他人と生きるための社会学キーワード|第4回|包括的性教育──性とは何かをめぐって|笹野悦子
包括的性教育
性とは何かをめぐって
笹野悦子
あなたはどんな性教育を受けてきただろう。そもそも性教育の「性」とはなんだろう。ここでは「包括的性教育」という概念に焦点を当て、性教育のあり方を考えてみたい。
まず簡単に性教育の歩みをふり返ってみよう。欧米では20世紀後半、2つの対立的な性教育方針がせめぎあってきた。ひとつは婚前性交を控えさせる節制と禁欲主義にもとづく教育、もうひとつは避妊と安全な性交に重点をおき自己の意思決定を育む性教育である。後者ではSIECUS(アメリカ性情報・教育協議会、1964年)の設立以来、セクシュアリティは性器や性行動だけでなく人間関係における社会的側面も含むという考え方が浸透していった。
だが、HIV/AIDSが流行し、また若者のあいだで意図しない妊娠が広がっており、2000年前後から欧州を中心に性教育の新たな指針が探求された。そこでとられた方向が、包括的性(セクシュアリティ)教育 comprehensive sexuality education である。セクシュアリティとは、本能と自然に属するのではなく、性にかかわる欲望や性的指向、性的快楽、性アイデンティティ、性的健康など、性に関する多様な側面からなる観念の集合を指す概念であることが明確にされた。従来の性教育が狭義の性行動や性・性器の健康に限定されがちだったのに対し、包括的性教育はセクシュアリティに関する個人の関係性、態度や価値観、社会・文化・権利などを包含する点に特徴がある。
一方、日本の性教育は戦前期には男性向けに性欲抑制教育がなされていた。戦後は純潔教育として始まり、婚前の性行為を抑止する性的貞操が教えられた。こうした婚前の性的節制をうながす教育は、恋愛を婚姻と婚姻内の出産に結びつけるロマンティックラブ・イデオロギーをともない、異性愛と性と生殖の一体化した近代家族規範の強化に寄与した。
日本でもSIECUSの影響も受けて1960年代以降、性教育の転換が模索される。純潔教育でめざされたのは女性の貞操であり、男女の平等な関係を阻害してきた「性の二重規範」が可視化された。だが、当時の教育は「寝た子を起こさない」よう、生理的知識の伝達に重点がおかれ、文化や社会と関連づけた教育は遅れがちであった。1982年には“人間と性”教育研究協議会が結成され、「科学・人権・自立・共生」を軸にした人格形成をめざす性教育研究が緒についた。
1992年は「性教育元年」と呼ばれ、学習指導要領改訂にともなって性に関する具体的な教育が開始される。包括的性教育の議論が活発化し、「ジェンダーフリー教育」という用語も登場し、教育現場でもジェンダー概念を用いた教育や、意図しない妊娠や性暴力のリスクに対応して具体的な性行動に踏み込んだ教育が試みられるようになる。「隠れたカリキュラム」と呼ばれる暗黙裡におこなわれるジェンダー規範を是正する試みとして、男女混合名簿の導入など性差にとらわれない教育が実践されはじめた。文部省は「人間尊重、男女平等の精神の徹底を図るとともに、人間の性に関する基礎的基本的事項を正しく理解させ、同性や異性との人間関係や……諸問題に対して適切な意思決定や行動選択できるよう性教育を充実する必要がある」(1999年『学校における性教育の考え方、進め方』)と述べた。折しも「男女共同参画社会基本法」施行の年である。
しかし、直後に日本会議などの保守系団体、政治家を中心に、ジェンダー平等やフェミニズムに対するバックラッシュが展開され、「ジェンダー」という言葉そのものが行政や教育の現場から姿を消した。産声を上げたばかりの包括的な志向性をもった性教育も攻撃の標的となり、性教育の目標や計画が明確化されるまえに委縮してしまう。教育基本法改正(2006年)後の改訂学習指導要領では、子どもたちは社会的責任をとれない存在であり、子どもたちの性行為は適切ではないという基本的立場が示された。「人の受精に至る過程は取り扱わないものとする」(小学校)、「妊娠の経過は取り扱わないものとする」(中学校)という「はどめ規定」が設けられ、性教育の射程が限定的なものとなる。
