の内容とはべつに、だんだんだんだん、アフリカのサバンナで自由に生き生きと生きている駝鳥と、この詩のなかにかかれている動物園のおりの中の駝鳥と比較しながら考えていた。
 《これはもう駝鳥じゃないじゃないか。
  人間よ、
  もうよせ、こんな事は。》
 この、最後の三行の意味がよくわかんなかった。私の頭は、この三行に集中していた。授業は終わった。
 だけど、私の頭のなかではまだつづいていた。家にかえって、この感想文をかきながらつづいている。そして、ハッと気がついた。
 子供だ ! ! テストと親にがんじがらめにされた子供のことだ。学校の教室という20坪のおりの中で、空想の翼をボロボロにされてしまう子供のことだ!
 私が、ハッとそのことに気づいたとき、この詩の意味がわかったような気がした。
 《何が面白くて子供を教育するのだ。
  学校の教室のかぎられた中では、
  空想力が大きすぎるじゃないか。》
 ああ、あてはまる、あてはまると思った。それから、また考えた。
 駝鳥が駝鳥でなくなるとき……
 子供が子供でなくなるとき……
 だから、
 人間が人間でなくなるとき……
 こう考えてくるとはっきりしてきた。駝鳥が駝鳥でなくなるのは、動物園の四坪半のぬかるみにおしこめられたときだ。そこからでられなくなったときだ。サバンナで生き生きと自由に生きていた状態をうばわれたときだ。子供だって、人間だって目には見えないけど、きまりとかというわくにおしこめられて生きてるっていうことがある。
 そういうことに対する抗議の詩なんだ。
 《人間よ、
  もうよせ、こんな事は。》
 私は、「わかった!」と思った。私は、この詩がすきになった。
 詩の勉強で、こういうふうに心がかわったのは、このまえの「春の歌」と、こんどの「ぼろぼろな駝鳥」だけ。無着先生の教え方がうまいからか。私の読解力がよくなったからか、それとも気まぐれな心変わりか。それはわからない。ただ、無着先生から習うと、まえに習った「春の歌」でもそうだったが、頭のなかに詩でえがかれている情景がうかぶのだ。駝鳥のさびしい姿だとか、かえるのうれしそうな顔だとか。そして、おはなしできる感じになる。そうすると、わかってくるのだ。

「ぼろぼろな駝鳥」を読んで   本郷治子(七年)

 私ははじめこの詩を読んで、ぜんぜん意味がわかりませんでした。
「この作者は何を言いたいのだろう」
「作者は駝鳥の悪口を言っているのかな」
などと考えていました。そのとき、
「かわいそうな駝鳥……」
とだれかが言っているのが聞こえました。私は、
「どうしてかわいそうなんだろう」
と思いました。そのとき、
「ああ、ここは動物園なんだぁ」
とわかりました。
 そうわかると、だんだん内容がわかってきた。この駝鳥は、せまいおりの中にとじこめられている駝鳥なんだ。だから、そのおりの中では、足が大股すぎるんだ。広いサバンナにいれば、その大股も十分に使えるのに。頚が長すぎるんだ。広いサバンナにいれば、遠くまで見ることができるのに。羽がぼろぼろすぎるんだ。熱帯地方なら寒くはないのに。
 おいしくもない堅パンを毎日食べさせられるんだ。サバンナでは、おいしい草の実や昆虫が食べられるのに。おりの中では眼がぼけてしまうんだ。広いサバンナにいれば、眼をキラキラ輝かせて走り回っていられるのに。
 そこまでわかると、身も世もないように燃えているということや、瑠璃色の風が吹いて来るのを待ちかまえている駝鳥の気持ちがよくわかってきた。小さな頭の中が果てしない夢で逆まいていてもおかしくはない。四坪半のぬかるみで飼われている駝鳥はもはや駝鳥ではないということ、よくわかった。
 私は、これは駝鳥には限らない、こんな姿でいるのは、なにも駝鳥だけではない、と思った。ライオンだって、トラだって、ゾウだって、みんな広い草原で走り回っていたいにちがいないのだ。よくよく考えると、私の家で飼っているインコだって、この「ぼろぼろな駝鳥」とおなじことだ。かごの中でしか生きられないインコはもうインコではない。
 この作者はたぶん、駝鳥だけがかわいそうなのではなく、人間の力によって、ほんとうの姿を失ってしまった動物たち全部に対して思いをよせているのだ!
 そう思って家へかえってからもう一度、この詩を読み返しているうちに、ハッと気がついたことがある。それは、これは駝鳥のことをいってるんではなくて、私たち人間のことをいってるんではないかっていうこと。私たち人間の一人一人が、いまや「ぼろぼろな駝鳥」になってるんではないかっていうこと。
 そういうことに気がついたとき、無着先生の授業が、またありありと思いだされてきた。人間だって、「ぼろぼろな駝鳥」みたいに自由にものを考えたり、自分のやりたいことをだれにもえんりょしないで発表することができないような、おりの中にいれられるということがあるんだ! そのことを高村光太郎はいってるんだ!
 私はそう思った。

「ぼろぼろな駝鳥」を勉強して   川崎健(七年)

