他人と生きるための社会学キーワード|第7回(第4期)|教科書内容の模倣的同型化──学習用語が増えるメカニズムとその意味 |小原明恵

リレー連載 他人と生きるための社会学キーワード 毎号、ひとつのキーワードから「問題を考えつづける」ための視点を伝えます。社会学者から若い人へのメッセージ

毎回、ひとつのキーワードから「問題を考えつづける」ための視点を伝えます。社会学者から若い人へのメッセージ。

これまでのキーワード一覧

教科書内容の模倣的同型化
学習用語が増えるメカニズムとその意味

小原明恵

 みなさんは、高校の公民科の「公共」「政治・経済」「現代社会」「倫理・社会」などで、どのようなことを学習してきただろうか。憲法や国会、内閣、裁判所、市場における需要と供給のバランスや財政政策についての学習があったことは記憶している人も多いだろうか。若い人であれば、法教育や金融教育について学習したという人もいるだろう。条例の制定の請求に必要な署名数は有権者の50分の1という数字がテストに出た、基本的人権に関する裁判例の詳細を覚えたという人もいるかもしれない。反対に、そのような細かな事項を覚えることはなかった(あるいは忘れてしまった)という人もいるだろう。

 高校の公民科の目標には細かい文言の変更はあるものの、「平和で民主的な国家及び社会の有為な形成者に必要な公民としての資質・能力」(2018年告示高等学校学習指導要領)を育成するという内容が、過去の学習指導要領から変わらず一貫して存在する。ただし、そのような公民としての資質・能力を育成する手段としての学習内容は、その時々で変動してきた。私たち一人ひとりにとっては、それぞれの人が経験した学習内容が政治や経済などの世の中のしくみに関する学習事項だったのであるが、じつはその内容はそのときに選びとられたものであり、変化している。学習内容はどのように変化しており、その変化は「公民」の育成を目標とした教科にとってどのような意味をもつだろうか。

 このことを、高校の公民科の「現代社会」(ここから先は現社と呼ぶ)という科目の、教科書に掲載された学習用語という切り口から考えてみたい。

*     *     *

 現社とは、1978年に告示された学習指導要領で高校の社会科に新設され、2018年告示学習指導要領で同じ公民科に新科目「公共」が設置されたことに伴い廃止された科目である。この科目は、新設時には、それまでの社会科の学習を知識中心の学習であったと反省し、「思考力」の育成を重視する教育への転換をめざすことを理念としていた。暗記の対象となるような学習内容は少なくしようという意図のもとで始まったのである。1998・99年告示学習指導要領は内容の精選の方針を掲げ、「ゆとり教育」の実質を用意したといわれる。この学習指導要領において、現社は単位数を4単位から2単位に減らした一方、生徒が主体的に課題を追究する学習を新たに設け、知識中心の学習から距離をおこうとした。

 ところが、1990年代後半から日本の子どもの学力が低下しているのではないかという「学力低下」論争が起こり、2002年に文部科学省は「確かな学力向上のための2002アピール『学びのすすめ』」を示して「脱ゆとり教育」へと舵を切り、学習指導要領が示していない発展的な学習を行うことを認めた。このように国の方針は、知識中心の学習から距離をとる教育から、知識学習の強度を保った教育をめざすように変化してきた。その一方で、現社では「思考力」を育成するという理念は重視されつづけた(「思考力」がどのような論理のもとで重視されていたかについては、本連載の「『公共』と『現代社会』──どのような『思考力』を育てようとしているか」をご覧いただきたい)。この政策転換を背景に、現社の教科書の内容はどのように変化したのだろうか。

 筆者は、東京書籍、第一学習社、実教出版という3つの教科書会社が、2003・2007・2013年度に発行した現社の教科書を調査した。この3社は1999年度以降、現社教科書の採択占有率のトップ3であり続けた会社である。東京書籍はB5判の教科書を1種類、第一学習社と実教出版はA5判とB5判の教科書を1種類ずつ計2種類発行しており、調査対象の教科書は計15冊である。2003年度発行の教科書は1999年告示学習指導要領に準拠した「ゆとり教育」期の教科書であり、2007・2013年度発行の教科書は政策が「脱ゆとり教育」に転換したあとに作られた教科書である。分析結果としては、まず、2003年度から2013年度のあいだでの教科書のページ数の変化を確認する。つぎに、現社教科書のなかでページ数がもっとも多く割り当てられるようになった、憲法や政治機構について学習する「政治分野」に焦点を絞り、この分野に掲載された学習用語の数の推移を見る。さらに、各教科書に新規掲載された用語の特徴を他社教科書との共通性という観点から明らかにし、学習用語がどのようなメカニズムで変動するのかを論じ、最後に教科書間の用語の共通性の変化に言及する。

 まず、教科書のページ数について見る。2003年度発行のA5判教科書の平均ページ数は272ページ、B5判教科書の平均ページ数は180ページであったのに対し、2013年度発行のA5判教科書の平均ページ数は306ページ、B5判教科書の平均ページ数は211.7ページと、ページ数は15%程度増えた。

 つぎに、教科書の「政治分野」に掲載された学習用語の数を見る。2003年度発行教科書の用語数は平均891.4語であった。「脱ゆとり教育」への転換後に作られた2007年度教科書では平均1033.6語であり、同じ学習指導要領に準拠しているにもかかわらず、2003年度教科書より140語以上増えた。2013年度教科書では学習指導要領が法教育の内容を新たに追加したこともあり、平均1226.2語とさらに増えた。政策が「ゆとり教育」から「脱ゆとり教育」へと転換したことを受けて、教科書全体のページ数が増え、教科書のなかでも多くのページを割り当てられる傾向があった「政治分野」の学習用語数は増えたことがわかった。

