他人と生きるための社会学キーワード|第5回(第4期)|個人化と健康──「健康によい行動」の功と罪|反橋一憲
個人化と健康
「健康によい行動」の功と罪
反橋一憲
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は2019年に発生が確認され、2020年には日本はもとより世界的に大流行した。新型コロナウイルス感染症を機に、健康のありがたさを感じた人びとも多いのではないか。
ところで、感染症に限らず生活習慣病などの疾病や、ケガを予防して健康を維持するには、各個人が日常生活で気をつかうことが重要だとされている。栄養バランスのとれた食事、適度な休息・睡眠、適度な運動、手洗いの励行など、気をつけるべき点を挙げていけば限りがないが、基本的には規則正しい生活を送るということが健康の維持には欠かせないと考えられているはずである。そして、そのような生活を送ることは各個人の責任とされている。裏を返せば、規則正しい生活を送ることができず、その結果、病気やケガを招いてしまった場合は、各個人が健康管理を怠ったとして責められることになる。
だが、健康を維持するということは本当に各個人の利益のためだけに求められているのだろうか。この記事では、健康によい行動というものが、各個人の健康を目的とするだけではなく、社会集団の利害も反映されていないかと問いかけてみたいのである。
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「メタボ」という略語で知られる「メタボリックシンドローム」は、腹囲(ウエストサイズ)や血圧、血糖、脂質をもとに判定され、生活習慣病のリスクが高い状態とされる。40歳から74歳を対象に、メタボリックシンドロームに着目した特定健診が実施され、健康の保持に努める必要があると認められると、特定保健指導の対象となる。もちろん、各個人が生活習慣病を予防して健康に過ごせる点で、特定健診・特定保健指導には意義がある。だが、特定健診・特定保健指導には「中長期的な医療費の増加の抑制」という目的もある(厚生労働省「特定健診・保健指導の医療費適正化効果等の検証のためのワーキンググループ最終取りまとめ」)。医療費は個人の負担分もあるが、健康保険の適用により国からも賄われている。したがって、医療費を抑制できれば、国の支出を削減することにもなり、国の財政に好影響を与える。そうだとすれば、生活習慣病の予防は、国の財政という社会集団の利害を反映しているといえる。
さらに、2023年11月27日に厚生労働省で「第3回 健康づくりのための身体活動基準・指針の改訂に関する検討会」が開催され、「健康づくりのための身体活動・運動ガイド 2023(案)」が示された。この案では「身体活動・運動の不足」が死亡に対する危険因子であることから、「健康寿命の延伸」を目指し「筋力トレーニングを週2~3日行うことを推奨する」などの推奨事項が記載された。健康に長生きするため筋トレをしたほうがよいと考える人は少なくないだろう。しかし、なぜ健康寿命を延ばす必要があるのか。やや斜に構えた見方かもしれないが、各自が筋トレをして健康を維持することができれば、身体活動・運動の不足によって生じる疾病を治療するための医療費を削減することも可能である。やはり、国の財政に好影響をもたらすことになる。このように、各個人が健康を維持しようと努めることで、社会集団にもよい結果をもたらす側面もあるのではないか。
健康によい行動には社会集団の利害もからんでいる。それなのに、健康を維持することは個人の責務とされる。メタボ予防は人びとの責務とされ、予防に取り組んでいないと健康管理を怠っていると指導される。もし筋トレも「推奨」事項になれば、人びとは何かに追われるかのように筋トレに勤しむ。そして、筋トレをしていない人には「自身の健康を維持することすら怠っている」という冷ややかな視線が集まるのではないか。
このような状況は、リスク論で有名なドイツの社会学者ウルリッヒ・ベック(1944-2015)による個人化の議論を想起させる。ベックによる個人化の議論を筆者なりにまとめると、次のようになる。人びとは自分独自の人生を送ることを半ば強迫的に求められているが、自分独自の人生を選択するときには、自身の利害と社会の利害が混じりあっている。しかし、選択に伴って生じる責任は、あくまでも個人にしか帰せられない。
メタボ予防や筋トレの選択も、各個人が独自に判断することになる。しかし、その選択対象となる行動の背後には、社会集団の利害が存在する。それにもかかわらず、健康によい行動は表向き、個人の健康によい行動として示され、選択の結果も個人の責任によるものとしかみなされない。個人の責任になる分、健康によい行動を選択しないと健康に気づかっていないという周囲からの非難さえ集めかねない。
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健康の責任が個人に帰せられてプレッシャーとなり、かえって健康が阻害される例がある。イギリスの教育社会学者ジョン・エバンス(John Evans)ほかによる“Education, Disordered Eating and Obesity Discourse: Fat Fabrications”(Routledge 2008) は、科学的な根拠で健康によい行動を示す「健康言説」によって、人びとが自身の健康管理へと駆り立てられているようすをあぶり出している。エバンスほかは、肥満が健康問題として取り上げられるようになることで、自身の体型を気にしてダイエットに取り組むあまり、摂食障害に苦しむ若い女性にインタビューをしている。そこには、周囲の目を気にするあまり、ダイエットに励まざるをえなくなる状況が記されている。筆者の知るかぎり、この著作には日本語訳がないので、日本ではあまり知られていないかもしれない。だが、この著作からは、自身の健康を管理することが半ば強制されることで、かえって健康を阻害するような状況さえも生じるという結末をうかがい知ることができる。
