こんな授業があったんだ│第17回│濁音あそび UFO、変身の術〈後編〉│伊東信夫
濁音あそび
UFO、変身の術〈後編〉
伊東信夫
(1970〜80年代 ・ 小学1年生)
UFO、変身の術〈後編〉
伊東信夫
(1970〜80年代 ・ 小学1年生)
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あ゛い゛う゛え゛お゛?!
ご存じのように、五十音表のすべての行に清音と対応する濁音があるわけではありません。あるのは「が行」「ざ行」「だ行」「ば行」、それに半濁音の「ぱ行」の5行だけです。
しかし、五十音表の文字すべてに濁点がついたら——と想像してみてもゆかいではありませんか。わたしはいつかそれをやってみたいと思いました。3年生か4年生の子どもを学校の廊下などでつかまえては、「あんた、3年生? だったらね、〝かきくけこ〟にてんてんがついたら、なに?」
「がぎぐげごだよ⋯⋯。どうして?」
「だったらね、〝あいうえお〟にてんてんがついたら?」
「そんなの、ないよ」
「それがあるんだよ。いいかい。あ゛、い゛、う゛、え゛、お゛(おもいっきりのだみ声で)⋯⋯」
「うそだい!」
こんないたずらをしていたのですが、ついに1年生の授業でやることができました。
まず、白ボール紙にかいた五十音表をもって、ただだまって子どものまえに立ちます。だまって立っているだけです。子どもたちは、こんなとき、なにかがおこることをよく知っています。なんの変哲もない五十音表、こんなのを「これ、なに?」なんて質問するようなばかばかしいことをしないということをよく知っているからです。
しばらくだまっていて、いきなり大声で、「あっ、てんてん号 !!」と、こんどは窓のほうをみるのではなくて、いきなり廊下にとびだします。何人かのひょうきんで好奇心の強い子どもは、すこしおくれてあとを追ってきます。もうそのときは、とっくに裏におり返してあったビニールを五十音表におっかぶせてしらんふりしています(図⑪)。
「ああ、ざんねん。ちょっとおそかったもんな。もう見えなくなったもんな。あんたがた、ちょっとおそいんだもんな。ちょっと勘がにぶいんだもんなあ。ああ、ほんとのてんてん号を見せてやりたかったなあ」
なんていいながら教室にもどって、そして、ビニールでおおった五十音表、つまり、すべての文字に「 ゛」のついた五十音表をもって子どものまえにぽかんと立っているのです。
「なんだ、こりゃあ、あははは……」
やがて子どもたちが笑いだします。その声にやっと気づいたという表情で、わたしがあらためて五十音表に眼をやります。
「あっ、わかった! いま、てんてん号がやってきて、この〝 ゛〟をつけていったんだ。そうだ、きっとそうだ」といいます。
「だって、そんなのないよ」
「どうして?」
「〝あいうえお〟にてんてんがつくなんて、ないでしょう」
「〝なにぬねの〟にだって、つかないようーだ」
わいわい、がやがやと子どもはさわざます。それでこういいます。
「あんたがた、おばかさんだねえ、“あいうえお”にてんてんのつくこと知らなかったの?」
「そんなの、ないよーだ」
「そんなの、あるよーだ」
「ないよーだ」
「あるよーだ」
えんえんとこんなことをやっていて、月給がもらえるんですから、1年生の授業というのはこらえられないのです、たのしくて……。
「だったら、〝あいうえお〟にてんてんがついたら、なんと読むの?」
「いってごらん、いってごらんよ」
そうら、おいでなすった。話がこうこなくてはおもしろくありません。「よくぞたずねてくれました」です。
「いいか、耳の穴をかっぽじって、よーく聞きなよ。〝あ゛! い゛! う゛! え゛! お゛ーっ!〟」
教室中がびりびりするほどのだみ声(気をつけないと、のどがひりひりして咳き込んでしまうから、ご用心)をだします。そして、最後の「お゛」は、何年かまえ、ドリフターズの長さんがやって一世を風靡した、あの、何か言われると、「お゛ー」とげろを吐く表情、あれを利用するのです。すると、とてもよく落ちがつくのです。子どもたちは、うそだということを百も承知しているのに、ただおかしくて笑いころげます。しばらくして、子どもたちはいいます。
「だったら、〝なにぬねの〟にてんてんのついたのは?」
「〝まみむめも〟のは?」
