他人と生きるための社会学キーワード|第1回(第2期)|コミュニティ──見果てぬ夢か、すぐそこにある希望か|熊本博之

リレー連載 他人と生きるための社会学キーワード 毎号、ひとつのキーワードから「問題を考えつづける」ための視点を伝えます。社会学者から若い人へのメッセージ

毎回、ひとつのキーワードから「問題を考えつづける」ための視点を伝えます。社会学者から若い人へのメッセージ。

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コミュニティ
見果てぬ夢か、すぐそこにある希望か

熊本博之

 かつて内閣府に「国民生活審議会」という首相の諮問機関があった(2009年廃止)。「国民の生活を審議する」なんて、なんだか私たちのプライバシーにまで踏み込んできそうな怖さを感じる名前だが、実際のところは、国民の生活を安定させたり向上させたりするための政策や、消費者の利益を守ったり増やしたりするための政策について議論し、その結果を首相に答申するという、私たちの生活に直結するような重要な仕事を担っていた。

 その国民生活審議会が1969年、ちょうど日本が高度経済成長を満喫していたころに発表したのが『コミュニティ―生活の場における人間性の回復』という報告書だ。こちらにも「人間性の回復」などという大仰な言葉がつかわれているが、簡単に言えば、現代社会で疲れ果てた人たちの身体と心を癒やしてくれるようなコミュニティを、生活の場である地域社会につくろうという内容である。この当時、日本全体の都市化に伴って、農村における村落共同体や都市における町内会・自治会のような「古い共同体」が衰退した結果、地域とのつながりを失ってしまった個人や家族が増えていた。とはいえ、いまさら「古い共同体」を呼び覚ますわけにもいかない。そこで報告書では「生活の場において、市民としての自主性と責任を自覚した個人および家庭を構成主体として、地域性と各種の共通目標をもった、開放的でしかも構成員相互に信頼感のある集団」であるコミュニティを、新たな地域共同体の姿として提示したのである。

 だが結局のところ、審議会がいうような意味でのコミュニティは、ほとんどの地域で実現しなかった。その理由はさまざまだが、地域の人たちの助けを得なければ解決できないような問題が少なくなっていったことが大きい。地域で何か問題があれば町内会長に頼むより役所に直接電話したほうが早いし、治安に不安がある人は民間企業による家庭用のセキュリティサービスに加入すればいい(お金はかかるけど)。地域の助けが必要な問題として残っているのは災害時における助け合いくらいで、実際、2011年の東日本大震災のあとは、多くの自治体で町内会や自治会の加入率が上がっている。しかしこれも、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とことわざにあるように、災害から時間が経つにつれて危機感も薄れてしまうし、災害時には理想的なコミュニティ「災害ユートピア」が自然発生的にうまれるという指摘もある(レベッカ・ソルニット)。つまり個々の地域住民からみれば、コミュニティをつくることによって得られるメリットが小さくなり、つくるため、維持するためのコストのほうが相対的に大きくなっているのだ。

 ところが役所のほうは、むしろ地域コミュニティへの期待を高めている。バブル経済の崩壊とそれに続く長い停滞期を経て財政悪化に見舞われた政府は、2000年代に入ると、地方分権改革の名の下、地方自治体へのある程度の権限委譲と引き替えに交付金を削減した。さらに2005年ごろにピークを迎える「平成の大合併」によって、多くの自治体は地理的に広くなったため、地域への細やかなサービスの提供が難しくなってしまった。

 そこで地方自治体は地域コミュニティが持つ支え合いの力、すなわち福祉機能に期待を寄せるようになる。「行政と市民の協働やパートナーシップが求められる」とか、「自助や公助だけではなく住民どうしの助け合い=共助も重要だ」、などといった言説がさかんに用いられるようになったのはこのころだ。この流れがいまも続いていることは、「自分でできることは、まず、自分でやってみる。そして、家族、地域で互いに助け合う。その上で、政府がセーフティーネットでお守りする」と、菅義偉氏が首相就任時の所信表明演説で語っていたことからも明らかだ。

 このように市民と行政とでは、コミュニティに対する期待のミスマッチが生じている。これを埋めるためには、市民の側にコミュニティ活動のメリットを実感させるしかない。そのための試みとして、東京都日野市の事例を紹介しよう。東京郊外にある日野市では、2014年度から地域コミュニティ政策の改革に乗り出した。その核となるのが地域懇談会の改革である。それまで自治会長が市に要望を伝える場でしかなかった地域懇談会を、自治会だけでなく地域包括センター、民生児童委員、大学、NPO、消防団、子ども会、PTAなど、地域にかかわる多様な団体が集まる場としてリニューアルし、それぞれがフラットな立場で意見交換をする場へと変えたのだ。そして、それぞれの地域が抱えている課題について意見を出しあい、課題解決のためのプランをたて実行するという「アクションプラン」を3年かけて実施したのである。

 この改革の狙いは、自治会依存のコミュニティ政策からの脱却と、住民・市民による地域課題の把握、そして地域コミュニティが果たしうる役割を実感することに置かれていた。地域が抱えている課題は多様化しており、自治会だけで解決することは難しいため、地域にかかわるいろんな団体にかかわってもらう必要がある。市は両者をつなげるための場を設け、ファシリテーターに徹することで、住民の主体性を引き出すことができた。そして住民は自分たちで地域の課題を見つけだしたことで、課題の存在と解決の必要性を共有した。そして実際に解決に向けた活動を行ない、一定の成果をあげたことで、コミュニティ活動のメリットを実感することができたのである。

 このようなコミュニティ政策をアセットベースド・コミュニティ・ディベロップメントという。アセット、つまり地域にある資源に基づいてコミュニティづくりを行なおうということだ。日野市は、地域にかかわるいろんな人たちを資源だととらえ、かれらを結びつけ、主体性をもって活動できるよう支えることで、地域の課題を地域で解決するコミュニティをつくろうとしていたのである。

 国民生活審議会が提起したようなコミュニティがほとんど実現しなかったのは、そこで示されていたのがコミュニティの「あるべき姿」だったからである。普遍的な価値観に基づいた理想像は、ひとつの指針としては有用である。しかし個々の地域はそれぞれ固有の歴史を歩んできており、その歴史が生みだした文脈に基づいて社会を構成している。地域の課題も、こうした文脈に基づいて生まれるものである以上、その解決策も地域のなかから生まれたものでなければうまくいかないだろうし、そのためには地域に残っている資源を掘り起こさなければならない。そこに地域コミュニティの可能性が拓かれる。

「見果てぬ夢」としての理想的なコミュニティを追い求めるのではなく、すでに地域にある資源をつなげていくことでコミュニティの存在と可能性を可視化していく。そう、コミュニティはすぐそこにある希望なのである。


■ブックガイド──その先を知りたい人へ
桜井政成『コミュニティの幸福論──助け合うことの社会学』明石書店、2020年
熊本博之「東京郊外における共同性の再構築―日野市を事例に」『地域社会学会年報』第31集、2019年

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熊本博之(くまもと・ひろゆき)
明星大学人文学部教授。早稲田大学大学院文学研究科社会学専攻博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。専門分野:地域社会学、環境社会学、沖縄学。
主要著作:
『沖縄学入門』共著、昭和堂、2010年
『米軍基地文化』共著、新曜社、2014年
『持続と変容の沖縄社会』共著、ミネルヴァ書房、2014年
『共生の社会学』共著、太郎次郎社エディタス、2016年
『交差する辺野古―問いなおされる自治』勁草書房、2021年

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