 ぼくは「ぼろぼろな駝鳥」という、この詩を写しながら、もう、駝鳥がかわいそうで、かわいそうでならなかった。
 ぼくは動物が大好きだ。それも、自然のなかで生き生きしている野性の動物が大好きだ。だから、
 《動物園の四坪半のぬかるみの中では、
  脚が大股すぎるじゃないか。》
というところで、もう、ぐっときてしまった。
 ぼくの頭のなかには、アフリカのサバンナを駆けまわって、生き生きと生きている駝鳥がいる。その駝鳥と、高村光太郎の「ぼろぼろな駝鳥」は、まるで月とスッポンだ。
 高村光太郎は、動物園で駝鳥を飼うには、
 四坪半なんて、あまりにもせまいじゃないか
 どろどろ、ぐちゃぐちゃで住みにくいじゃないか
 脚が大股すぎるじゃないか
 頚が長すぎるじゃないか
 羽がぼろぼろすぎるじゃないか
 エサがまずいじゃないか
 こんなふうに、強く抗議している。それは当然のことだ。ほんとうに動物のことを知ってるなら、がまんできないことだ。サバンナを時速90キロメートルのスピードで駆けまわっている生き生きした駝鳥の目と、四坪半のどろどろぐちゃぐちゃの中で、どろんとした目つき(死んだサカナの目つき)をした動物園の駝鳥を思い浮かべると、ぼくはなみだがでてきてしかたがなかった。かわいそうで、かわいそうで、どうしようもなかった。
 人間て、なんていやなやつらなんだ。駝鳥はめずらしいとか、駝鳥がいないと動物園がなりたたないなんていう理由で、勝手につかまえて、せまいおりの中にとじこめて、自由をうばってしまう。人間のつごうで動物が自由をうばわれる。ほんとに思いやりのない動物だ。この詩を、一人でよんでいるうち、だんだん、だんだん人間がきらいになってきた。
 ぼくは動物が好きだから知っている。動物には欲がない。たとえば、ライオンだって、むやみやたらとしま馬を殺したりはしない。必要以上は殺さない。必要な最小限度だけ殺す。それに対して人間の欲はきりがない。動物には思いやりがある。心がきれいだ。じゅんすいだ。ぼくはそれを知っている。ぼくが、その動物をほんとに愛して、友だちとしてつきあうと、動物もともだちとしてつきあってくれる。ぼくはほんとに、
 《人間よ、
  もうよせ、こんな事は。》
って、高村光太郎とおなじ気もちでさけびたくなった。
 でも、無着先生といっしょに、中身をくわしく勉強していくうちに、すこしかわってきた。それは、このはなしは、なにも駝鳥のことにかぎらないということだ。動物全体のことをいってるんだとわかったことだ。そして、人間も動物なので、人間じしんのこともいってるんだとわかったことだ。
 駝鳥は、「たとえば」なのだ。たとえば、駝鳥の住みかは、アフリカのサバンナである。駝鳥は、そこでこそ駝鳥だ。駝鳥はそこに住む権利を、生まれたときからもっているのだ。その権利を人間がふみにじり、駝鳥の一生の人生(駝鳥生)をうばいとっていいという権利は人間にはないはずだ。
 それなのに人間は、駝鳥から住む場所をえらぶ自由をうばい、自分のたべたいものをたべる自由をうばって、くいたくもない堅パンなんか食べさせて、頭もつっかえるし、足もつっかえるような、ろうやのようなせまいおりの中にぶちこんでいる。駝鳥にほんとうの生活をさせない。こういうことが許されていいのかっていうことをいってるんだ。
 動物園のおりの中の駝鳥に、「いま、君の生きがいは何ですか?」ときけば、駝鳥はまず、「ない」と答えるだろう。それから「ただ、自分のふるさとのサバンナへかえりたいということだけで、むねがいっぱいだ」と答えるだろう。
 帰れるはずのない自分のふるさとのことを毎日毎日、夢にみて、この駝鳥は生きていくしかない。このことのほかに考えることなんてこの駝鳥にはないのだ。ただ「帰りたい。帰りたい」の一つだけ。この駝鳥はきっと死ぬまで、このせまい四坪半のぬかるみのなかでサバンナへ帰る夢をみながら死んでいくのだろう。
 こんなことが、なぜ許されるのだ ! !
 ぼくのいいたいことは、これは駝鳥のはなしではなくて、駝鳥にあることは人間にもあるっていうことだ!
 先生。ここまで書いてきて、ぼく、またなみだがでてきてしまったぜ。

出典:無着成恭『無着成恭の詩の授業』1982年、太郎次郎社

無着成恭 (むちゃく・せいきょう)
1927(昭和2)年、山形市の沢泉寺に生まれる。1948(昭和23)年に教職についてから1983(昭和58)年に退職するまでの35年のあいだに、『山びこ学校』(1951・青銅社、現・岩波文庫)、『続・山びこ学校』(1970・むぎ書房)、『詩の授業』(1982・太郎次郎社)などの実践を公刊する。それらは戦後民主主義のシンボルとして評価されている。その後、福泉寺住職。第1回斎藤茂吉文化賞受賞(1955年)、第3回正力松太郎賞受賞(1979年)。ほかに著書多数。
この「ぼろぼろな駝鳥」は、明星学園の7年生(中学1年生)とおこなった実践の記録である。