保護者の疑問にヤナギサワ事務主査が答えます。|第15回|卒業アルバムって、全員購入しなきゃダメ?|栁澤靖明
第15回
卒業アルバムって、全員購入しなきゃダメ?
春は出会いと別れの季節ですね。学校にいると、卒業式や入学式というイベントからとくにそれを強く感じます。一般企業でも入社式はありますが、退社式ってあるんでしょうかね? 出口も盛大に祝うのは学校だけなのか?
さて、卒業といえば、卒業アルバムです!(強引) ということで、今回は卒業アルバムに焦点を絞りましょう。
卒業アルバム、みなさんの家にもありますよね? 幼・小・中・高、それぞれで卒業の記念につくりますから、4冊×人数分あったりして──。それくらい卒業=アルバムという感じなんでしょう。この季節、校内では略して「卒アル」という言葉が飛び交っています。お酒が好きなわたしとしてはアルコールから卒業しろといわれている気分です(アル卒か?!)。
卒アルの中身は学校ごとにそれぞれです。卒業生が少ない場合は、厚さを増すために卒業文集と合本することもあります。そういった意味でも思い出の集大成なのかもしれません。
編集方法もそれぞれです。卒業学年からアルバム委員を募り、「卒アル編集委員会」なんていう組織がつくられることもあります。もちろん、委員会には卒業学年の教員も入ります。⋯⋯ここだけの話、その教員の校正ミスが原因で保護者とトラブルになり、賠償問題に発展した事例があります。しかも、それに備えた賠償保険まであります。
卒アル業務は教員の仕事なのか、思い出をまとめる作業が本務なのか、という視点もありますが、その話はまた別の機会にします。今回は、保護者が気になる費用と卒アルの意義について考えていきましょう。
♪ いっしょにLet’s think about it. ♪
まずは費用の問題です。卒アルは基本的に卒業生が「買う」ことになっています。そして、卒業生の人数と中身によって、その価格は変動します。人数が多ければ、つまり制作数が多ければ、1冊あたりの価格は安くなり、人数が少なければ高くなります。1冊でも1,000冊でも印刷などの工程は同じだからです。とはいえ、義務教育諸学校だったら、多くても300冊前後でしょう。経験では、制作数20冊のとき15,000円、250冊で5,000円くらいの単価でした。かなり高価な「思い出アルバム」ですね。
もちろん、価格には中身も大きく影響します。基本フルカラーですが、モノクロページの量や紙質まで選べます。卒業生の人数は変えようがありませんが、内容は見直せる可能性があります。また、入学のタイミングで競争入札による価格の検討をして、契約することもあります。
ところで、その卒アルって卒業生=全員購入という決まりがあるのでしょうか。
決まりとはいえないまでも、購入者が減ると単価が上がるから、人数が変わると価格が確定しないから──そんな理由で卒アルを「一律購入」としている学校が多くなっています。さらに、抱き合わせ集金という方法がそれを後押しします。卒業準備金に卒アル代が含まれていたり、補助教材費に含まれていたりするんですね。そうしたことにより、一律徴収=一律購入へ誘導しているのが実態です。
つぎに、卒アルの意義を検討します。少々ドライに表現すれば、授業で使う教材でもない、完全なる「思い出の品」を全員が一律に購入することを前提としている点についてです。
本来なら、そこに対象者である卒業生の意思が組み込まれるべきです(自分の写真を載せることや、購入するかどうかの意思)。授業で使うワークやドリルなど、学習面での必要性から学校が指定した補助教材と卒アルは次元が違います。ある意味では「学校指定品」ともいえますが、学習には関係ありませんし、前述のとおり「補助教材」でも「消耗品」でもありません。
しかし、卒アルは修学旅行費に次ぐ程度の高額品です。その視点も含めて、卒アルの意義を見直すべきです。いまでこそ、さまざまな事情で登校ができない子どもに対して、写真を載せることや購入の有無を確認する学校が増えてきましたが、特別な事情があってもなくても、写真を載せたくない、購入を希望しないという家庭は存在すると思います。
また、デジタル化が進んだ現代に、旧態然とした分厚い紙のアルバムが必要なのかという疑問もなくはないです。
卒アルの制作にあたっては、膨大な量の写真からアルバムに使うものを選び、レイアウトを考え、入稿します。その後、印刷・製本されたものを学校で配付するという作業もあります。いま、ほとんどの写真はデータ保存されていることでしょうし、運動会や合唱祭などの写真も、学校を通さずにオンライン購入する時代です。卒アルの形式や販売方法も見直しが必要です。(いまは、個人写真以外でもAIによる顔認識で判別し、人物の登場回数を平均化するようなシステムもあるにはあります。)
以前の勤務校で、こんなことがありました。卒アルをDVD化しようという提案です。しかし、そのときはデータの流出(SNSへの投稿など)が心配だからという理由で見送られました。紙の印刷物でも、写真を撮って投稿したら同じ問題は発生しそうですけどね。
コロナ禍により行事も減っているし、マスクの写真が多い卒アルっていうのもどうでしょうか。コロナをきっかけに本質を見直すときかもしれません。
しかし、卒業生にとっては義務教育の9年間で、卒アルに向き合うタイミングは2度しかないし、年子でもないかぎり、翌年度に向けて意見を述べることは難しいと思います。これを読んだ小学校5年生以下の子どもをもつ関係者さま、これを機にちょっと考えてみてください。そして、何かのタイミングで学校と話題を共有してみてください。
栁澤靖明(やなぎさわ・やすあき)
埼玉県の小学校(7年)と中学校(13年)に事務職員として勤務。「事務職員の仕事を事務室の外へ開き、教育社会問題の解決に教育事務領域から寄与する」をモットーに、教職員・保護者・子ども・地域、そして現代社会へ情報を発信。研究関心は、家庭の教育費負担・修学支援制度。具体的には、「教育の機会均等と無償性」「子どもの権利」「PTA活動」などをライフワークとして研究している。「隠れ教育費」研究室・チーフディレクター。おもな著書に『学校徴収金は絶対に減らせます。』(学事出版、2019年)、『本当の学校事務の話をしよう』(太郎次郎社エディタス、2016年、日本教育事務学会「学術研究賞」)、共著に『隠れ教育費』(太郎次郎社エディタス、2019年、日本教育事務学会「研究奨励賞」)など。