他人と生きるための社会学キーワード|第8回(第4期)|児童虐待と「子どもを守る」──拡張する概念のゆくえ|桜井淳平

リレー連載 他人と生きるための社会学キーワード 毎号、ひとつのキーワードから「問題を考えつづける」ための視点を伝えます。社会学者から若い人へのメッセージ

毎回、ひとつのキーワードから「問題を考えつづける」ための視点を伝えます。社会学者から若い人へのメッセージ。

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児童虐待と「子どもを守る」
拡張する概念のゆくえ

桜井淳平

 「子どもを守る」ことにかかわるある条例案が物議を醸したことを覚えているだろうか。そう、「留守番も虐待」で話題となった埼玉県虐待禁止条例である。この条例の改正案は、保護者が子どもを「放置」する行為を広く禁止することを目指し、車内に放置することだけでなく、一人だけで留守番、一人だけで登下校など、子どもを「一人にする」ことを徹底して虐待とみなした。これに対しては、子育ての現実からあまりに乖離しているとして大きな批判が向けられ、その結果、本会議での採決前に取り下げられるという異例の結末をたどった。この顛末を、地方議会の暴走によって生まれかけたひとつの「トンデモ」条例とだけ見てしまうと、社会の動きをとらえそこなう。この騒動は何を示しているだろうか。

 そもそも児童虐待とは、というところから確認しよう。児童虐待防止法には以下のように書かれている(下線は引用者)

第二条 この法律において、「児童虐待」とは、保護者(親権を行う者、未成年後見人その他の者で、児童を現に監護するものをいう。以下同じ。)がその監護する児童(十八歳に満たない者をいう。以下同じ。)について行う次に掲げる行為をいう。

一 児童の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること。

二 児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること。

三 児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置、保護者以外の同居人による前二号又は次号に掲げる行為と同様の行為の放置その他の保護者としての監護を著しく怠ること。

四 児童に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応、児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力(配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの及びこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動をいう。)その他の児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。

 このように児童虐待は4つに分類された行為と定義され、上から、身体的虐待、性的虐待、ネグレクト、心理的虐待と呼ばれる。ここで、とりわけ注目しておきたいのが、ネグレクトと心理的虐待である。被害が見えやすく、判断基準がわかりやすい身体的虐待とは異なり、ネグレクトの「長時間の放置」とは、いったいどこからを指すのだろうか? 心理的虐待における「著しい暴言」とはどの程度? こうして問うてみると、児童虐待とはあいまいでつかみどころのない概念である。

 それは、「虐待である/ではない」のボーダーラインが動きつづけることを意味している。ネグレクトの定義には、保護者以外の同居人による虐待を放置することが含まれているが、これは2004年の法改正で新たに追加されたものである。また、心理的虐待に含まれる、児童の目の前で配偶者に暴力を振るうことも、同じく法改正で追加された。そう、児童虐待は次第に多くを含みこみ、その範囲を広げてきたのである。

 社会学のひとつの立場に、「社会問題の構築主義」というものがある。現存する社会問題をはじめから客観的に存在するととらえるのではなく、社会成員によってそれが「問題だ!」と定義され、訴えられる(これを「クレイム申し立て活動」と呼ぶ)過程で作られていくものととらえる考え方である。クレイムを申し立てるのは、社会運動家ということもあるし、マスメディアも大きな役割を果たす。わたしたちはいま眼前にある社会問題について、昔から存在し、対処しようとしてきたと思いがちだが、じつはそうではないケースも多い。この立場は、そのことに気づき、考えるのに好都合である。

 社会問題の構築主義を牽引する社会学者に、ジョエル・ベストがいる。そのベストが提起した「ドメイン拡張(domain expansion)」という概念はまさに、先ほどの児童虐待の範囲の広がりを鋭く言い表すものとなっている。ベストの『Threatened Children(脅かされる子ども)』という本によると、1960年代、アメリカに「児童虐待」という概念はなく、子どもへの殴打が「被虐待児症候群」と呼ばれていた。70年代にはより一般的な「児童虐待」が使われるようになり、精神的・栄養的・性的な側面も包含されるようになったが、加えて、この概念が訴求力をもつものとなったため、新たに多くの事柄を追加しようとする動きも生じた。副流煙、暴力的な歌詞のロック音楽、割礼(かつれい)(赤ちゃんの性器の一部を外科的に切除する儀式)なども虐待であると──。つまり、ある概念が生まれてよく知られるようになると、そのパッケージを使って追加のクレイムが生みだされ、だんだんと概念が拡張されていく──これが「ドメイン拡張」である。

 日本で児童虐待が社会問題化した過程にも、この側面が含まれていたといえそうである。そして、件の条例改正案も、児童虐待に新しい事柄を追加する申し立てだったとみることができるが、これが市井の感覚とズレてしまった。

