他人と生きるための社会学キーワード|第4回(第4期)|不登校──「学校以外の選択肢が重要」のその先へ|江角周子
不登校
「学校以外の選択肢が重要」のその先へ
江角周子
不登校という現象は、たびたび社会の関心を集め、議論を呼ぶ。それは、人数の増加に触れたときや、不登校に関連した事件が起こったとき、だれかの発言が炎上したときであることが多い。しかしその議論は、不登校を主語にしながらもそれぞれが頭に思い浮かべる状態像が異なるために、嚙みあわない言葉のやりとりになることも少なくない。登校意思の有無、学校への恐怖・不安の有無、学校での対人関係上のトラブルの有無、学校のルールや学び方との関係で生じる困難や苦悩の有無、学業に関する状況、家庭の状況といったさまざまな変数により、不登校とされる子どもの状態像は一人ひとりじつに異なるのである。
筆者は社会学者ではなく、普段は心理学の領域で研究や教育をおこなっている。不登校支援の現場に近い視点で語ることも可能だが、今回は、現場から少し距離を置いた視点から、さまざまな状態像を含む「不登校」をめぐる現在の状況について考えていきたい。
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先日、とある不登校当事者向けの書籍で、学校復帰を目指した支援や認知行動療法に基づく支援はもう古い、学校がすべてではないからそれぞれに合った選択肢を選びとろうといった趣旨の一節に出会った。学校復帰と学校以外の選択肢を選ぶことを二項対立の関係に置き、前者を過去のものとする書きぶりであった。こうした風潮があることは、文部科学省が2023年11月17日に、「学校に戻ることを前提としない方針を打ち出した」等と過去の通知について誤解が生じている、という内容の通知を出したことに裏付けられる。
近年、文部科学省は、社会的自立が不登校支援の第一の目標であり、学校復帰については希望したときにそれがかなうように普段からなにかしらの個別支援を提供することが重要という方針を打ち出している。最近でいえば、2023年3月に打ち出された「誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策」(COCOLOプラン)においては、①不登校の子どもに対して学校・教室以外の学びの場を確保すること、②心のSOSの早期発見・支援、③学校をみんなが安心して学べる場所にすることの3点が中心的な方針と位置づけられている。一見すると、未然防止、早期発見・対応、事後対応の3点をそろえているように見えるが、細かく見ていくと、事後対応のなかに居住地域の学校や所属学級への復帰に向けた支援は明示されていない。こうした方針が示されつづけるなかで、学校・学級復帰を目標とすることは古いといった認識が広まることは必然のようにも思われる。では、学校・学級復帰を目標とする支援を過去のものとしてよいのだろうか?
学校・学級以外のさまざまな選択肢が重要であるという不登校支援方針のもと、学びの多様化学校(不登校特例校)、校内教育支援センター(スペシャルサポートルーム)、教育支援センター(適応指導教室)、フリースクール、ICTを活用した学校外での学びが選択肢として用意され、拡充されつつある。そうした選択肢は、子どもの教育を受ける権利保障のためのセーフティネットを強固にするために欠かせない存在である。
他方で、不登校状態となった子どもが居住地域の学校、とりわけ所属する学級を選択肢とすることが可能な状態にできているだろうか。子どもの望むかたちで権利保障をすることを考えると、「学校をみんなが安心して学べる場所にする」という予防的な意味で学校を選択肢にするための取り組みだけでなく、不登校となったあとに学校・学級をふたたび選択肢にするための支援の方法論も求められるのではないか。
そうでなければ、子どもの前に物理的に学校・学級が存在していたとしても、そこに通うという選択肢が実質的に存在しない、すなわち、他の選択肢を選ぶことを余儀なくされる状況が生じうる。居住地域、家庭の経済的な状況など場合によっては、学校・学級という選択肢が消えると実質的な選択肢が何もなくなるということもあるだろう。都市部のような、なんにでもアクセスしやすい環境で暮らしている子どもばかりではないし、子どもの教育のために毎月一定額を支出できる家庭ばかりでもない。
そして、さまざまなことを自己責任化するこの社会のなかでは、意思なき選択や不本意な選択、実質的な選択肢の不在後になにかしらの生活上の困難が生じたり、社会的に弱い立場におかれたりしても、それは特定の選択肢を選んだ、あるいは、どれも選ばなかった本人の意思であり責任であると、個人の問題に矮小化されかねない。
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とはいっても、学校・学級復帰のための方法論が普及しさえすれば、子どもたちが学校・学級を選択肢にできるかというと、そんな簡単な話ではない。それは、学校・学級のありようが不登校の発生に関係しているからである。
不登校は環境によってはだれにでも起こりうるものであり、不登校というだけで問題行動と判断してはならないというとらえ方が、2016年、不登校に関する調査研究協力者会議の最終報告において示された。その後、2022年に改訂された生徒指導提要においても同様の記述が見られるなど、こうしたとらえ方は支持されている。たしかにだれでも不登校になる可能性はあるが、等しくその確率が存在するわけではない。その確率が高くなりやすいのは、障害があったり、セクシュアル・マイノリティであったり、外国にルーツがあるなど特定の属性の子どもたちや、貧困といった環境におかれる子どもたちである。学校には特定の子どもたち、すなわち、マイノリティの子どもたちを排除する構造があるのである。これは、マジョリティの子どもを想定してカリキュラムや物理的環境が構成されていることが多いといった構造の問題であるため、一人ひとりの教職員の意図云々といった次元の話ではない。
不登校について考えるとき、「学校からこぼれている子どもたち」にスポットライトをあてることが多いが、「特定の子どもたちをこぼし続けている学校」にあてることも忘れてはならない。そうした眼差しで不登校を問うための補助線として、障害の社会モデルが活用できる。障害の社会モデルとは、障害は社会的障壁によって生じるものであり、社会には社会的障壁をとり除く責任があるという考え方である。
不登校は、子どもの心の問題、家庭の養育のあり方の問題など個人的な問題ととらえられやすい。当然、目の前の子どもたちを支援するという水準で考えれば、子どもの心のSOSに対応していくアプローチは必要であるし、また、子どもや家庭への心理的支援で学校・学級復帰に至るケースも存在する。しかし、そうした必要性やケースが存在することをもって、不登校は個人的問題であると結論づけることはできないし、学校・学級のありようを不問にしてよいということにはならない。
では、はたして、現在の不登校支援の方針は、学校・学級のありようを問うものになっているといえるのだろうか?