さて、つぎに包括的性教育の代表的な国際的指針を紹介して、その特徴を整理しておこう。一つめは、ユネスコが中心となって作成した「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」(2009年)である。ここではセクシュアリティが人間の生涯にわたる基本的要素で多様な側面をもち、ジェンダーと関連づけた理解がなされるという前提が掲げられる。性教育の学習目標は、「人間関係」「価値観・態度・スキル」「文化・社会・人権」「人間の発達」「性的行動」「性・性器の健康」の六つの柱に設定される。性教育を、まさに人間をとりまく包括的なものととらえている。
二つめは「ヨーロッパにおけるセクシュアリティ教育スタンダード」(2010年)である。ここで肯定的に強調されるのは、セクシュアリティとそこから得られる快楽は生殖にかかわりなく人間たることの中心的局面だという観点である。また、性的権利(セクシュアル・ライツ)の定義にそって、セクシュアリティが基本的・普遍的人権であり、ジェンダー平等の視点が不可欠であることが確認される。さらに、参加、ジェンダー平等と差異、年齢と発達、多様性を含むアプローチが挙げられる。これらはカイロ会議(1994年国際人口開発会議)や北京会議(1995年第4回世界女性会議)の成果であるジェンダーの平等・公正と参加の視点を反映したものである。とくにジェンダーの差異と平等に基づくアプローチは重視される。
三つめに、アメリカの「包括的性教育のためのガイドライン」(1991年)も、性教育のなかで性行動や性の健康だけでなく、人間の発達や人間関係、社会と文化を学ぶことを明示する。そのうえで性教育おいてめざすべき性的に健康な成人像を具体化している。
これらのガイドラインでは、性教育はたんに心身の性的特徴や性の健康だけではなく、個人の基本的権利としてのセクシュアリティと社会におけるジェンダー差異と平等を前提とした包括的なパースペクティブをもっている点が重要である。
日本の性教育を包括的性教育の立場から省みると、いくつかの課題が浮かび上がる。一つは「性」概念の曖昧さである。わたしたちはヒトという生物の解剖学的性差にとどまらず、個人として生きていくうえで性的な感情を持ち/持たず、性的にふるまい/ふるまわず、性をめぐる関係を築く。また、性差による社会的役割規範や不平等などを体験する。SOGI(Sexual Orientation and Gender Identity 性的指向とジェンダーアイデンティティ)を含めて、学知に基づくセクシュアリティ概念やジェンダー概念が性教育のなかに十分に根づいていないことが懸念される。
二つめは人権意識の希薄さである。性教育のなかでセクシュアリティに関する学習を遠ざけた結果、それはタブー視されることになった。国際指針に表されたようにセクシュアリティは人間の中心的局面であり、それを権利と認識することはありのままの自己と他者の多様なセクシュアリティを受け容れる重要な契機となる。人はだれしもが性的に差別・強要されず安全であるべきであり、その根拠は、思いやりといった恣意に流れがちな感情ではなく、個人の権利であるという認識が不可欠である。
そして三つめは科学性の希薄さである。巷間に氾濫する不正確な性情報に対処できるのは道徳的価値観ではなく、正確な科学的知識である。包括的性教育を通じて性に関する概念や科学的知識、性的権利の観念を発達段階に応じて習得していくことで、新教育基本法にも謳われた子どもたちの「生きる力」は育まれるはずである。
■ブックガイド──その先を知りたい人へ
橋本紀子・池谷壽夫・田代美江子編著『教科書にみる世界の性教育』かもがわ出版、 2018年
ユネスコ編・浅井春夫ほか訳 『国際セクシュアリティ教育ガイダンス[改訂版]』明石書店、2020年
浅井春夫『包括的性教育 : 人権、性の多様性、ジェンダー平等を柱に』大月書店、2020年
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笹野悦子(ささの・えつこ)
早稲田大学ほか非常勤講師。早稲田大学大学院文学研究科社会学専攻博士後期課程単位取得退学。専門分野:社会学、ジェンダー研究、家族研究。
主要著作:
『共生と希望の教育学』共著、筑波大学出版会、2011年
『ジェンダーが拓く共生社会』共著、論創社、2013年
『共生の社会学』共著、太郎次郎社エディタス、2016年
『教育社会学』共著、ミネルヴァ書房、2018年