 用語数が増えるということは、新規掲載用語があるということを意味する。どのような用語を新規掲載しているのかを明らかにするために、各教科書の「政治分野」における新規掲載用語を、他社教科書との共通性という観点で分析した。その結果、新規掲載用語の50~75%程度が、教科書改訂前に他社教科書がすでに掲載していた用語であった。一方、教科書改訂でその教科書のみが掲載した独自性の高い新規掲載用語は10~30%程度であった。つまり、新規掲載用語はその教科書が独自に掲載する用語よりも、他社の教科書にすでに掲載されていた用語が多いのである。教科書同士の用語の共通性を分析したところ、どの教科書同士でも用語の共通性の指標の値が高まっていった。他社教科書にすでに掲載されている用語を自社教科書に取り入れるという慣行が継続したことにより、教科書間で学習内容が画一化していったのである。

 今回の調査では教科書会社の意図や行為まではわからないが、もし教科書会社がすでに発行されている他社教科書を参考にし、自社教科書が掲載してこなかった用語を新規掲載していたとすれば、その現象はアメリカの社会学者であるポール・ディマジオとウォルター・パウエルが作った「模倣的同型化」という概念で説明できる。「模倣的同型化」とは、今回の事例を用いて説明するならば、教科書会社が業界で成功していると思える他社の教科書を真似することによって教科書の同質性を高めていくことである。教科書会社にとってみれば、学習指導要領を読み込んでも、どの用語を教科書に掲載すればよいかは曖昧であり、教師や高校生がどの用語の掲載を求めているかもわからないことが多い。そのように不確実性が高い場合に、成功している他社の真似が生じやすくなるといわれている。模倣的同型化というメカニズムのもとでは、教科書会社はその用語に関する内容が現社の学習にとって重要であるから掲載しているというよりも、他社教科書が載せているから掲載しているのである。

 教科書に掲載される用語の共通性が高まることは、共通して掲載される用語に関する内容を現社の必須の学習事項とする土壌を用意することにつながるだろう。もし必須の学習事項が学校現場で暗記の対象とされた場合は、現社は知識中心の学習の傾向を強めたといえる。では、もし必須の学習事項が学校現場で暗記の対象とされず、「思考力」を育成するための素材として使われた場合はどうだろうか。教科書間で用語の共通性が高まっているということは、生徒は使っている教科書によらず類似した情報をもとに考えるように仕向けられているということを意味する。教科書は生徒に自由に考えることをうながしているのではなく、生徒の考えるプロセスを統制していると解釈できる。よって、教科書に掲載される用語の共通性が高まることは、知識中心の学習の傾向を強めるか、もしくは、生徒にお決まりの情報をもとに考えさせる学習が広まっていくことにつながるだろう。

 「ゆとり教育」から「脱ゆとり教育」への転換後、学習内容が増え、教科書のページ数が増えたことは、重すぎるランドセルが身体に悪影響を与えることが社会問題化するといったかたちで知られてきた。しかし、教科書がどのようなメカニズムで学習内容を増やしていき、そのメカニズムによる増え方が学習にとってどのような意味をもつのかについては、十分に語られてこなかったように思う。公民科は「平和で民主的な国家及び社会の有為な形成者に必要な公民としての資質・能力」の育成を目標にしてきたと、冒頭で触れた。現社は「思考力」の育成を重視しつづけた科目であったことも説明した。しかし、現社の教科書においては模倣的同型化と考えられるメカニズムによって用語が増加・画一化しており、このことは知識中心の学習を強化するか、生徒がどの教科書を使っていても同じ情報をもとに考えるように統制されていることを意味するだろうと論じた。

 みなさんのなかには、教科書の内容が似てくることは、使っている教科書によって大学入試で解けない問題が出てくる不公平を防ぐことができるからよいと考える人もいるかもしれない。たしかに、現状の試験制度を変えられない条件とするならば、そのような考え方にも一理あると思う。しかし、それは教科書の内容が試験制度に従属して構成されることを是認することになるが、いま一度立ち止まって考えてみる必要はないだろうか。類似した内容の提示によって、一元的な競争が可能になる一方、多元的な思考は抑制される。このような教科書が用意する学習環境は、「思考力」をもつ市民の育成には不十分ではないかと、筆者は考える。


■ブックガイド──その先を知りたい人へ
佐藤公「学習指導要領の変遷にみる『公民的資質』──社会科の『目標』としての確立を中心に」唐木清志編著『「公民的資質」とは何か──社会科の過去・現在・未来を探る』東洋館出版社、2016年、pp.13-23.
岡本智周『共生社会とナショナルヒストリー──歴史教科書の視点から』勁草書房、2013年.
佐藤郁哉・山田真茂留『制度と文化──組織を動かす見えない力』日本経済出版社、2004年.

*編集部注──この記事についてのご意見・感想をお寄せください。執筆者にお届けします(下にコメント欄があります。なお、コメントは外部に表示されません)

 

小原明恵(こばる・あきえ)
筑波大学図書館情報メディア系助教。専門分野:教育社会学、公民科の教科書研究。
主要著作:
「教科書会社の意思決定が教科書のページ分量に与える影響──高等学校『現代社会』教科書における『政治・経済』分野の重点化を事例として」単著、『日本高校教育学会年報』第23号、2016年
「現代女子大学の自己認識に関する一試論──学長メッセージの内容分析」共著、『名古屋高等教育研究』第17号、2017年
「論争的問題を扱う探究学習に関する学校知識の構造──高校教科書における原子力発電に関する記述の内容分析」単著、『社会学年誌』第63号、2022年

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です