つぎつぎに言います。ちゃんと濁点のつかない行はごぞんじなのです。そこをわたしに言わせるのがたのしみなのです。
「まあ、まあ、そう一時にいってもだめ。じゅんじゅんに言っていくから……」
こうして鼻をつまんだり、鼻に指をつっこんだり、小指で口をひらいたりして、「ま行」も「ら行」も「わ行」もやってしまいました。そして、最後の「ん゛」はどうするかといいますと、ウンチングスタイルで落ちをつけるのです。
「うそだあ!」
子どもたちは、うそにきまっていると思っても、自分もやってみたくて、しばらくはいっしょうけんめいまねしています。きっと、家に帰ってからもこの話を親にすることでしょう。
その後、点線文字で書いた五十音表のプリント(この表は「は行」が二行になっている)に、「UFOまるつけ号」も参加してもらって濁音入りの五十音表(濁音の行だけをなぞって、その他は点線文字のままにしておく。図⑫)を完成させるのです。
どれにてんてんつけようか
いままで、じつににぎやかに濁音の授業を進めてきましたので、このへんで静かな雰囲気でプリントを書かせようと思うのです。ワークブックは図⑬〜⑰のようにつくりました。
「ぢ」と「づ」の使い方
ところで、「ぢ」と「じ」、「ず」と「づ」はおなじ音です。そして、「ぢ」と「づ」を使うのは、ある限られた場合だけです。そのことにちょっとふれておきましょう。
「ぢ」「づ」の使われる第一の場合は、「ち」や「つ」のつく単語が複合語となって連濁となったときです。例をあげて説明しましょう。
*ちから(力)→(そこ)+(ちから)→そこぢから
*ちえ(知恵)→(さる)+(ちえ)→さるぢえ
*ち(血)→(はな)+(ち)→はなぢ
*つめ(爪)→(さかさ)+(つめ)→さかさづめ
*つつ(筒)→(たけ)+(つつ)→たけづつ
*つら(面)→(ばか)+(つら)→ばかづら
つまり、「ち」や「つ」が語頭の音節となっている単語が、そのまえにほかの単語をくっつけて複合語になり、しかも、その「ち」や「つ」が濁音化したときは「ぢ」「づ」と表記します。
つぎは、「ちぢむ」「ちぢみ」や「つづき」「つづら」のように、「ち」や「つ」の音が重なって後ろの音が濁音になる場合には、「づ」「ぢ」の文字を使います。
それ以外では「じ」「ず」を使う場合が圧倒的に多いのです。「もみじ」「くじら」「もず」「うずら」などはもちろんですが、じしん(地震)、じめん(地面)なども、まえにあげた二つの場合(連濁と連呼)に相当しないので、「ぢしん」「ぢめん」とは書かないことになっています。
「ざるの惑屋」からの暗号指令
まだまだ、濁音あそびはつづきます。つぎは、ざるの惑星から暗号の指令がやってきます。
図⑱のようなものです。この指令は、ざるの惑星からのものですから、てんてん号に関係があります。だからといって、第1回のように、すべてに「 ゛」をつけてしまって、つぎのようでは意味が通じません。
〈ぎんがでづどうで ごじらが ぶじざんぢょうに づぐ どうぢゃぐ じごぐ ごごごじ いご ごじらのじれいによっで ごうどうぜよ〉
この正解はつぎのようになります。
〈銀河鉄道で ゴジラが 富士山頂に 着く 到着時刻 午後五時 以後 ゴジラの指令によって 行動せよ〉
子どもがこの暗号を解読するのはかなりむずかしいので、家にもち帰らせて家族中で考えさせたほうがよいようです。そのなかに、つぎのようなのが一つありました。
〈⋯⋯以後 ゴジラの指令によって 強盗せよ〉
どうも、こちらのほうを正解としたほうがよいようです。クイズの答えは、愉快であれば愉快なほどよいのです。心が解放されているときほど頭も身体もよく動くからです。
「がぎぐげご」体操
こんどは、濁音25文字を十把ひとからげにしてつきあうあそびです。
はじめは常識どおり、「がぎぐげご」「ざじずぜぞ」⋯⋯とたてに読むのですが、ただ読んだだけではつまりません。それで、「がぎぐげご」の歌をつぎのようにつくり、それにあわせて体操をすることにしました。
がぎぐげ ごりらは
ぱん
ざじずぜ ぞうさん
ぴん
だぢづで どらねこ
ぷん
ばびぶべ ぼくたち
ぺたん
ぱぴぷぺ ぽっぽう
きしゃぽっぽ
これが、「ぱん・ぴん・ぷんたいそう」の歌です。ごらんのように、「がぎぐげ→ごりら」というふうに、ごぞどぼぽの音を追うとともに、横にぱぴぷぺぽを配ってみました。これを大きな紙に書いて体操のしかたを説明しようとしたら、「うまいことやったなあ」とK君がいうのです。