 なぜズレてしまったのだろうか? 地方議会のジェンダー不均衡(男性政治)が原因だという分析もよくなされていたが、今回はちょっと違う角度から迫ってみたい。この改正案では、虐待の被害者を生まない(=子どもを守る)ことを意識しすぎるあまり、逆に、虐待の加害者(=保護者)の立場への想像を欠いてしまった。こうとらえ返してみると、この社会が、さまざまな危険から「子どもを守る」ことへの感度を高めてきたことがかかわっているのではないか、という仮説が浮上した。

 試みに、新聞記事を使って確かめてみよう。「(なんらかの危険から)子どもを守る」ことに関係する記事は、どのくらい出されてきたか。データベースで検索が可能な1985年から、2010年代までの範囲で朝日新聞を調べてみると、434記事がヒットした(最初の記事は1992年)。どんな危険から守ることに関する記事かで分類し、数え上げたものが表1である。

 2005年の末、およそ10日のあいだに、下校中の女児が誘拐・殺害される事件が連続してしまった。朝日新聞はこれを機に、関連記事に『子どもを守る』という統一の標題をつけるようになり、「子どもを守る」(ほぼイコール「犯罪から守る」)のクレイム申し立て活動が展開された。記事は2005年12月だけで140を数え、1か月の記事数では突出している。そこで、2005年末に「子どもを守る」は社会問題化したととらえ、それまでを「プレ期」、以降を「ポスト期」として区分した。

 「犯罪被害」は共通してずぬけているが、注目してほしいのは、それ以外の記事数の増加である。ポスト期にはさまざまな危険が扱われるようになったことがわかる。「子どもを守る いじめから」(2006年10月〜)、児童虐待が主題の「欧州の安心 子どもを守る」(2009年8月〜)など、連載記事も積極的に組まれた。児童虐待等にかかわる記事はポスト期に11を数え、プレ期から増加した。

表1 「子どもを守る」を見出しに冠する新聞記事

「朝⽇新聞クロスサーチ」を⽤いて「⼦(を)守る」「⼦供(を)守る」「⼦ども(を)守る」の語句で検索、ヒットした記事の内容を確認し、無関係の記事は除外した。また、検索対象は「⾒出し」のみ、本紙のみとした。

 これはまさに、「子どもを守る」の「ドメイン拡張」である。「子どもを守る」という枠組みが構築され、人びとのあいだに浸透したことで、つぎにさまざまな危険を訴える基盤となったと考えられる。強力なパッケージを活用して「子どもが守られていない問題」として位置づけられることは、たんに問題化する以上の訴求効果をもつ。

 児童虐待に話を戻そう。このことはたんに、児童虐待が「子どもを守る」のテーマ群の仲間入りを果たした、ということだけを意味しない。児童虐待についてわたしたちが考えるさいの構えとして、「子どもを守る」というフレームが加わり、優勢となっていったということである。このフレームの特徴は、「被害を防ぐ」ことへの関心を極大化させる一方で、「加害を防ぐ」ことへの関心を極小化させるところにある。件の条例改正案が加害者(=保護者)への想像を欠いてしまった背景には、児童虐待をめぐるこうした変化があるのではないだろうか。

 児童虐待と「子どもを守る」──2つの概念は拡張し、出会うこととなった。そして行き着いた先が、「留守番も虐待」だったのである。社会問題の構築主義の効用のひとつに、社会問題化する過程で失われたもの(語られづらくなったもの)への気づきが得られる、という点がある。児童虐待と向き合うわたしたちは、「子どもを守る」を前面に意識するあまり、加害者(=保護者)への想像力を失っていないか。「トンデモ」条例だったと記憶から消すまえに、ゆるやかに、かつ確実に変わってきた社会について、反省的なまなざしをもっておきたい。


■ブックガイド──その先を知りたい人へ
ジョエル・ベスト『社会問題とは何か──なぜ、どのように生じ、なくなるのか?』赤川学監訳、筑摩書房、2020年
内田良『「児童虐待」へのまなざし──社会現象はどう語られるのか』世界思想社、2009年
上野加代子『虐待リスク──構築される子育て標準家族』生活書院、2022年

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桜井淳平(さくらい・じゅんぺい)
流通経済大学共創社会学部准教授。筑波大学大学院3年制博士課程人間総合科学研究科ヒューマン・ケア科学専攻単位取得満期退学。博士(教育学)。専門分野:教育社会学、子ども社会学。
主要著作:
『日本の教育を捉える──現状と展望』共著、学文社、2019年
『教育社会学』共著、ミネルヴァ書房、2018年
「子どもの犯罪被害防止における〈地域〉の称揚」『現代の社会病理』37号、2022年
「「子どもの犯罪被害」に関する報道言説の通時的変化」『子ども社会研究』20巻、2014年

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