「学校・学級以外の場所で学ぶことは子どもたちにとっての選択肢」という説明は、ポジティブな印象をもって受けとられやすい。しかし、それ単体ではこれまで学校がマイノリティの子どもたちを排除してきたことに光をあてるものにはならないし、「子どもたちがその選択肢を選んだのだ」と、排除を正当化する機能を果たしてしまう可能性も孕む。また、「みんなが安心して学べる学校環境」を実現するというスローガンも、反対しにくい響きがある。その実現方法のひとつとして、学校を「障害や国籍言語等の違いに関わらず、色々な個性や意見を認め合う共生社会を学ぶ場」にするという項目が立てられているから、なおさらだ。しかし、これまでだれにとって学校が安心して学べる場となっていなかったのか、言い換えれば、どのような社会的障壁が特定の子どもたちの前に立ちはだかっていたのかということを認識しなければ、とり除く障壁を見つけられなかったり、見つけた障壁の影響を小さく見積もったりしてしまうことになる。
通りのよい言葉に覆い隠されるようにして、学校・学級のありようが不問に付されつづければ、そこに「なじめない」とされる子どもたちは他の機会で学ぶということが定石となり、学校・学級はそこに「なじめる」子どもたちだけが集まる均質化した空間となっていくだろう。すでに身近にあったはずの多様さが漂白された空間で、どこか遠くにいる存在としてさまざまな違いをもつ他者と共生することを「目指すべき姿」として学ぶことの恐ろしさは、なんと形容したらよいのだろうか。また、「なじめる」子どもたちだけが集まる空間で学校風土を調査すると、必然的に過去の結果よりも「改善」されたデータが示されやすいということも、恐ろしさをさらに引き上げる。
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不登校、とりわけ学校内外での支援につながっていない子どもたちが多い状況において、「学校からこぼれている子どもたち」にスポットライトがあてられることは必然ともいえる。とくに支援者の立場に身をおけば、目の前の子どもの苦悩が減ったり、子どもが望む方向に進んだりできるようサポートすることが役割として求められるため、そうした眼差しの必要性が高まる。だからといって、それと「特定の子どもたちをこぼし続けている学校」にスポットライトをあてることが両立不可能ということではないだろう。よかれとの思いでおこなったことでも、無自覚のうちに、特定の子どもたちが苦境を強いられる状況を維持・強化してしまうことがある。排除に加担しないためにはどうしたらよいのか、排除の構造を変えるために何ができるのか、立場や分野を越えて議論を重ねていきたい。
■ブックガイド──その先を知りたい人へ
保坂亨『学校を長期欠席する子ども達――不登校・ネグレクトから学校教育と児童福祉の連携を考える』明石書店、2019年.
桜井智恵子『教育は社会をどう変えたのか――個人化をもたらすリベラリズムの暴力』明石書店、2021年.
飯野由里子、星加良司、西倉実季『「社会」を扱う新たなモード――「障害の社会モデル」の使い方』生活書院、2022年.
*編集部注──この記事についてのご意見・感想をお寄せください。執筆者にお届けします(下にコメント欄があります。なお、コメントは外部に表示されません)
江角周子(えすみ・しゅうこ)
東京学芸大学教育学部教育心理学講座 講師。筑波大学大学院3年制博士課程人間総合科学研究科ヒューマン・ケア科学専攻修了。博士(教育学)。専門分野:教育心理学、学校心理学、生徒指導・教育相談。
主要著作:
『最新教育キーワード:165のキーワードで押さえる教育』共著、時事通信社、2024年
『新・社会福祉士シリーズ2:心理学と心理的支援』共著、弘文堂、2022年
「不登校支援をめぐって『校内適応指導教室』が果たす機能──文献・行政資料による検討」単著、『日本学校心理士会年報』第14号、2022年