「いままで体操なんて考えなかったからかい?」といったら、「がぎぐげごと、ぱぴぷぺぽがうまくそろってるんだもの」と目を輝かして言うのです。五十音とつきあうことは、子どもたちを日本語ときちんとつきあわせることになるのだと、あらためて思わされました。
もちろん、日本語で書かれた文章を読んだり、書いたり、話をきいたり、話したりしても、日本語とちゃんとおつきあいすることになりますが、しかし、五十音そのものとつきあうのは現実の言語活動とは少しちがいます。それは、日本語のエキスというか、基本的な音声が整理されているものとつきあうわけですから、音声のおもしろさとじかにふれあえます。詩の教育の、その重要な部分は音声のおもしろさを教えることだと思います。
さて、体操のしかたの説明です。振りなどはあまり正確でなくてもよいと思います。大声で「がぎぐげご」の歌をどなりながら、かなりいいかげんにゼスチュアをすればよいと思いますが、だいたいはこうです。
① がぎぐげ ごりらは……ぱん
ひざをそろえて少しまげ、両腕をおもいっきりぶらんぶらんしてゴリラの歩くまねをし、「ぱん」で両ひざを少しまげたまま思いっきり手を上にあげて拍手をします。
② ざじずぜ ぞうさん……ぴん
右手一本を鼻のまえでぶらんぶらんさせ、その手を「ぴん」とふりあげます。
③ だぢづで どらねこ……ぷん
ここは、子どもの自由なイメージで、どらねこのまねをさせておいて、「ぷん」とふくれづらをつくるのです。
④ ばびぶべ ぼくたち……ぺたん
かけ足であしぶみをしていて、「ぺたん」でいきなりフロアーに身体ごとへばりつくのです。子どもたちは、身体がかろやかですから、じつにみごとにいっせいにぺたっとへばりつきます。この体操はここがいちばんたのしいらしいのです。
⑤ ぱぴぷぺ ぽっぽう……きしゃぽっぽ
きしゃになって走るだけです。ところで、この汽車ポッポ、ちょっとかわっています。「ぱん、ぴん、ぷん、ぺたん、ぽっぽ……」をくりかえして走るのです。したがって、この歌に「ぱんぴんぷん、ぺたんぽっぽのうた」という長たらしい名まえがついているのです。そして、ふえの合図でとまり、またはじめからくりかえすのです。
五ひきの怪獣、大あばれ
濁音表を横に読むと
もう7、8年まえのことです。わたしは、そのころからことばあそびゲームやことばあそび歌をつくることに夢中でした。あるとき、わたしは濁音表25文字をじっと見つめていました。そして、ふと、表を横に読んでみました(図⑲)。
「がざだばぱ」「ぎじぢびぴ」「ぐずづぶぷ」「げぜでべぺ」「ごぞどぼぽ」
こう読んでいるうちに、これがわたしには怪獣のイメージになってきました。子どもは怪獣が大好きです。わたしは、濁音の表から五ひきの怪獣をうみだし、ひとつ、大あばれさせてみようと思いました。
動から静へ
この詩で授業をするときには、まず全文を大判の用紙にかいてとじあわせた掛け図をつくります。それと濁音表、それに5ひきの怪獣の絵をかいたペープサードを用意します。怪獣の体長は30センチぐらいでよいと思います。
この詩の授業をした人は、だれでもこう言います。「窓ガラスがびんびんひびいて、教室全体が爆発をおこします」と⋯⋯。
授業の説明をしましょう。
まず黒板に濁音表をはりつけます。そして、「これ、どう読む?」といいます。たいてい子どもたちは「がぎぐげご、ざじずぜぞ⋯⋯」と読みます。
「ところがね、これは、こう読むの、よこに、が、ざ、だ、ば、ぱ⋯⋯。いってごらん」と読ませます。そして、この「がざだばぱ」というのは怪獣の名まえだから、大声で呼んでみな、というのです。こうなると、もう子どもたちは愉快になります。
大声で「がざだばぱ !!」と呼びます。ほんとうにいい声で呼べたら、怪獣は返事をするのです。つまり、あらかじめ教室のあちこちにペープサードをひそませておくのです。そして、いい声で呼べたら、「ウィー」とかなんとか奇怪な声をだし、怪獣があらわれるという寸法です。そして、右手に怪獣、左手に掛け図をもって、「怪獣がざだばぱ」が自己紹介をします(図⑳・㉑)。
「がざだばぱ/がざだばぱ/おれは かいじゅう/がざだばぱ/このよで いちばん つよいだ/がざだばぱ」