先に挙げた筋トレも同様である。自身の健康を管理するために筋トレが半ば周囲から強制的に求められる状況になりつつある。筋トレには適度な休息(間隔)が必要である。筋肉はトレーニングで負荷をかけられることでダメージを受けるが、適度に間隔を開けると、トレーニングまえよりも筋力が発達した状態で回復する(これを超回復という)。しかし、間隔を開けずに筋トレをやりすぎると、筋力は発達するどころか回復さえせず、ケガをする可能性もある。周囲から筋トレを勧められるあまり、健康のためを思ってがむしゃらに筋トレに取り組んでしまい、かえって健康を害する状況が生じかねないのである。
さらに、「妊活」もプレッシャーを与えることになる。たとえば、不妊治療である。不妊治療は子どもが授からなかった夫妻にとって希望の光だろう。2022年4月より健康保険が適用されるようになり、不妊治療へのハードルは下がっているといえる。しかし、治療を受けやすくなったからこそ、子どもをあきらめられなくなっている側面もあるのではないか。人びと(とくに女性)は不妊治療の恩恵にあずかれる分、産むことを強制されるようになる。不妊治療を受けているにもかかわらず、なかなか妊娠・出産に至らなければ、焦りも生じてしまうだろう。治療を受けている当事者にとって、家族・親戚をはじめとした周囲からの「まだ子どもができないのね」といった言葉の重みは察するに余りある。
不妊治療をはじめ生殖医療の発達は、人びとに妊娠・出産への希望をかきたてる。しかし、生殖医療の発達で人口に膾炙した「妊活」は、人びとを妊娠・出産へと追いつめているといえる。そもそも、不妊治療の保険適用は少子化対策の一環でもある。したがって、出生数を増やしたいという国の利害のために、個人の妊娠・出産への希望がかきたてられているのである。しかも、精神的なプレッシャーから健康が損なわれる事態もありうる。
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新型コロナウイルス感染症は、健康をめぐる人びとの考え方に一石を投じた。新型コロナウイルス感染症の感染拡大を防止するために、マスク着用やワクチン接種が推奨された。マスク着用やワクチン接種の判断は任意で、各自の意思決定に委ねられるともされた。しかし、感染の拡大を防止するという社会集団の利害が反映され、マスク着用やワクチン接種が強く推奨されてきた。あくまでも個人の「自由な」「主体的な」意思に委ねられるはずが、実際はどこか強制されるかのように感じられた。しかも、ときにマスク着用やワクチン接種を選択しない人びとが、奇異な目で見られたこともあったのではないか。
新型コロナウイルス感染症は、健康をめぐる社会集団の利害と個人の権利との緊張関係をわれわれに提示した。新型コロナウイルス感染症については、感染拡大の防止という社会集団の利害が前面に出た。それだけに、健康の維持が個人の利益だけではなく社会集団の利害にもつながることを、あるいは社会集団の利害のために個人の権利が制限されてしまう事態を知る機会になった。しかし、そうでもなければ、健康によい行動が社会集団の利害を反映しているということを知る機会は得難かったのではないか。
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ただし、筆者は健康によい行動をとること自体に反対するわけではない。メタボ予防、筋トレ、妊活、マスク着用・ワクチン接種にそれぞれ意義があることは承知している(筆者は勤務先のトレーニングルームで学生に交じって筋トレに励んでいるぐらいである)。もちろん、健康によい行動の選択も各自の判断に委ねられるべきであると考えている。
この記事で伝えたいのは、各個人が自身の健康を維持しようとして選択しようとする健康によい行動が、じつは社会の利害を反映したものになっていないか、自覚的になるべきということである。そして、健康によい行動を他人に半ば強制的に求めて他人の権利を侵していないか、顧みるべきであるということである。さらに、健康によい行動を盲目的に選択するのではなく、自身の頭で批判的に考えるべきだということである。
そもそも人びとは、健康によい行動を疑いにくいといえる。健康によい行動は科学的な根拠を有して示される。「筋トレで寝たきりを予防できる」「35歳を過ぎた妊娠・出産はリスクが高い」などのように、科学的な裏付けを有する情報が人びとを信頼させ、健康によい行動を実践させる。科学的な裏付けには権威性があり、人びとはあまり批判的にならなくなるのではないか。
健康によいとされる行動について、自身がその行動を本当に必要としているのか。必要としているとすれば、具体的にどのような行動をとればよいのか。あるいはその行動を選択することで生じる弊害はないのか。われわれはこのような問いを、周囲からの情報に流されることなく、自身の頭で批判的に考えることが求められている。「ケガや病気で苦しみたくない」「長生きしたい」のように、健康が素朴でありながら根本的(あるいは本能的)な動機になるからこそ、われわれは健康に対して自覚的・批判的になるべきである。
■ブックガイド──その先を知りたい人へ
ウルリッヒ・ベック、エリザベート・ベック=ゲルンスハイム『個人化の社会学』中村好孝ほか訳、ミネルヴァ書房、2022年.
天童睦子・加藤美帆「子どもという願望と再生産のポリティクス」天童睦子編『育児言説の社会学──家族・ジェンダー・再生産』世界思想社、2016年.
*編集部注──この記事についてのご意見・感想をお寄せください。執筆者にお届けします(下にコメント欄があります。なお、コメントは外部に表示されません)
反橋一憲(そりはし・かずのり)
愛知淑徳大学ダイバーシティ共生センター助教。早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程退学。専門分野:教育社会学、ジェンダー論、性教育、保健科教育。
主要著作:
『[新訂第2版]教育課程論』(分担執筆)教育開発研究所、2024年
「学校における性教育がもたらす効果の検証」『人間生活文化研究』34号、2024年
「若者の性の問題化の構造」『ジェンダー研究』お茶の水女子大学ジェンダー研究所年報24号、2021年
「戦後の小・中・高等学校保健体育科における性に関する教育内容の変遷」『保健科教育研究』5巻1号、2020年