こうして、つぎつぎに五ひきの怪獣が登場し、やがてけんかがはじまります。
「つのつきあわせて」けんかをするところは(図㉒)、どう読むかといいますと、子どもたちを五つのグループにわけ、それぞれの怪獣を分担します。そして、どのグループが強そうな声をだすか競わせるのです。いや、強そうな読みをしないと、その怪獣は負けてしまうのです。
また、それぞれの怪獣の末尾の文字が「ぱ」のようにふるえているでしょう。これは、あまりにも力を入れてるので、尻尾がふるえているのです。そのことも読みで表現するようにします。
つぎに「いりみだれての おおげんか」の場面の読みです(図㉒)。この掛け図をぱっと見た子どもたちは、一瞬まよいます。それは、ここをどう読めばよいかわからないからです。その読み方です。さきほど五つのグループにわかれていましたが、それがいっせいに自分の怪獣の名まえを名のるのです。つまり、「がざだばぱ」と「ぎじぢびぴ」と「ぐずづぶぷ」と「げぜでべぺ」と「ごぞどぼぽ」が、いっしょに音になるわけですから、一種えたいの知れない音声が、教室をウワーンとゆるがすのです。そして、ここが、この詩のやまばです。あとは、すーっと坂をくだるように静かになっていきます。
そして、最後の一節(図㉓)、「ひっくりかえって/ひとねむり/がぎぐげご/ざじずぜぞ/だぢづでど/ばびぶべぼ/ぱぴぷぺぽ」というところは、まったく静かに、どの子も、どの子も机の上にいねむりするように片ひじついてコックリ、コックリとし、そして、ほんとうの最後は、みな机の上にうつぶして、ほんとうに静かな一瞬をすごし、読みおわるということになるのです。
つまり、この詩は力強く怪獣が登場し、大げんかでクライマックスになり、そして、つかれてみんなねむりにおちる⋯⋯という流れになっていて、動→静という進行になるのも読みの教材としておもしろいのです。
「ぱぴるぷぺるぽ」の歌
日本語の「ぱぴぷぺぽ」という音に対して、みなさんはどんなイメージをもたれるでしょうか。外来語的な、あるいは横文字的なイメージをもたれるでしょうか。わたしは、どうしてもかわいらしい、とても健康な子どものイメージになるのです。
それで、なぞり書きする二つの詩をつぎのようにつくりました。
ぱぴる ぷぺる ぽ
ぱんやの まどが
ぴかりこ ぴかり
ぷりぷり ぷりん
ぺんだんと
ぱぴる ぷぺる ぽ
ぽかぽか ぽてと
ぺりかん ぱくり
ぷらもでる できた
ぴったんこ
ぱぴる ぷぺる ぽ
常識的・表面的にいって、「ぺらぺら」は無限に陽気であり、「ぽろぽろ」はほろにがく、うらがなしいのです。その二つのものが同居しているということは、常識的でなくていいではありませんか。
もしかしたら、わたしたちの生きざまというものは、口では「ぺらぺら」と陽気にふるまいながらも、心のそこでは、いつも「ぽろぽろ」と涙をながしているのかもしれません。そして、それが全面的に自分自身のためだけでなく、他人のためにも、表面はさりげなく「ぺらぺら」と、内面では「ぽろぽろ」と涙をながしていられるなら、まことにすてきというべきです。それができたら、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」をいちだん陵駕した人間になることができるのではないかと思うのです。
出典:伊東信夫『ひらがなあそびの授業』1985年、太郎次郎社
伊東信夫 (いとう・しのぶ)
漢字研究家、教育実践者。1926年、山形県生まれ。
1947年から91年まで、長く教職にたずさわる。
60年代より、研究者と教師の共同研究をもとに、「漢字」「かな文字」学習の体系化をはじめとする実践的方法論を探究。つねに子どものまえに立ち、多くの教材を創案してきた。
80年代後半より白川文字学に学び、また直接教えを受け、通時性をもつ豊かな漢字の世界を伝えるために研究をつづける。教師や親のための講座などでも活躍。
著書に『成り立ちで知る 漢字のおもしろ世界』全7巻(スリーエーネットワーク)、『漢字なりたちブック』シリーズ、「漢字がたのしくなる本」全シリーズ(共著)、『漢字はみんな、カルタで学べる』(以上、小社刊)などがある。
上の記事に掲載されているワークブック『ひらがなあそび』は1996年に『あいうえおあそび』上下巻にリニューアルされて発売中。濁音あそびは下巻に収録されている。